第8話 お忍び散策の日(その1)
翌朝、遮光カーテンの隙間から差し込む日差しで目覚めると、ソファの上で寝息を立てているゲートが見えた。
私にとっては大きなソファでも、やっぱりゲートには少し窮屈そうだ。
そこにうまい事身体をはめ込んで彼は眠っている。
でも、身じろいだ時にめくれたのか、毛布が少しだけ彼の体からずれ落ちていた。
直してあげようと思ってベッドから降りると
「ユウ…?」
すぐに彼は目を覚ました。
「ゲート、ごめんなさい。起こしちゃった?」
小さな声で問いかけると、彼は笑顔で
「気にするな。俺は護衛だから、すぐに起きられるんだ」
と言って起き上がる。
「でもまだ早いでしょう?もう少し休んで」
「そういえばサフィはまだのようだな」
「ええ。彼が来たら起こしてくれる約束だったから、二度寝する時間はあるわ。身体、痛くない?」
「野営のテントに比べたら最高の寝心地だ」
冗談めいて彼は言う。
これまでゲートの口数は少ない方だったけれど、決して話しにくいわけじゃない。
必要なことは喋ってくれるし、こちらの話もよく聞いてくれている。
気取らない彼との会話は私も気兼ねなく出来るから助かっていた。
「ユウこそもう少し眠っていていいんだぞ?昨日はめまぐるしい一日だっただろう」
「ん、確かに。でも大丈夫、よく眠れたからもう元気です。もしよかったらベッドを使ってください」
その方が眠りやすいと思って提案したのだけれど、ゲートは首を横に振った。
「そんなことをしたらさすがにシンケールス様に叱られる。ここでいい」
「分かりました。…それじゃあ、あなたが安心して眠れるように、隣にいてもいいですか?」
「っ、い、いいのか…?」
「はい。さ、二度寝してください」
私は彼の隣に座って、自分たちにしっかり毛布をかけた。
少しだけゲートの体温が残っている。
「…っ、ユウ…いや、そうだな、うん、これならすぐ守れるか…」
ゲートはもごもごと何かを呟いてしばらく迷っているようだったけれど、そのうち気を取り直して腕ぐむと瞼を閉じたようだった。
そして寝息が定期的に聞こえるようになった頃、右肩に彼の重みを感じた。
何となく気恥ずかしいけれど、ちょっとだけ嬉しくなる。
ゲートが気を許してくれているのかな、と思えるから。
肩にかかる彼の重みと伝わってくる温もり。
いつの間にか訪れた睡魔に私は再び目を閉じた。
次に目覚めたのは部屋全体を満たした光に、眩しさを感じたせいだった。
「ん…」
身体を起こすと
「ユウ、おはようございます」
そこにはすっかり身支度を整えて爽やかに微笑むサフィがいた。
隣にいたはずのゲートの姿がない。
「あれ…?ゲートは?」
「彼なら身支度を整えに自室へ戻っていますよ。さあ、貴女もお召し変えいたしましょう。今日は街へ行く都合上、こちらの御召し物を着ていただきます」
そう言って手渡されたのはサフィが着ているのと同じ貫頭衣で、その下には七分袖のワンピースを着用するものだった。
どちらも裾が長く、足首までしっかり隠れている。
「外出時にはこちらのフードを被っていただきます」
「お忍びですもんね」
「ええ、神殿の人間だと街の人も一目で分かるでしょうから、ゆっくり街を見て回れますよ」
それはとてもありがたい。
騒がれたり大勢の人に囲まれたりするのは大変だし、気が気じゃないものね。
「因みにお召し変えの時には男性が手伝うことが一般的なのですが、いかがいたしますか?抵抗があるようでしたら、着方をお伝えして私は部屋の外で控えておりますよ」
サフィは本当にどこまで気遣える人なんだろう。
部屋から追い出す様な感じがしてとても心苦しいけれど、着替えを手伝われるのは恥ずかしすぎる。
「ありがとうございます、サフィ。着方を教えてください。自分で着替えますから」
「分かりました、ではお伝えいたしますので、終わったらお声かけくださいね」
快諾してサフィは丁寧に着方を教えてくれた。
その後すぐに部屋を出て、私は手順通りに着替えていく。
ワンピースの袖や裾には生地と同じ色の糸で細かな刺繍が施され、日の光が当たると反射して模様が浮かび上がる。
貫頭衣は両肩から胸元にかけてピンクがかったオーキッドカラーでラインが描かれていた。
そのラインに沿って、ワンピースと同じ刺繍が施されている。
この衣装も実はものすごく手の込んだものだ。
数か所紐を結ぶ箇所があるくらいで、着方はさほど複雑ではない。
無事に着替えを終わると扉を開けてサフィに声をかけた。
大丈夫かな、サフィから見てもちゃんと着られているだろうか。
少し緊張気味に彼と向き合うと
「とても似合っていますよ。さて、次は御髪を整えましょう」
サフィはそう言って私を鏡の前に座らせて、自分は背後へ回り櫛を取り出した。
「女性の髪を結うのも男性の役目なのですが、嫌ではありませんか?」
「まさか!よろしくお願いします」
「はい。お任せください」
ひときわ嬉し気に彼は頷いた。
彼は私の髪を片手にとり、丁寧に櫛で梳いていく。
「私たちは幼い頃からいつか女性のお世話をさせていただく日を夢見て、裁縫や料理、ヘアアレンジや給仕の仕方など日常に関わる様々なことを習うのですよ」
「え?それじゃあ女性はどうするんですか?」
「男性に気持ちよくエスコートされるんです。もっとも、女性が心地よくいられるかどうかは男性の腕の見せ所ですから、無理に装う必要はありません。好みや体格、相性、バランスなど人それぞれ違いますからね、それらを総合的に判断してスマートに女性をエスコートできる男性が理想とされています」
「サフィも習っていたんですか?」
「はい。ですが私は神官ですから、他でもない、神子のために学んできました。そのおかげでこうして少しでもお役に立てることがあるのですから、嬉しい限りです」
手際よく後ろ髪をいくつかの束に分け終えたサフィは、それぞれを軽く紐で結んでいくつかの房を作る。
そのうちの1つを手にとると、今度は細かく編み始めた。
髪型には特にこだわりのない私は彼にされるがまま、鏡越しに彼の手元を目で追っていた。
長い指が器用に髪を編み上げる。
詳しいことは分からないけれど、サフィの技術は相当なものだと思う。
まるでプロの美容師のように無駄なく、丁寧で美しい。
「そういえばこの国に美容師さんはいらっしゃるんですか?」
「美容師、ですか?ええ、おりますよ。男性の散髪をするのが生業です」
「男性の髪だけですか?」
「ええ。一般的に男性は妻の髪を他人に触らせることをあまり快く思いませんから、女性の髪やお化粧に関しても家族の男性が行うんです。ただし人には向き不向きがありますから、基礎を学んだ後それ以上の技術や知識を学ぶかどうかは人によります。得意分野を伸ばす方が効率的ですしね」
「なるほど。じゃあサフィの得意な事って何ですか?」
「私ですか?そうですね…、何でしょう。私にも分からないんです」
少し困り顔で苦笑を浮かべる。
「神子のお役に立てればと色々習いましたが、これと言って特に得手不得手を意識したことはありませんでした。しいて言えば武芸は嗜んでおりませんから、不得意かもしれませんね」
確かにサフィの身体の線は細い。
細いというより華奢な感じがする。
多分「美人」という言葉がぴったりの外見をしているから、余計そう思ってしまうのかもしれないけど。
でも頼りない感じはしない。
とても健康的だし肌艶もいい。
それに気配りができるし、寄り添ってくれる優しさもある。
髪だって綺麗に結い上げてくれるし、サフィが淹れてくれるハーブティーも美味しかった。
…きっと何でもある程度こなせてしまうから、とびぬけた「得意」分野がないだけでオールラウンダーなんじゃないかしら。
そう思いながら鏡に映る彼の顔を見上げた。
「ユウは何が得意ですか?好きなことでもいいですよ、教えてください」
ふと視線が重なるとそう問われた。
好きなこと、か…。
「好きなのは音楽を聴くことと、歌うこと。それから料理も少し」
「素敵ですね。料理がお好きなら、今日会いに行くグラナートともきっと話があうでしょうし、シンケールス様にお願いすれば神殿の厨房も使えるかもしれません」
「本当ですか?ぜひ!」
「ではお出かけ前にシンケールス様にお願いしてみましょう。ね」
「はい!」
「さあ、これで完成です」
サフィはいつの間にか編み上げたいくつかの房をさらに編み込んでいき、最後に首元近くでまとめて留めた。
いくつもの編み込みが綺麗に模様を作っている。
落ち着きあるまとめ髪は、いくつかに分けて作られた房がそれぞれ曲線を描いているため柔らかな雰囲気を作り出していた。
「すごい…ありがとうございます、サフィ」
「どういたしまして。お気に召していただけたようで良かったです」
かつての世界だったらプロの美容師による手仕事のはず。
世界が違ったらサフィの技術は高い金銭的価値があるのに、ここでは当然のように「神子のため」と言って無償で提供されてしまうんだから、ありがたいけどもったいない…気がしてしまう。
でも嬉しそうなサフィを見ていたら、そんな風に思ってしまう自分の考えが邪に思えてちょっとだけ反省した。
そして私は薄く白粉や紅を施してもらい、身支度を整え終えたのだった。
全ての準備が整った頃、私の部屋にはゲートやディアもやってきていた。
和やかな朝食を済ませると、食後のお茶をいただいている間に今日の簡単な打ち合わせが始まる。
ほとんどは私の警護に関する事項だ。
お忍びとはいえ万全を期すため、一緒に散策するのはサフィ、ディア、ゲートの三人だけれど、街の至る所に衛兵が配置されている。
一目で衛兵と分かる人たちもいれば、街の人に扮して任務に就いている人たちもいるらしい。
主に街を案内してくれるのはディア。
サフィは月下美人を使った料理についてグラナートさんに相談するという大切な役目を仰せつかっている。
それからシンケールス様からの「宿題」のサポートもしてくれるそうだ。
ゲートは私の護衛兼荷物持ち。
私は絶対に単独行動をしないことと、シンケールス様からの「宿題」を頑張ること。
そして実はこっそりお土産を見つけてくること。
一人だけ気楽な役目で申し訳ないと思うけど、せっかくだから満喫してこようと思っている。
みんなが私のためにとやってくれていることだから厚意はありがたく受け取ることにした。
「神子、くれぐれも気を付けて楽しんできてくださいね」
「はい」
シンケールス様にフードを被せてもらい、いよいよ出発する。
左にはディア、右にはサフィ、後ろにゲートがついてくれた。
街までは途中の景色や人々の様子を見られるように徒歩で向かう。
私ははやる気持ちを抑えながら、神殿を後にした。
続く
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