第6話 月光神の神子(その5)

 一人になった部屋はしんとしていて、少しだけ空気が冷たくなったような気がした。

 さっきまでが賑やかすぎたせいでその落差が激しいせいかもしれない。

 窓から差し込む日差しは温かく穏やかなまま。

 ガラス一枚隔てた向こう側では神官や街の人々がゆっくりと行き来している。

 今まで生きていた世界とまるで違う、小説の中のような世界。

「夢…じゃないんだよね…」

 指先でひんやりとしたガラスをなぞってみる。

 シャボン玉のように割れたりしない、間違いなく現実の感触。

 今では以前までの世界の方が夢の中の出来事のように、ぼんやりとした感覚になっている。

 窓に映る、慣れない自分の姿には戸惑いしかない。

 未だにこの少女を自分だと認識することは出来ていなかった。

 日本人特有の黄みがかった肌は透き通るように白い肌になっていて、今まで染めたことのなかった黒髪はミルクティーのようにまろやかな色に。

 髪質も硬い直毛からふわりとした猫毛に変わっている。

 でも瞳の色だけはかつての私のように焦げ茶色。

「アイドルというよりは、清純派女優…って感じかな」

 ひとりごちてみる。

 落ち着いて見えるのはありがたい。

 もちろん衣装や髪型によってはアイドルっぽい雰囲気にもなりそうだけれど、そうはならないようにしようと決意する。

 そういえば、と前髪を上げて額を見る。

「消えてる…」

 満月に薔薇の花が咲き誇る、月光神様の印が今はない。

 常に浮かんでいるわけじゃないのね。

 サフィたちも同じなのかな。

 彼等に思いを馳せて、改めて三人が「夫候補」だという事を思い出した。

 夫…。

 やっぱりピンとこないなぁ。

 ここに来る前も恋愛は学生のうちだけで、成人してからは特に意識することもなかった。

 干物だったわけじゃないけど、恋愛なんてしなくても充実していたし、必要性を感じていなかったから。

 それが突然三人も夫候補が現れるなんて。

 テレビの中の人にときめくことはあっても、実際に恋愛をしたのなんてもうずっと昔のこと。

 学生の頃の恋愛なんて「恋に恋する」って感じだったから、片想いで楽しめちゃったしね。

 社会人になってからは面倒そうだな、としか思えなかった。

 それでもおとぎ話とかファンタジーは好きで、そういう恋物語にはちょっとだけ、ほんのちょっとだけ憧れもある。

 シンデレラとか、眠れる森の美女とか、プリンセスの物語は良いなと思う。

 だから「夢見る夢子」なんて言われたこともあった。

 その夢子が今度は本当におとぎの国で生きているなんて。

 しかも「月光神様の神子」なんて、漫画かアニメみたいな設定ね。

 そんなことをぼんやり思いながら窓の外を眺めていた、その時だった。

 ふと、一人の男性が立ち止まり驚いたような顔でこちらを見ていた。

 身に付けているのは白金の鎧で、傍らには白馬が大人しく控えている。

 オレンジがかった金髪が陽の光にさらされてキラキラと輝いて見えた。

 私が気付いたことをあちらも察知したらしい。

 すぐに綺麗なお辞儀をしてくれて、私も慌ててお辞儀を返すのを見届けてから、彼は涼やかな笑みを浮かべて立ち去っていく。

「…エルフ…じゃないよね…」

 かつて夢中になって映画館やDVDで観ていたファンタジー映画の、とても麗しいエルフみたいだ。

 あの様子だときっと騎士かしら。

「顔面偏差値、高すぎでしょ」

 この国の平均的な容姿はどうなっているのか。

 それとも騎士や神官、近衛兵はみんな採用条件に「容姿端麗」とでも決められているのだろうか。

 あっちもこっちも眩しいな。


 なんて、くだらない事を考えていたら、部屋の扉をノックする音が聞こえた。

「はい?」

 返事をしてみると

「サフィールです。失礼してもよろしいですか?」

 既に聞き慣れた穏やかな声がした。

「どうぞ」

 答えながら入り口に歩み寄ると、彼は丁寧に扉を開けて入室する。

「私の引っ越しは終わりましたので、これから神子のお側に仕えさせていただきます」

「もう終わったんですか?」

「はい。元々神殿内に住んでおりますし、荷物も多くはありませんので。何かお困りのことや欲しいものはございますか?」

「いえ、大丈夫ですよ」

「それはよかった。では夕食までにお召し変えなさいますか?」

 サフィはそう言ってクローゼットに向かった。

 あの中にはルヴィニさんが置いていってくれた既製品の「山」がキレイに収納されている。

 しばらくの間、というのはオーダーメイドの服が仕立てあがるまでの間、ということのはずだけれどそれにしては多すぎるような気がする衣服を彼女は置いていってくれたのだ。

「さすがルヴィニ様ですね、既製品といいながらどれも素晴らしい」

 感心しながらサフィは服についての感想を漏らすけれど、気になるのは彼女への敬称だ。

「あの、ルヴィニ、様って?」

「はい。ルヴィニ様は公爵家のご出身ですから」

「えぇっ!?どうしましょう、私、さっきルヴィニさん、て呼んじゃいましたよ!?」

 何て失礼なことをしたんだろう、まさか不敬罪にあたったりしない!?

 慌てる私をよそにサフィの様子は変わらない。

「問題ありませんよ。ユウがどのように相手を呼んでも、咎める者は誰もおりませんから」

「え?」

「ディアマンテ様が呼ばれ方にこだわったのもそれがお分かりになっているからです。この国の誰もが貴女に敬称を付けなければなりませんが、貴女は誰に対しても敬称で呼ぶ必要はないのですよ」

「神子だから?」

「はい。当然国王も例外ではありません。因みに国王への謁見は基本的に王がユウの元を訪れる事になります」

「えぇっ!?私が行くんじゃなくて?」

「拝謁することになるのは国王の方ですから、神子に謁見する、と表現する方が正しくなるでしょうか。謁見をお受けする場合は、会場を指定することも可能ですよ。基本的には神殿内の謁見の間をお使いいただくことが多いかもしれませんね」

 カルチャーショックが大きすぎる。

 私は思わずその場に立ち尽くした。

 「神子は唯一にして絶対」というのはこういうことなのか。

 まさか王様より身分が高くなってしまうとは。

 月光神様、本当に私を神子にしちゃってよかったの?

 私至って普通のOLだったし、博愛の精神もなければ聖人君子でもない。

 そんな人間が「神子」になって本当に役割を果たせる?

 いやまぁ、身体の中が整っていれば子供を産むことはできるだろうけど、でもそれだけなんじゃないのかなぁ…。

 というかこの、自分で言うのもなんだけれど華奢な体でちゃんと産めるんだろうか。

 もう心配というか不安しかない。

「サフィ、私…本当に神子なのかな…」

「ユウ…?」

「違うの、あなたたちを疑っているとかそんなんじゃなくて、何ていうか、こんな弱音というか、そういうの、口にするのも申し訳ないんだけど、私、元々ただの平凡な人間だったの。その他大勢、どこにでもいるような、そういう、一般人だったの。そんな私が神子だなんて、自分が信じられなくて。こんなに良くしてもらって、これからの生活だって保障してもらっているのに、何もできなかったら?生命の水だって、何の効果もなかったら…?」

 そうしたら、たくさんの人の希望を裏切ってしまう。

 失望させてしまう…。

 これまでの常識がひっくり返るほどのカルチャーショックは私の思考をネガティブな方へ引きずり下ろしていく。

 プレッシャーなんて生易しいものとは違う。

 鼓動が嫌な音を立てた。

 全身から血の気が引くような、そんな感覚。

 でもそれもすぐにふわりと包み込まれて、波が引くように落ち着いてく。

「サフィ…」

 ともすれば膝から崩れ落ちかねなかった私を、彼がしっかりと抱き留めてくれたのだ。

 背中にまわされた手が、そっとあやしてくれる。

 とん、とん、と鼓動を落ち着けるように。

「いいんですよ、正直な想いを教えてください。怖さも不安も全て吐き出してください」

「あ…ごめんなさい、私…」

「大丈夫、謝らなくていいんです。かつて貴女が生きていた世界とこの世界は、それほど大きく違うのですから」

「うん。全然違ってる。だって王様なんていなかったし、それに代わる立場の人なんて顔は知っていても実際に会う事はおろか、見かける事すら一生の内に一度あるかないか。もしかしたら一度もないままかもしれない。そんな世界だったから…」

「そうだったのですね。それなら国王より身分が上だと分かったら困惑しても当然です」

「困惑っていうか愕然っていうか、もう、恐縮通り越して恐怖かも」

「異界での記憶があるという事は何か意味があるのだと分かっていますが、こんな風に辛い思いをなさるのならいっそのこと、そんな記憶など消して差し上げたい」

 サフィの方が辛そうな声を喉の奥から絞り出すようにして呟く。

 …意味があること、か…。

「サフィ、私のこの記憶、何かの役に立つでしょうか」

「ええ、きっと。それにもう役に立ち始めていますよ。貴女が気付かないうちに」

「どういうこと?」

「月下美人のことです。これまで花弁が食用になるとは誰も思いませんでしたから。もしそれが可能になったら、たくさんの人に配ることができます」

「効果があるかどうか分からないわ」

「そうですねぇ、ではこうするのはいかがです?何事もやってみなければわかりません。これから月下美人を一株、こちらに運んでいただきましょう。そして月光神様に祈りを捧げてみるのです。満月の夜ではありあませんから万全ではないかもしれませんが、もしかすると神子の祈りの力を実感できるかもしれませんよ」

 サフィは抱擁を解いてそういうと、すぐに廊下に控えている神官に声をかけに行った。

 そしてすぐ戻ってくると

「きっと神子の力を目の当たりにしたら、ユウの憂いも晴れるでしょうから」

 とにこやかに告げた。


 小さな蕾を付けた月下美人の鉢植えが届けられたのは、それから数分後のことだった。

 その鉢植えを月の模様が描かれたラグマットの上に置く。

 祈りの捧げ方に難しい手順はなく、ただ心の中で

―月光神様、このユエイリアンに希望をお授けください。この地に生きる人々に月光神様のご加護がありますように―

 と、願うだけで良かった。

 ただし心を落ち着けて、純粋にその願いだけを思い浮かべなければいけない。

 ユエイリアンに新しい生命を授けてもらえるように、人々の幸福を願って…。

 丸い天窓の下、私は両手をそっと組んで目を閉じた。

 そして祈りの言葉を数回、心の中で繰り返す。

 不思議とその間は心がとても凪いでいるような気がした。

 ただ静かに、まるで時が止まっているかのように。


―神子…貴女の祈りはしっかりと届きましたよ。ありがとう…―


 不意に、温かな声が聴こえた。

「月光神様…?」

 まさかと思って目を開くと、そこには透き通るように白く美しい花びらをふわりと開かせた月下美人があった。

 甘い香りが鼻をくすぐる。

「サフィ…!!これって」

「はい。神子の祈りが届いた証です。貴女はちゃんと、月光神様の神子なのですよ」

 隣にしゃがんで視線を合わせたサフィはそう言って、私と同じくらい、もしかしたらそれ以上に喜んでくれていた。

 本当に良かった…。

 心の底から安堵してこぼした吐息に、白い花びらが微かに揺れる。

 甘く優美な芳香が胸を満たす。

 真夜中でもないのにそっと花開いた月下美人。

 サフィは下向きに開いた花弁の真下にガラスの小瓶を置く。

 するときらきらと光る雫が数滴零れ落ちた。

 コロンとした水滴が底に当たって一つになる。

「生命の水ですよ」

「こんな風に出来るのね…うん、いい香り」

 花特有の香りは小瓶の中に貯まったわずかな水からもする。

「ユウ、これは希望ですよ。今はわずかだとしても、願い、祈り続けることでいつか必ずこの瓶をいっぱいにすることができます。人々の営みも同じだと思いませんか?」

「小さな一歩でも、歩み続けたら千里にもなる…そういう、こと?」

「そうです。そうやって人は生き、歴史を紡いできたんです。だから焦ることはありません。何事も、こうして一つずつ試していけばいいのです。もし出来ないことがあったとしても、それはきっと神の手を離れた物事かもしれませんし、他の誰かがやってくれることかもしれません。誰かの苦手なことは誰かの得意なことですから、そのくらいに考えていいんですよ」

 ね?と、サフィは少し茶目っ気のある視線をなげかけてきた。

 そんな仕草も不思議なほど似合ってしまう、彼の言葉はすんなり私の中に溶けていく。

「ありがとうございます、サフィ。私、もう大丈夫です」

 そう言って笑みを向けると、彼も満足そうに笑って私の頭を撫でてくれたのだった。





 続く

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