第7話 月光神の神子(その6)
予定外に咲いた月下美人の花はシンケールス様たちを驚かせた。
でもさすがは神殿長様。
すぐに数種類のお酒を手配し、そのうちの一つ、香りが一番焼酎に近いものの中にめしべを取り除いた花を漬けた。
氷砂糖がなかったからただお酒の中に入れただけの観賞用。
それでも「神子が咲かせた最初の花」というありがたい花酒になった。
今後は礼拝堂に飾られるそうだ。
とても恭しく運ばれていく月下美人の花酒を見送って、私たちは夕食を摂ることにした。
神殿へと引っ越してきたゲートの部屋は私の西側、サフィはその反対の東側に位置する。
二人の部屋は私の部屋を挟むように配置されていた。
近衛隊の宿舎から神殿までの移動時間がかかったものの、荷ほどき自体はすぐに済んだらしい。
サフィと同様、ゲートの所持品はトランク一つで収まったのだとか。
それに驚いていたのは私だけでなくディアもだった。
「トランク一つ!?どういうこと?着替えは?日用品だって必要でしょ?正装もあるよね?」
「もちろんありますよ。でもそれだけですから、そんなに多くありません。普段使わないものは実家に置いてありますし」
なるほど、一人暮らしあるあるね。
一人の部屋に入りきらないものは実家で保管。
この国でもそういう事情は以前の世界と同じみたい。
それが分かっただけでも何だか身近に感じられる。
食事におけるテーブルマナーもあちらの世界と同じで助かった。
神殿の食事は欧米の家庭料理のような雰囲気で、フルコースとは違うから使うカトラリーも少ない。
話をしながら時間をかけて食べるというのもありがたい。
ただでさえ人と食事をすることに慣れていない私は緊張するとほとんど食べられなくなっちゃうから。
でも底抜けに明るいディアが話題をぽんぽん出してくれてそれぞれに振ってくれるから、気まずい沈黙が流れることもなく和やかな雰囲気が続いている。
シンケールス様やゲートの口数は少ないけれど、表情は穏やかだ。
昼間に言っていた通り、私の隣をゲットしたディアは合間に私の食事も気遣ってくれていた。
「僕たちは男だしいつも何かしながら食事をすることが多いから、ちょっと食べるスピードが速いと思うんだ。でもユウはゆっくりでいいからね。よく噛んで食べるんだよ?」
「何だか私、小さい子になったみたい」
「ふふ、そんなことないよ。女の子への気遣いなんだから。遠慮しないで甘やかされて」
ディアはそのうち「あーん」とかしそうな勢いだ。
時折私が手を止めて料理に入っている食材を前に小首を傾げると、使われている食材や原産地について教えてくれたり、ユエイリアンで有名な料理やそれに合うお酒、更にはスイーツについても話を広げてくれた。
「明日街に行ったら色々美味しいお店に行ってみようね。あ、もちろんグラナートの料理はすっごく美味しいよ!」
「彼は王室御用達の料理人で、世界の料理に精通する天才と言われています。時々この神殿にも出張してくださるんですよ」
「そういえば「ひだまり亭」でしたっけ。ラウルスにあるお店にいらっしゃるんですよね?」
「うん。普段はあのレストランで思いっきり腕を振るってる。グラナートはユエイリアンどころか世界でも屈指の天才料理人なんだよ。でも自由人でねぇ。宮廷料理人にはならなかったんだ。だから僕たち王家の人間にとって国一番の料理人の味を楽しめるのは週に一度」
「反対に街の人々はいつでも味わえるんです。ひだまり亭は庶民派のレストランですから、子どもから大人まで誰もが気軽に食事を楽しめる所なんですよ」
そう言ってサフィは楽しげに笑う。
「そうそう。だからたまーに僕たちもこっそり行くんだけど、それがバレると父上が拗ねちゃうんだ。どうして自分も誘わなかったんだ、って」
「え?」
「誘えるわけないよね。あの人一応国王なんだよ?まあ実は父上もお忍びで行って、後でよく母上に叱られてるけど」
「行きたいなら行きたいと言っていただければ、俺たちがお連れするのに…」
国王のお忍び行動を思い出したのか、ゲートが眉間にしわを深く刻んで「やれやれ」と頭を左右に振る。
…王様ってお茶目なのかしら。
でも国王がそんな風に出歩けるってことは、ラウルスの治安はとてもいいのかもしれない。
もちろん完全に一人でってわけじゃないと思うけど、それでもそういう行動が許されていることを考えれば、ユエイリアンは国として安定しているんだろう。
それにしてもおおらかだなぁ、と思っていると
「僕たちは男だからね、訓練してるからある程度は戦えるしそう狙われることもないんだけど、ユウは絶対に一人で出歩いちゃだめだよ」
不意に神妙な面持ちでデイアが言った。
その表情は硬く、決して冗談ではないことが分かる。
「神子だから、ですよね?」
「うん、それもあるけど、ユウは女の子だから」
「女性は決して一人歩きしないのが一般的です。ユエイリアンは他の国と比べると治安がいい方ではありますが、犯罪がないわけではありません。悪だくみをする人間もいます」
「例えラウルスの街中でも油断はできない。誘拐される危険が常にあるから、女性は必ず家族の男性と出歩くんだ。ユウの場合は俺たちに言ってくれればいい。いつでも、どこにでも一緒に行く」
「明日の「お忍び」については聖騎士も護衛としてつきますから、安心していいですよ」
最後にシンケールス様がそう言ってくれた。
どうやら私の「お忍び」は全然忍んでいない、大人数での行動になりそうだ。
それでもこの世界の城下町を見に行けるのは楽しみで、安心していいと言われたおかげで久しぶりにワクワクしている。
「せっかくですから街の様子を色々見て回ってきてくださいね。人々の生活の様子や街の雰囲気、それを見てくるだけでもこの国の文化や習慣を肌で感じることができるでしょう」
「はい!」
「とてもいいお返事ですね。そんな良い子な神子にはこちらを差し上げましょう」
シンケールス様から渡されたのは茶色の皮袋に入った
「金貨…!?」
がたっぷりと入っていた。
よく見ると銀貨や銅貨も混ざっている。
ちょ、こんなに!?
「神子の勉強も兼ねていますからね。実際に買い物をしてみると色々なものの物価が分かりますし、相場も検討がつくようになります。貨幣価値を学ぶ良い機会ですから、遠慮せずに使ってみてください」
「でも、こんなにたくさん…」
「食べ物や日用品、趣味に使えるものや興味を持ったものなど、ぜひ買ってきてほしいのです。これからこの神殿での生活が始まるのですから、必要なものや欲しいものを揃えてくるのが神子への「宿題」です」
「シンケールス様…ありがとうございます、大切に使わせていただきます」
「はい。土産話を楽しみにしていますよ」
その笑顔に、必ずシンケールス様へのお土産も見つけてこよう、と密かに計画するのだった。
夕食を済ませてお風呂も入らせてもらった後、私の部屋にはハーブティーを用意してくれたサフィと、外の様子を確認しながら戸締りをしてくれていたゲートの二人がいた。
因みにディアは夕食の後、しぶしぶ王宮へ帰っていった。
夫候補とはいえ神印が完成していないため、神殿に移り住むことは出来ないそうだ。
サフィとゲートに至っては「神子付き」という職務を兼ねているから、神子を日常的に警護したり身の回りの世話などをしたりと、むしろ神殿に留まる必要がある。
ディアについては神子の要請があればすぐにでも引っ越すことが出来るのだけれど
「無理強いするみたいなことしたくない。ユウが僕にずっといて欲しいって思ってくれるように正々堂々頑張るから」
と宣言していた。
折に触れ可愛らしさを爆発させる彼は自分の魅力を十二分に理解しているし、それをフル活用してもいる。
その上「第三王子」という身分ある自分の言動が、相手にとってどのように効力を発揮してしまうかも承知しているようだった。
ディアはとても強かだと思う。
飄々として見えるけれど、その裏で実は相手の心理をよく読んでいる気がする。
だから「無理強いしない」程度に私の妥協点を探り、自分の要求をのんでもらえるよう交渉していた。
絶妙なさじ加減はきっと経験から身に付けられたものなんだろう。
明日から朝一番に神殿へ通い、朝食も必ず一緒に食べるという約束を取り付けることも忘れていなかった。
抜け目がない。
ふとディアの様子を思い出した私は思わず笑みをこぼしてしまった。
「楽しそうですね、ユウ」
「あ、えっと、ちょっと思い出してしまって。ディアって面白い人だな、と」
正直に告白すると、サフィもゲートも「なるほど」と笑っていた。
「ディアマンテ様は幼い頃から天真爛漫なお方でしたから、きっと素直に成長なさったんだと思います。それに彼はユウの夫候補になれたことが嬉しくて仕方ないんだと思います」
「そういえばディアは王子様だから、本来なら然るべき家柄の女性と結婚する予定はなかったんでしょうか」
王族なら「許嫁」とか、そういう相手がいてもおかしくない。
そう思って尋ねたのだけれど、サフィもゲートも首を横に振った。
「そのような予定はありませんよ。ただの一度も」
「それ故に陛下が頭を悩ませておいでだったんだ。王族の男性は成人前に大抵は相手が決まる。運よく国内で相手が見つかる場合もあれば、他国へ婿入りすることもある。でもディアマンテ様はどんな女性が現れようとも首を縦に振らなかった。縁談話は全て断っていたんだ。そのせいで大変な変わり者だと言われ、男性しか愛せないのではないか、と噂されたこともある」
「男性同士の恋愛や結婚も認められていますから、それはそれでいいのですが、彼の場合はそうもいかない事情がありまして…」
「事情、って?」
表情を険しくした二人に問いかける。
二人は互いに顔を見合わせていた。
そして少し間を置いた後、ゲートが静かに口を開いた。
「実は彼の兄である二人の王子たちは、一度結婚したものの数年子供ができず、離縁されてユエイリアンに帰されてしまったんだ」
「え…?そんな、子供ができないって…たった数年で?」
思った以上にヘビーな事情に愕然とする。
子供ができないから離縁されて実家に帰されるなんて、そんなのかつての世界では時代錯誤な話だ。
ここはそれが現実に起こりうる世界なの!?
「王族の血筋を絶やすわけにはいきません。どの国も必死です。これは王族に限った話ではないのですが、ただでさえ女児が生まれにくいという事情がありますから、その上子供が生まれないというのは大きな問題になるのです」
「種無しだと判断されて離婚というのはよくある話なんだ。それでも夫婦間の絆が強い場合は問題なしとされて、婚姻関係が継続される場合もある。ただし夫としての立場は一番低くなってしまうから、肩身の狭い思いをすることになるだろうな」
何て世界なの…。
同じ夫同士なのに子供がいるかどうかで立場が変わる?
信じられない。
あれ?
「でもどうやって父親を判断するんですか?誰が父親なのか判断できる場合ばかりとは限らないでしょう?」
「もちろん同時に複数の夫がいる状態で生まれてきた子供は、全員が自分の子供と思って育てます。ですが王族の場合はそうもいきません。国同士の政治的な意味合いが多分に含まれた婚姻になりますから、大体は三カ月交代で夫が妻の元を訪れます。一人目が三カ月間通うと、次の三カ月は夫たちは避妊薬を飲んで妊娠の可能性がないようにするんです。そして二人目が次の三カ月間妻の元を訪れる…そんな風にして、父親が判断できるようにしているんです」
「つまりそうやって数年過ごしても、ディアのお兄様たちには子供ができなかった、と…。夫婦の相性がよくなかった、ってことは?」
「なくはない話だ。が、子を持てない夫をいつまでも国に留めておくほど、どこも余裕はないしお人よしでもない。そういうことだ」
ゲートは深いため息をついた。
そうか…どの国も女児が生まれることを望んでいて、その可能性は大きいほどいい。
でもそもそも子を成せないとなれば、その人との間に女児が生まれることはないんだ。
それならさっさと離縁して次の夫を迎える方がいい、多分そういうことね…。
「だからディアには子を成す、っていう期待がかけられているんですね」
「はい。かなりのプレッシャーがあると思います。それにお兄様がお二人とも、ですから…もしかしたらご自分にも子は成せないと思っていらしたのかもしれません。それが神印が授けられたことで、月光神様から夫候補に選ばれたのですから。希望があると確信できたのでしょう。それにユウのお人柄もあります。彼は「ギラギラした瞳」の女性たちには興味を持てなかったそうです」
「どういうことですか?」
「女性にとって男性の身分は高い方がいい。だから自然と王族は夫候補として挙げられるんだが、あまりにも求婚してくる女性たちが王子の「付加価値」の方に価値を見出しているようで、欲にまみれた瞳をしているそうだ」
なるほど…、そういうことか。
どの世界でも同じことが起こるのね。
自分自身を求められるならともかく、自分の身分や財産が目当てとなればディアじゃなくとも嫌になって当然だ。
それに関しては同情を禁じ得ない。
王族って大変なんだ…。
何だか胸が痛くなる。
「ユウ、貴女は優しい人ですね。他人の痛みを自分の痛みのように理解してくださるんですから」
「サフィ…そんな大層なものじゃありません。ただ、どこの世界でも同じような事が起こるんだな、って…」
「人は歴史を繰り返すと言いますしね、人である以上国や環境が変わっても根本は同じなのかもしれません」
「そういう事、少しでも減らせたらいいんですけど…。月光神様にお願いしたらちょっとは良くなるのかな」
せっかく神子になったんだもの、少しでも辛い思いをする人を減らせたら、それに越したことはない。
天窓から見える三日月を見上げる。
すっかり夜は更けて、白い雲が薄く月明かりを遮った。
「さあ、そろそろお休みください。明日に備えて体調を整えないと」
サフィがそう言ってくれて、私はふかふかのベッドに促された。
サイドテーブルにハーブティーを置いて、サフィは自室へ戻っていく。
ゲートは部屋の奥にあるソファに横になっていた。
彼には神子の護衛という任務があるため、夜通しこの部屋にいてくれるそうだ。
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
彼の温かな声に安堵して、私は瞼を閉じた。
続く
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