第12話 お忍び散策の日(その5)
ようやく落ち着いた三人も席に着いたところで、私たちは夕食の時間になった。
その前にシンケールス様にあの髪留めを渡したところ、彼もまたその場でさっと装着し
「大切に使いますね。ありがとう神子」
と喜んでくれた。
今夜の話題はもちろん月下美人の件とバザールのこと。
グラナートさんが教えてくれたボレアンについては、事前にサフィが話をしておいてくれた。
同行するのは今回と同じく夫候補の三人と衛兵数名に聖騎士、そしてグラナートさん。
神殿の予定なども含めて全員の日程を調整する必要があるため、日程が決まるまで数日かかる。
月光神様の象徴とも言える月下美人が食用になって流通すれば「生命の水」ほどの効果はなくても、少しでも月光神様のご加護を必要としている人々に提供できるようになるかもしれない。
ましてや保存のきく花酒なら、広く流通させることも可能だ。
神殿としては最優先で取り組んでいくと、シンケールス様は宣言した。
「それにしてもボレアンとは、盲点でした」
「どういうことですか?」
「ボレアンはユエイリアンの港町の中でも最も小さな町で、国の一番端に当たります。ラウルスに入ってくる魚介類は最も大きな港町から届きますから、ボレアンとはあまり行き来がないのです。更に山一つ越える必要がありますから、我々にとっては近くて遠い町なのです。それ故にかの地は独自の文化を持っていて、服装や食文化もこの辺りとは違っているんです」
「確かグラナートさんもそう言っていました。あまりにも違いすぎるから、後回しにしていたって」
「ええ、ボレアンまで行かずとも新鮮な食材は手に入ります。そのせいでどうしてもボレアンから足が遠のいてしまうのです」
「だからバザールにもボレアンの料理を出すお店はないんですね」
「はい。陸の孤島と言っても過言ではありません」
そういう場所に醤油があって、もし月下美人のおひたしや天ぷらがラウルスの人々に受け入れられたら…。
「上手くいけばボレアンとラウルスの間に新たな流通を作れるかも?」
「そうだね。行き来する必要性が出てくれば、国としても道を整備したり利便性を高められる」
なるほど。
ボレアンには醤油と思しきものがある。
港町で魚介類が豊富だし、もしも食文化が「日本」と似ていたら私の記憶が役に立つかもしれない!
ボレアンの食材や調味料を流通させることができたら、ボレアンの人たちも潤うのかな。
また一つ、自分に出来そうなことが見つかったみたい。
向こうへ行ったらとにかくグラナートさんについて、色々見て来よう!
「神子、今から楽しみですね」
「はい!私でも何かお役に立てそうなことがあって、嬉しくなっちゃいました」
「それは良かった。手筈はこちらでしっかり整えます。日程が決まるまで少しお待ちくださいね。ところで、ラウルスの様子はいかがでしたか?」
シンケールス様は街の散策について問いかけてくれた。
「とても素敵な街でした!皆さん明るくて気さくに声をかけてくださって。それにごみが一つも落ちていない、綺麗な街ですね。活気もあって衛生的、たくさんお店があってワクワクしました」
「品物はどうです?」
「食材は新鮮だし、雑貨や小物も職人さんが丹精込めて作られたのがよく分かるものばかりでした」
「それでいて価格は人々が手にとりやすい値段。あのバザールは人々の生活に寄り添っているんです」
まるで子供と話をする父親のようにシンケールス様は教えてくれる。
少し興奮気味な私の話も頷きながらよく聞いてくれた。
バザールを見て回り、物価についても学んできたことを褒めてくれて、またお忍びで買い物に行く許可もくれた。
ただし今回同様護衛の件があるため、事前に相談の上、だけど。
そうして今夜も賑やかな夕食を終えるとディアは王宮へ帰っていき、今日の散策について報告があるというサフィはシンケールス様と一緒に部屋を出ていった。
残ったのはゲートと私。
二人並んでソファに座る。
今夜のハーブティーはゲートが淹れてくれた。
「疲れたんじゃないか?今日はたくさん歩いただろう」
「うーん、でも心地いい疲れかな。ゲートこそ、いっぱい荷物持ってくれたでしょ?ありがとう」
「あのくらいどうということはない。鍛えているからな」
「そういえばゲートは近衛兵だったんだよね。訓練は大変?」
「いや、鍛えるのは趣味だから、大したことはない」
「趣味?じゃあ毎日鍛えてる?」
「そうだな。任務や訓練のある日も、その後予定がない限りは一通りメニューをこなすようにしている」
無駄なく均整の取れた体格に発達した筋肉は、日々の努力の賜物だ。
あれ、でもこれから神子付きになったらどうなるんだろう。
ゲートだけじゃなくて、誰か交代の人が配属になるのかな?
「神子付きってゲート以外にもいるの?」
「いないし、これからも俺だけだと思うが」
「えっ?じゃあゲートは毎日任務ってこと?交代は?休憩とか休日とか」
全然なくなっちゃうなんて、そんなブラックなことダメ、ゼッタイ!
「社畜には絶対しないよ、私!」
「ん?しゃちく?」
あ、そうか、この世界にはそんな言葉ないんだった。
ってことは場合によってはゲートが社畜第一号になっちゃうってこと!?
尚更ダメ、ゼッタイ!
「ちゃんと休憩してね?休日も大切だよ?ゲートが休む時は私ちゃんと部屋で大人しくしてるから」
「ユウの心配は嬉しいが、神子付きの任務は俺にだけ与えられた特別なものだし、こうして一緒にのんびりお茶を楽しめるんだから、むしろ役得だと思っているんだ」
本気で心配している私をよそに、ゲートはゆったりリラックスモード。
確かに今は緊迫した状況じゃないけれども。
「何かあったらすぐ動けるように気を張ってるでしょう?」
「それは兵士として自然のことだから、何も起こらなければこうして気を抜いている。休憩と変わらない」
「眠ってる間は?今朝もすぐ起きちゃったじゃない」
「だがユウの気配だったから、さほど神経は尖らせていたなかった」
「誰の気配か分かるの?」
「大体はな」
何それ、すごい能力だ。
「って、誰だか分かってもすぐ起きちゃうなんて、深く眠れてないんじゃない?」
「そうか?昨夜はよく眠ったし、今朝は二度寝もしたから絶好調だったぞ」
確かに顔色もいいし、目にクマもないけど。
「俺なら大丈夫だ。もし気になるなら、ユウがゆっくりしている時は俺もゆっくりするし、休日は…一緒に過ごす」
「それ平日と同じよ」
「つまりユウと過ごす時間は任務中でもあり休憩中でもあり、その時に応じてだな」
ゲートはあっけらかんとしている。
働きすぎで倒れちゃう前に、ゆっくり休んでほしいんだけど…職業病みたいなものなのかな。
こうなったら出来るだけ私がメリハリつけて、しっかり休憩をとるに限る。
私は傍らで微笑むゲートを横目に、決意を固めるのだった。
シンケールス様への報告が終わったサフィが戻ってくるのを待って、私はお風呂に入る。
出てくる頃にはサフィ特性の果実水がサイドテーブルに用意されていた。
ベリー系のフルーツが数種類浮かべられ、ミントとレモンが爽やかさをプラスしてくれる。
お風呂上がりの水分補給にちょうどいい冷たさで、グラスの半分まで飲むと生き返る心地がした。
「お味はいかがですか?」
「とっても美味しい。ありがとう、サフィ」
「喜んでいただけて良かったです。さて、御髪を梳きましょうか」
「お願いします」
サフィは今朝と同じか、それより丁寧にタオルドライした髪を梳かしてくれる。
櫛が頭皮を刺激する強さもちょうどよくて気持ちいい。
小さいころ、こんな風にお母さんが髪を梳かしたり結ったりしてくれたなぁ。
お母さんて不思議といい匂いがして、一緒にいる時間が大好きだった。
…そっか…サフィって少し似てるんだ。
あったかくて、優しくて、ふんわりしている感じ。
「サフィ、明日もまた髪を結ってくれたら嬉しいな」
「もちろんお任せください。どんな髪型にしますか?今日はフードを被る関係で、結い上げましたが」
「うーん、どんなのがいいかな。明日の予定に合わせた方がいい?」
「そうですねぇ。特に決まった予定はありませんから、ユウが何をしたいかによりますね」
「あ、じゃあ、マールスパイを焼きたいです」
せっかく買ったマールスだから、新鮮なうちにパイにしてみんなに食べてほしい。
「では、明日はこんな感じで、高い位置でひとつにまとめましょうか。編み込んだ房を作って、根本に巻き付けるんです」
そう言ってサフィは手でやってみせてくれた。
おぉ、小顔だとすっきり可愛く見えるのね。
月光神様がくれたこの顔に感謝だわ。
「明日も楽しみ。サフィは何でも出来るね」
「そんなことはありませんよ。私に出来ることはほんの少しです」
謙遜とかそんなんじゃなく、本気でそう思っている言い方。
ディアの話を聞いた今では理解も出来るし納得も出来るけど、でもそれでいいとは思えない。
あなたの味方は周りにいるよ、自分自身を認めてあげて、と伝えたい。
「サフィ、私ね、サフィに感謝してるの。あなたはきっと大したことない、っていうかもしれないけど、私にとってはありがたいことなんだよ」
「ユウ…」
「この世界に来て、よく分からないまま神子って呼ばれて、みんな私に良くしてくれるけど、最初に私の不安に気付いてくれたのはサフィだった。それにこの世界の習慣を押し付けることなく、いつも私の気持ちを聞いてくれるでしょう?嬉しかったんだよ。サフィがそんな風に心を砕いて接してくれるから、私パニックにならずに済んだ。それって、サフィだからできたことだと思うの。だから、ありがとう、サフィ」
「いえ、そんな…私はただ、ただ…」
言いよどんで、眉根を寄せた。
それからひどく後悔したように苦しげな表情を浮かべて、深くため息を吐く。
鏡越しのサフィは自分を責めているように見えた。
そして沈黙が流れ、彼はようやくぽつりと口を開いた。
「私は結局、自分のためにやっているんですよ」
とてもか細く、頼りない声で言う。
サフィはそっと私の髪を手放した。
「これまでも、今も、私は神子のため、ユウのためと思いながら…その実、ただ貴女の笑顔が見たくてやっていたんです。ズルい人間です。自分の望みを叶えるために貴女を口実にして。自分を必要とされるのが嬉しかった。一度求められると、また必要とされたいと思ってしまって…浅ましい人間なんです、私は」
自分で自分を傷つける、そんな言葉。
サフィはそうやって自分を罰しているように思えた。
でもね、同じ感情は、私にもある。
あなただけじゃないんだよ。
「それでいいと思う」
「え…?」
「私も同じ。サフィに喜んでほしくて、笑顔になった姿を見たくて、そのイヤーカフを買ったの。ディアとゲートの喜んだ姿も見たかった。だからプレゼントしたの。私、みんなが喜んでくれて嬉しかった。気持ちがあったかくなった。それにね、月下美人のことも、私にも出来ることがあってよかった、って…すごくホッとしたの。ここにいる意味が感じられて、安心した。だから、ね、うまく言えないけど、サフィだけじゃないんだよ。私も、みんなも同じ。結局は自分のためにやってるんだと思う。でもね、それでみんな幸せになってるんだよ。お互いさま。誰も嫌な思いしてないの。サフィがしてることもそうだよ。サフィも私も嬉しい、誰も傷ついてない。それをズルいとか浅ましいって言うなら…それが人間なんだと思う。だから、サフィはそのままのサフィでいいんだよ」
「あ…ユウ…そんな、私は…そんな風に言われたら…何も言えなくなってしまいます…」
「サフィが私の幸せや喜びを願ってくれた気持ちもホントでしょう?それでいいじゃない。あなたは、私を幸せにしてくれる人。そして安心感を与えてくれる人。それが私にとっての事実だから。サフィは一人の人間で、神官で、頑張り屋さんで優しくて、色んな事が出来て、で…月光神様が認めた私の夫候補。ディアやゲートも同じだよ。肩書や性格はそれぞれだけど、私の夫候補である点は同じ。だから自分を卑下しないで」
お願い、その言葉を含ませて、私は振り返ってサフィを見上げた。
視界に入ってきたのは色んな感情がごちゃ混ぜになって、戸惑うように瞳を揺らすサフィの姿だった。
続く
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