第9話 お忍び散策の日(その2)
徒歩で向かう街までの道中、辺りは豊かな田園風景が広がっていて、広大な畑にはそれぞれ違った作物が青々とした葉や茎を天に向けてのばしていた。
中にいは蕾を付けた植物や、果実が実り始めている植物もある。
そこで作業をする人々は麦藁帽をかぶり、白い長そでのチュニックに少し厚手の生地で作られた焦げ茶色のベスト、ズボンは脚部分が少し膨らんだものを履き、革製の長靴といった服装をしていた。
彼等は私たち一行に気付くとすぐに声をかけてくれる。
「こんにちは!街へお出かけですか?」
「お気をつけて!」
口々にそう言いながら手を振ってくれる。
日焼けした小麦色の肌に浮かぶ満面の笑みは活力が漲って見えた。
「ありがとう!皆さんもお気をつけて」
ディアが返事をすると、人々は更に元気よく腕を大きく振り、私たちを見送ってくれる。
私はそんな彼らにそっと微笑み返して、小さく会釈した。
「!?」
彼等は一瞬目を丸くして驚いたような表情を見せたけれど、すぐに脱帽して会釈を返してくれた。
そして聞こえてきたのは「うおぉぉぉぉっ」という歓声。
びっくりして振り返ると
「何よりのご褒美に喜んでるんだよ」
と、ディアが笑って教えてくれた。
「ご褒美?」
「うーんとね、つまり可愛らしい神官に笑顔で会釈してもらえたのが嬉しいってことかな」
ふうん、神官て街の人たちに人気なのね。
そんな風に思っていたら、街の入口へたどり着くまでの間たくさんの農夫さんたちが次々に声をかけてくれて、それに会釈しては歓声という名の雄叫びがこだまするという不思議な光景が繰り返されることになった。
そしてたどり着いたラウルスの繁華街。
そこはレンガで出来た石畳が広がる、大きなバザールが賑わうラウルスの中心地。
オレンジやベージュ、クリーム色…色とりどりのレンガで出来た建物が立ち並び、街の入口は通りに沿って露天商が軒を並べる。
屋外で売られているのは野菜や果物、生花に観葉植物、それから調味料に軽食と様々で、屋内にあるのはレストランや洋服店、宝石商や靴屋など。
バザールの中心には大きな噴水のある広場があり、そこから放射線状に露天商が並ぶ通りがあった。
私たちが目指す「ひだまり亭」は広場からほんの数分歩いたところ、穏やかな日差しが窓から差し込む、まさに「ひだまり」の所にあった。
木製の扉を開ければ「カラコロ」と扉に付けられたカウベルが鳴った。
「いらっしゃい!!」
明るい声が店内に響く。
まだ早い時間だからか、お客さんはまばらだ。
「あらまぁ、王子が神官様とアガート様をお連れだなんて、珍しい組み合わせね」
店の奥から出てきてくれたのは、長く赤茶色の髪を大きくカールさせ、裾の長いスカート部分に小花の刺繍が施されたワンピースに白い前掛けをしたふっくら愛らしい女性。
年の頃は二十代後半から三十代前半といったところかしら。
えくぼが浮かぶチャーミングな人だ。
彼女はディアだけでく、サフィやゲートとも顔なじみのようで、三人と二言三言話をしてから、そっと私を見た。
「なるほど、そういう事ね。せっかくだから何か召し上がっていく?今日はまだグラナートもお店にいるの。すぐに用意してくれるわ」
「え、っと」
「ユウ、こちらはグラナートのお姉さんで、ミュゲさん。この辺りで評判の看板娘、だよね」
「あら。そう言ってもらえて嬉しいわ。ユウさん、どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくおねがいします!」
差し伸べられた手をとり、慌てて頭を下げると
「あらあら、そんな、ご丁寧に、こちらこそ」
とミュゲさんも慌てたように言って、握手を交わし合う形になった。
ミュゲさんの手はふわりとしていて柔らかく、とても滑らかだ。
「さあ、お席へどうぞ。メニューはこちらね」
彼女の案内で席へ着く。
開かれたメニューの文字は残念ながら読めないけれど、代わりにディアたちがいくつか見繕ってオーダーしてくれる。
「おやつの時間にちょうどいいから、軽めのスイーツと小鉢料理を頼んでみたよ。ユウの口にあうといいんだけど」
「ありがとうございます、ディア」
「料理が来たら、月下美人の件についてグラナートに相談してみましょうね」
「はい」
「それにしても今日はラッキーだったね。お店にグラナートがいてくれて良かったよ」
「いつもはどちらに?」
「色々だな。バザールで仕入れをしている事もあれば、自分で食材を採りに行っていることもある」
「自分で?」
「時期によって旬があるらしく、新鮮なものほど味が深くコクがあるからと、海だろうが山だろうが採取に出かけるんだ」
グラナートさんはなんともアグレッシブな料理人のようだ。
本当に今日はお店にいてくれてよかった。
海や山に行かれていたら相談できずに帰ることになっていたかもしれない。
もし彼がいなかったらどうするつもりだったんだろう。
という私の心配は杞憂だった。
「まあ遠出する連絡は入っていなかったからな、今日はもし店にいなくとも近くで会えると思っていたから問題はない」
「グラナートの行動力は並みじゃなくてね、しかも思い立ったら即、っていう人だから。遠出する時は街に常駐している衛兵を通して連絡をすることになってるんだ。国一番の天才料理人に何かあったら大変でしょ?」
「まさか、危険な場所にも行っちゃうんですか?」
「うん。というか、多分あんまり危険ていう認識はないかもしれない。森でクマに出会っても戦うどころか、珍しくて貴重なキノコが群生している場所を教えてもらったりする人だからねぇ」
え。
何それ、どんな特殊能力持ちなの…。
まさか動物と会話できるとか、そういう感じなのかな…。
もしくはグラナートさんもクマと同じくらい腕っぷしの強い、気のいい大男…とか?
筋骨隆々で「がっはっは」と笑う大きな木こりさんを想像していると
「あんまり人を珍獣扱いしないでくれるか?王子様」
張りのある声で苦笑する、想像よりは細身の男性がそこにいた。
ミュゲさんと同じ赤茶色の髪は短く、くせ毛のせいか所々毛先が跳ねている。
明るい茶色の瞳は少年のように輝いていた。
きっちり捲られた袖からのぞく腕は、小麦色の肌と相まって逞しい。
筋骨隆々の大男ではないけれど、背は高いししっかりと鍛えられた体格をしている。
確かに服装が違ったらきっと兵士に見えるだろう。
そんな彼の腕によって作られた料理は色鮮やかで、盛り付けまでが繊細なバランスで成り立っていた。
「美味しそう」
思わずこぼれた呟きに、彼は口角を上げる。
「だろ?味も保証する。絶対うまいぞ、これ」
手渡されたスプーンと取り分けられた小皿を受け取り「いただきます」と、口をつけて驚いた。
ふわふわとした口触りと、舌に乗せた途端に広がる魚介の出汁が凝縮された濃厚な旨味。
たんぱくな白身魚の身はほろほろと崩れて、えぐみなど一切ない上品なスープと溶け合う。
更に緑が鮮やかな菜の花と合わさると、春の匂いが喉の奥から鼻へと抜けた。
「美味しい…!!」
思わず笑顔になってグラナートさんを見上げる。
と、
「お、おぉ、そうか、良かった!」
少し頬を赤くした彼が頭を掻いた。
「ユウのお口に合ったようですね。グラナートの腕は確かでしょう?」
「はい!とっても美味しいです!これなら月下美人も絶対美味しくしてくれますね」
「月下美人?一体何の話だ?」
「早速ですが本題に入らせていただきましょう。グラナート、少しお時間をいただけますか?」
サフィは彼に座るよう促し、話を切り出すことにした。
「つまり神子様のおかげで月下美人が食用になると分かったわけだ。それを調理したいと」
「はい。「おひたし」や「てんぷら」という料理だそうです。そこで必要なのが「しょうゆ」という調味料なのですが、ご存知ですか?」
「しょうゆ?」
「あ、あの、大豆から作られる調味料で、黒っぽい茶色をした液体なんです。とても香ばしくて、魚や肉、野菜とも相性が良くて煮物などを作る時に使えるんです」
「ふうん、大豆ねぇ。…そういえば港町に「ソイソース」っていう調味料があったな。この辺りの料理とは全然違っていて、確かに魚の煮物や焼き魚にかけたりもしていた。すりおろしたラディッシュと一緒に食べると美味いんだ!」
「ソイソースに、ラディッシュって」
そのまま「醤油」に「大根」!!
まさに焼き魚と相性抜群じゃない!!
どうやらこの国の食べ物は私の記憶にある世界とほとんど同じらしい。
神殿の食事にパンが出てきたことから天ぷらが作れることは分かっていたし、醤油が手に入るってことは和食も作れるという事だ。
もしかしたらこの国のどこかには和食の文化があるかもしれない。
「おひたしの作り方は簡単なんです。月下美人のめしべを取り除いて、花の部分を茹でたものの水分を切ってソイソースをかけます。かつお節をかけるとさらに美味しくなるんですけど、なくても大丈夫で」
「かつおぶし?それはどんな調味料だ?」
グラナートさんは目を輝かせて身を乗り出す。
「かつおという魚の身を煮てから煙で十日以上いぶして、出来上がった硬いものにかびをつけ、それを薄く削った食べ物です」
「かび?チーズと似たような感覚だな。やっぱり魚が関係するのか…。港町に行けば「かつお」が見つかるかもしれないな。それが見つかれば神子様の言う「かつおぶし」とやらも分かるだろ。ボレアンへ行ってみるのはどうだ?」
「いいですね、ボレアンなら三日もあれば行って帰ってこられますから、次の満月にも間に合います」
「ただ、神子様にも来てもらわないといけない。それは可能なのか?」
「シンケールス様にお話すれば、何とかなると思います。それに、いい機会ですから」
サフィはそう言って私に向かってにっこりと微笑んだ。
いい機会?
疑問はあったけれど彼やシンケールス様のことだから、悪い事ではないはずだ。
私もこくこくと頷いておく。
どうやらそれで話はまとまったようだった。
グラナートさんは見るからにワクワクした様子で
「ボレアンは俺も知らない料理がたくさんある地方なんだ。ラウルスの食文化とは色々違いがありすぎて、どうしても後回しにしてきたからな。せっかくだから色々調べて来よう」
と意気込んだ。
これで今日の目的は一つ、前進だ。
ホッと息を吐いた私にサフィが向き直る。
「それでは、この後は街を散策して「宿題」に取り掛かりましょうか」
サフィの言葉に
「宿題?」
グラナートさんは首を傾げる。
「ええ。街を散策しながら色々と学ぶことがありますので」
「そうか。ま、そうだよな。神殿に来たばかりなら、ラウルスの街はよく知っておいた方がいいもんな。あんたたちがいれば街の案内はばっちりだろうし、楽しんで来いよ」
私の正体は隠されたままだから、きっと新米神官だと思われているんだろう。
グラナートさんはにかっと笑ってそう言った。
そして彼の用意してくれた料理をすっかりきれいに平らげた私たちは、グラナートさんにお礼を言ってお店を出た。
ボレアン行きの件は神殿に戻って、シンケールス様の返事をもらってから改めて連絡することになった。
目の前には楽しみにしていた景色が広がっている。
シンケールス様へのお土産、何がいいかな。
そんなことを考えながら、私は活気あふれる街の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
続く
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