第5話 月光神の神子(その4)
時折私の手をそっと包んでくれるサフィの手は、華奢な印象と裏腹にとてもしっかりしていて頼もしい。
長い指は少し骨ばっていて、掌は厚くかたい。
でも伝わってくる体温はサフィの心みたいに温かだ。
サフィは流れてくる髪を耳の後ろにすっとかけて、静かに口を開いた。
「私は今でこそ神官としてこうして生活できていますが、元は捨て子だったんですよ」
「捨て子…?」
「ええ。両親にどのような事情があったのかは分かりませんが、私はこの神殿の門のところに捨てられていたんです。それをシンケールス様が拾ってくださり、慈しんで育ててくださいました。だから私は生涯をかけてシンケールス様に恩返しをしていきたいと考えていたんです。そもそも神官は月光神様に仕える身ですから、生涯独身のはずでした。神印が浮かぶまでは」
「…後悔、していますか…?」
それはちょっと悲しい。
もしも私が現れたことでサフィの決意や将来の道を壊してしまっていたらと思うと、背筋がひんやりとする。
でもサフィは
「とんでもない!!これ以上の幸せはないほどに嬉しく思っています!!」
力強く否定してくれた、そのことにホッとする。
…うん…?何で私、こんなにホッとしてるんだろう。
いや、そりゃ誰だって嫌われるより好かれる方が嬉しいし、これから一緒にいる時間が多くなるであろう人だから、嫌われたくはない。
サフィの本心は言葉だけでなく、私の手を包む大きな手に力が込められたことからも感じ取れる。
「私は本当に喜んでいるんですよ。まさか捨て子の私に神印が浮かぶなんて、思ってもみませんでした。それにこれまで神官で神子の夫に選ばれた者はいませんでしたから。ただ…もしかしたら、とほんの少しだけ希望を持っていたのかもしれません」
ふわり、浮かんだ微笑みが柔らかく彼の頬をほころばせた。
「時折月光神様が夢で教えてくださるんです。どこの家に女児が生まれるとか、子宝に恵まれない夫婦がいるから助けてあげてほしいとか、色々と。最初はただの夢だと思っていたんです。ところが全て月光神様の仰ったとおりで、私は神殿でも特にご加護の強い神官だと認めていただけたのです。これでシンケールス様のお役に立てると思いました。より一層神殿とシンケールス様のために頑張ろうと。今まではただ純粋にそれだけだったんです。でも昨夜シンケールス様に月光神様からの神託が降りた時から、期待してしまっていました。
神官なのに、とても浅ましいことです。でも…どんなに自分を戒めようと思っても、心の奥底から嬉しさや喜びが湧き上がってくる。ましてや神印が浮かんだ時など、涙が出るほど感動に震えました。こんな奇跡があるのかと…」
切々と語られるサフィの想いは、ともすれば重く感じられるものかもしれない。
けれどその純粋さに嫌悪感は一切なかった。
こんな風に誰かを想って生きられる人は、どれほどいるだろう。
少なくとも今まで私の周囲にはいなかった。
誰かに恩返しがしたいと真剣に考え、生きていこうとした人なんて見たことがない。
でもサフィは真っ直ぐに相手を想える人なんだ。
「ありがとうございます、サフィ」
「そんな、お礼など」
「でも、私今ホッとしてるんです。あなたに嫌われていなくてよかった、って」
「嫌うはずがありません。貴女が神子でよかった。あなたの心も魂も、とても綺麗ですよ」
「分かるんですか?」
「ええ。何となくですが、貴女の感情が伝わってくるんです。戸惑ったり人の心配をしたり、でも少しも悲観せずに前を向いている。突然この世界にやってきて、困惑してショックを受けてもおかしくないのに」
「そんなに買い被っちゃダメですよ。もしかしたら本性はとんでもない我がまま娘かも」
「女性の我がままに付き合うのも男としては幸せなものですよ」
サフィはわざと自分の胸を叩いて、どんとこい、と構える。
思わずそれに笑ってしまうと、彼もつられて笑い出す。
そうして二人でひとしきり笑った頃、意気揚々と準備を整えたディアが戻ってきたのだった。
神殿に戻ってきたディアは一人ではなかった。
連れてきたのは二人。
一人はいかにも「ザ・親方」といった様子の家具職人。
もう一人は燃えるように赤い色をした長い髪でポニーテールを作り、ひらひらした中世貴族様のようなドレッシーな服装(ただしドレスではなくパンツルック)のド派手な美女。
でも不思議と下品には見えなくて、むしろ本人の美しさが際立つバランスの良さ。
見るからに服飾関係の人だろうな。と思っていたら大正解だった。
ラウルスどころかユエイリアンの流行を作り出すほどの「王室御用達」の仕立て屋、ルヴィニさんと言うそうだ。
彼女はディアと同じかそれ以上に張り切ってお店にあった既製品を見繕ってきてくれて、家具や調度品を選んでいる間に服の展示と採寸の準備まで整えてくれた。
とにかく使いやすさとシンプルさを重視した家具などはすぐに決まり(ディアは「もっと飾りのあるもの選んでいいんだよ???」としきりに言っていたけれど)「ザ・親方」は「腕が鳴るぜ!」と勇んで帰っていった。
そして問題は服である。
今着ているのは着心地もよく、シンプルで清楚なイメージのワンピース。
コルセットや何やらで締め付けられるのは苦手だから助かっていたのだけれど、ルヴィニさんが用意してくれた服の大半はまさにおとぎ話に出てくるお姫様のもので。
…あんなにウエストしぼるの…?
ムリ、私絶対着られない。
トン
「ユウ?大丈夫ですか?」
「え?あ、ごめんなさい」
無意識にどんどん後ずさっているとサフィにぶつかってしまった。
でもサフィは動じることなく受け止めてくれる。
ディアも不安げにこちらを見つめていて
「ごめんね、ユウ。もしかして好みのドレスじゃなかった?」
と。
そうじゃない。そうじゃないのよディアー!!
叫びたい衝動をぐっと飲み込んだ。
分かってる、これはディアの純粋な厚意なの、分かっているわ。
ただその方向が私の中の常識とかアイデンティティとか、その他諸々と噛みあってないだけで。
しかし噛みあっていないのはそれだけではない。
「もしかしてユウはご自身のお姿で想像できていないのではありませんか?」
サフィが指摘してくれたことで気が付いた。
そうか、私36歳じゃないんだ。
しかもかつての姿とは程遠い…少女になっていたんだわ…。
いやでもあの姿は幻だったりしない?
私が都合よく見間違えたとか…
「そっか、ユウ!よく見て。貴女はとっても可愛いくて素敵だよ!」
違った。
バンッと全身を映す姿見の中にいたのはやっぱり手鏡に写っていたのと同じ、とても自分とは思えない愛らしい少女。
どう見ても10代だ。
せめてもの救いは後半だろうということぐらいか。
それでも十分若返っているけれども。
うーん…確かにこの外見だとお姫様ドレスが似合ってしまう。
でもなぁ。
「コ、コルセットつけないとダメですか…?」
控えめに口にしてみた。
それに反応したのはルヴィニさんだ。
「あら、そんなことないわよ。正装となると必要だけど、普段からコルセットで締め付けていたら病気になっちゃうわよ」
さらっとそう言ってくれた。
「それにさっきの家具もそうだったけど、あまり華美なものはお好みじゃなさそうだから、今着ているようなワンピースに近いイメージのものはいかがかしら」
「ぜひ、お願いします!」
強めに乗っかると、あらあら、と笑顔を浮かべてたくさんある既製品の中から数着選び出してくれた。
それはどれもシンプルなデザインでコルセットの必要もない着心地の良さそうなものばかり。
代わりに施されているのは細かな刺繍で、とても手の込んだなかなかの品であることも見て取れた。
色味も淡い春色で心がふんわりするようなものだから、記憶にあるかつての自分と目の前で鏡に映る自分とがかい離している今の私でも着てみたいと思うものだった。
「うん、この辺りがちょうどいいみたいね。普段着用の服は出来るだけ同じテイストで仕立てるようにするわ。他にも好みがあったら教えていただける?」
「着心地と機能性重視でお願いします。あとは落ち着いた雰囲気のものがいいかな」
「色は?」
「えーと、パステルカラーが好きです」
「アクセサリーはそうねぇ、こんな感じはどう?チャームは小ぶりだけど、輝きは一級品の石を使っているから上品に映えるわよ」
取り出されたのはダイヤによく似た石が胸元で揺れるデザインのネックレスに、イヤリング。
イヤリングも石自体は小さいけれど、少し動くだけでチラチラと揺れて星のような輝きが反射される。
その後も控えめな色使いのクリスタルガラス、いわゆるビーズで編まれたレースのネックレスやブレスレットなどが、いくつかの装飾品を組み合わせて身に付けられるよう、選び出された。
試着してみるとどれも地味になりすぎず、とてもバランスよくすっきりとしていて、愛らしい少女を大人にも見せてくれるし「神子」としての清楚さもしっかり確保してくれていた。
「うん、やっぱりいいわね!あとはこれから仕立てる服の採寸をさせていただけるかしら?」
「はい」
「じゃあこちらにいらして」
目隠しになっているパーテーションの後ろへ案内された。
「本当は脱いで採寸する方がいいんだけど、神子をそんな姿には出来ないし私たちは直接神子の肌に触れてはいけないから、そのワンピースの上から採寸させてもらうわね」
「よろしくお願いします」
「あまり緊張しなくて大丈夫よ。リラックスした状態で、しっかり呼吸をしていてくださいね」
ルヴィニさんはそう言うと、首にかけていたメジャーを手にとり素早く採寸を始めた。
首回りに手足、背中から腰、身体のあらゆる部分を測っていく。
こんなに全身を測られることなんてないから、リラックスと言われてもつい息を詰めてしまう。
けれどルヴィニさんにとっては想定内のようで「はい、息吐いて」と所々で声をかけてくれた。
そのおかげで驚くほどスムーズに採寸は終わり、今度は生地選びが始まった。
「神子のご希望に沿うものだと、生地はこの辺りがいいんじゃないかしら。しっかりしているけど肌触りが柔らかくて、伸縮性もあるからどんな姿勢でも楽に着ていられると思うの」
「多分ラウルスで流行りだすだろうから、ある程度の量を確保できる生地がいいんじゃない?」
「もちろん、それも織り込み済みです。今提示した生地はどれもラウルスに近い場所で作られているし、手に入りやすいから安心よ」
「それならそれぞれの生地を使って一着ずつ作るのはどう?そうすれば分散するから、あちこちの職人が忙しくなるし農家も潤うでしょ」
ディアはそんな相槌を打っていた。
職人や農家…?
それにラウルスで流行り出すって…もしかして…。
「あの、神子の衣装って街の流行りになるんですか…?」
「ええ。特別な方の真似をしたい、っていう憧れはみんな持っていますから。きっと神子がお召しになるワンピースと同じタイプの服を着た女性が増えるでしょうし、色も取り入れていくと思いますよ」
「それに伴ってあちこちで服が作られるようになるから、職人だけじゃなく材料を生産している農家の人たちも嬉しい悲鳴をあげることになるんだよ。経済効果も抜群」
なるほど、神子は「アイコン」でもあるってわけね。
ルヴィニさんのセンスと腕は確かなものだから、きっと素敵な服が出来上がるだろう。
それを私が着ることで真似をする女性が増え、経済が回る。
そこまで考えて生地選びをしていたなんて、実はディアって「出来る」ひとなんじゃないだろうか。
王子様というのも伊達じゃない。
「あ、でもねユウ、それもあんまり考えすぎなくていいからね。経済だとかそんなことは僕たちの仕事であって、ユウはのびのびと生活してくれていいんだ。自分らしく、楽しくね」
「多分に流行の発信源になることは間違いないけれど、それは人々からの信仰心の現れ…つまり、みんな神子に好意をもっているんだ、くらいに受け止めていただけると嬉しいわ」
二人は交互にそう言ってくれる。
隣で話の流れを見守っていたサフィも微笑んで頷いていた。
そっか…。
「私らしく」ていいんだ…。
今まで一人で何とかしなきゃ、って考えることが多かったから、自分らしさを優先したことはほとんどない。
自分が我慢すれば、自分が一生懸命やれば、摩擦なく物事は進められるって思ってきたから…。
「ユウ、貴女の幸せがみなの幸せにつながります。だから貴女は自分が一番幸せでいられることを大切にしていいんですよ」
「そうそう!神子の役割だとかみんなの期待だとか、色々感じちゃうかもしれないけどそれはそれ、ユウが一人でどうにかしなきゃいけないものじゃないからね。神子の役割については神殿が全面的にサポートしてくれるし、日常生活のサポートは僕たちがする。ユウの笑顔がご褒美だから、たくさん見せてくれると嬉しいな」
そう言ってくれるディアの笑顔の方がご褒美みたい。
素直であったかい、満面の笑み。
それはサフィやルヴィニさんも同じ。
今の私はこんなに温かな想いに囲まれている。
「ありがとうございます、ディア、サフィ」
「俺のことも忘れないでくれると嬉しいんだが」
「ゲート!」
いつの間にか扉の所にはゲートがいた。
「隊長と話をつけてきた。ついでに国王とも」
「父上と話したの?もしかして近衛隊の編成について?」
「はい。隊、全体については今頃再編成されていると思いますが、ひとまず俺は神子の護衛任務になりました」
「私の?」
「まあそうなるよね。ってことはユウと一緒にいられる時間が一番短いのは僕ってこと!?あぁもう、なんてこと!!」
見るからにしぼみ始めてディアがうなだれる。
「ただでさえ仮成人という若干ハンデがあるのに?ねえユウ、お願いだから食事の時ぐらいは僕の隣にいてね?昼間は一生懸命仕事頑張ってくるから、一緒にいられる時はたくさん話をしたり出かけたりしようね!」
私の両手をとって目を潤ませながら懇願してくる様子は、ホント、子犬そのものだ。
そしてそんな彼を見るサフィとゲートは優しく笑っていた。
するとしばらく私たちのやり取りを眺めていたルヴィニさんが立ち上がり
「三人が月光神様に選ばれた理由が分かった気がするわ。私も力になりますから、何でもおっしゃってくださいね。それじゃあ、早速腕を振るってまいりますので、これでお暇いたします」
と言って片手を軽く上げて指先をひらひらさせながら帰っていった。
入れ違いにシンケールス様がやってくる。
「神子、お疲れ様でした。この後は夕食までゆっくりお寛ぎくださいね。サフィールとアガート様は隣室への引っ越しがありますから、準備を整えてください。ディアマンテ様は国王からのお呼びがかかっていらっしゃいますよ。今後の打ち合わせがあるそうです」
「それじゃあ一旦解散だね。ユウ、また夕食の時にね」
「ああ、後で会おう」
「少しの間、失礼しますね」
三人は口々にそう言うと少し名残惜しそうに部屋から出ていくのだった。
続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます