第4話 月光神の神子(その3)

「おや、皆さん少しは打ち解けられたようですね。安心しましたよ」

 食事の給仕が始まると同時に姿を見せたシンケールス様は開口一番、にこやかにそう言った。

 あれから小難しい話は後回しにして、この国の食事事情や城下町の様子、流行りものなどを教えてもらううちに私は随分リラックスできるようになっていた。

 三人の呼び方も「様」付けから「ディア」「サフィ」「ゲート」と呼ぶことで落ち着いた。

 私を名前で呼ぶのだから、自分たちも敬称は必要ないという事だ。

 でもそうやって愛称で呼ぶことで距離感が近くなった気がするのも確か。

 おかげでそれからの話は途切れることなく弾んでいた。


 ユエイリアンは大陸の東にあり、海も山もあるため食料は豊富で種類も数えられないほど。

 地方によって主に使われる食材が違うから、味付けや調理法も様々。

 そのいいとこどりが出来るのが国の中枢を担うここ「ラウルス」。

 王宮や神殿の他にも城下町にはユエイリアンを代表するレストランや劇場、老舗の宿屋、市場に流行の発信地となる洋服店や美容室、宝飾店などがあり、大きなギルドも存在する。

 ファンタジーゲームに良くある大きな城下町を想像してもらえば分かりやすいと思う。

 生活に必要なものはすべて揃っているし、何不自由なく暮らすことができる。

 医療に関しては神殿がその役割を担っていて、お医者様は神殿内の診療所で診察をしている。

 そういった関係から神殿の敷地はとても広く、儀式や神事を執り行うためのまさしく「神殿」の役割を担う建物とは別棟に診療所があり、一般に開放されている庭園とその奥には関係者のみが立ち入ることのできる薬草園があるそうだ。

 そこには植物園が併設されており、温室も二つ完備されている。

 一つは特に重要な「月下美人専用温室」だ。

 庭園やもう一つの温室は庭師が育成、管理しているけれど、月下美人だけは専門の神官だけが携わることを許されているのだとか。

 立ち入ることが出来るのも神官と神子、そして月光神に認められた神子の夫のみとなっている。

 しかも神子の夫は単独で立ち入ることはできず、神子との同伴が絶対条件なのだそう。

「今のところ僕たちの中で入れるのはサフィールだけだね」

「そうなりますね。月下美人だけはどうしても厳重な管理が必要なのです。月光神様のご加護の宿った大切な花ですから」

 月下美人は私にとっても大切な花。

 確か満月の夜に祈りを捧げて「生命の水」を作るのよね。

「生命の水はどうやって作るんですか?」

 それまで、にこやかに私たちを見守りながら食事を共にしていたシンケールス様に問いかける。

 答えるために口元をナプキンで拭う仕草さえも優雅に見える。

「月に一度満月の夜に月光神様に祈りを捧げていただきます。この部屋のあちらに天窓があるのですが、その下で行うのですよ。もちろん月明かりが注ぐ範囲に月下美人を並べて、そこから生み出される雫を採取するのです」

「だからこの部屋はこんなに広く作られていたんですね」

 なるほど、一人部屋なのにどうしてだろうと思っていたら、そういうことなのか。

「なにしろ一輪の花から採取できるのはほんのわずかですからね。いくら女性が少ないと言っても、国中の女性全員に差し上げるまでにはなかなか」

「そうなんですね…。あの、生命の水を採取した後の花はどうするんですか?」

 確か花とがくの部分は食べられるし、焼酎に付ければ花酒として飲めたはず。

 おぼろげな記憶をたどってそんなことを思っていると、シンケールス様だけでなく他の三人もきょとんとした顔でこちらを見ていた。

 あれ?

「しぼんでしまった花は残念ですが…」

「え?食べたり飲んだりしないんですか?」

 そういえば台湾ではスープの具材になっていた気がする。

 漢方として親しまれている、って旅行雑誌にも載っていたから。

 でも男性陣の反応は相変わらず。

 こっちでは飲食用にしていないのかしら。

 それもそうよね、神様の加護がある花を食べるなんて、とんでもない事なのかも。

 そう思ったのだけれど。

「神子、月下美人は食べられるのですか?」

 ぐいっとわずかに身を乗り出してシンケールス様が問いかけてきた。

 心なしか儀式の時の威厳たっぷり迫力たっぷりのあの雰囲気が出てきている。

「月下美人の花はお酒につけると綺麗なまま10年くらい保存できるそうです。それからおひたしやてんぷらにして食べると美味しいと聞いたことがあります」

「神子、お食事中に申し訳ありませんが、もう少し詳しく教えていただけますか?」

 背筋を正したシンケールス様は素早くメモを取る準備万端だ。

「は、はい」

「まず、お酒の作り方から。それと「おひたし」と「てんぷら」とはどんなお料理でしょう?」

「お酒は蒸留酒を使います。花弁を氷砂糖の入ったお酒に付けるだけで、確か3か月ほどで飲めるはずです」

「こおりざとう、とは?」

「ええと、砂糖の結晶…だったかと」

「ふむふむ」

「おひたしというのは、花弁を茹でてお醤油と合えたもので…お醤油っていうのは大豆から作られるんですが…」

 あるのかな、この世界に。

 と思ったら。

「なるほど。それなら少し調べていただきましょう。見つかるかもしれません」

 全力で本気になっているシンケールス様は「かもしれない」では済まさないだろうと思う。

 絶対見つける気だ。

 なければ作ると言い出しそうだな。私、醤油の作り方なんて知らないよ…?

 月下美人が飲食出来るのもたまたま行った植物園で知っただけだし。

 まさかこんなところで趣味が役立つとは思わなかった。

 水族館や博物館、美術館を巡るのが大好きだった私は、ついでに植物園やハーブ園などを回るのも好きだった。

 でも大丈夫かなぁ。

 今は少しだけシンケールス様の本気が怖い。

 などと若干引き気味になっていると

「料理については「ひだまり亭」のグラナートに相談してみてはいかがです?」

 ゲートが提案してくれた。

 そこにサフィがのってくれる。

「確かにグラナートなら何とかしてくれるかもしれません。シンケールス様、明日にでも私が行ってまいります」

「ありがとう、サフィール。そうですね、それなら神子も一緒にお連れして差し上げてください」

「いいんですか?」

 思わぬ提案に嬉しくなる。

「そのように喜んでいただけるのは私にとっても幸せです。いかがでしょう、こちらの三人とご一緒に城下町の散策もできますよ。護衛に聖騎士がつきますので少し仰々しくはなってしまいますが、街の人々も喜んでくれるでしょうから」

「でも皆さんお仕事があるんじゃ…」

「神子以上に優先すべき仕事などこの世界には存在しませんよ、大丈夫です」

 そうは言ってもゲートは近衛兵だったはず。

 王様の護衛は?

 ゲートに視線を向けると

「シンケールス様の言う通りだ。この後一度戻って隊長に報告すれば、すぐに明日の予定を変更してもらえるから心配するな」

 浮かべられる微笑みはまさにキラースマイルというやつだと思う。

「っ」

 こんなカッコいい人に微笑まれるなんて経験ないのよ、こっちは。

 心拍数が上がりまくって心臓が痛い。

 普段は淡々としていて「武人」て印象が、笑うと目が細くなってくしゃっとした笑顔になるのに、それがまたすごく優しい目をするものだから性質が悪い(たまらない)。

 そして私のそんな様子を見ているディアはやっぱりちょっと拗ねていた。

「もう、ゲートばっかりズルい。いいもん、僕はこの後いいところ見せるんだから!」

 張り切る姿はとても愛らしくて、こちらはこちらで美少年のそういう姿はとても癒される。

 でも「この後」って?

「ふふ、食事が済んだらこの部屋の模様替えをするんだよ」

「模様替え?」

「うん。ユウの好みに合わせた家具や調度品を選んでね。それから服も。といっても仕立てるには少し時間がかかるから、今は既製品になっちゃうけど」

「服まで用意してくださるんですか?」

「もちろん!生活に必要なものは全て国が用意するから心配しないで」

 って、それってつまり税金で賄うって事でしょう!?

 いやいや心配するどころか恐縮です…。

 出来るだけ節約できるようにしなくちゃ!

 心の中でしっかり決意を固める。

「ユウ、大丈夫ですよ。神子の恩恵は金銭的価値では表せないほど貴重でありがたいものなのです。申し訳ない、などと思わないでくださいね」

「え…気付いてたんですか…?」

 何故かサフィは私の心を見透かしている。

 そう言えば最初からそうだった。

 まるで心を読んだみたいに言い当てていたっけ。

 サフィは穏やかな瞳で私を見つめる。

 そうだった…この人も美人さんなのよ、そういう顔して見つめられると何ていうか、心臓が…私早死にするんじゃないかしら。

 高鳴る鼓動は収まりそうにない。

 月光神様、こんなに至れり尽くせりでいいんでしょうか。

 夫になるとかどうとかそんなことは置いておいて、今まで出会ったことのない美男子たちに囲まれて嬉しくないはずはない。

 しかもみんな優しい…!!

「そんなに喜んでもらえるとは、提案して本当に良かった。もし明日の散策が気に入ったら、週に一度「お忍び」で出かけられるように予定を組みましょう」

 シンケールス様の提案は私としても大歓迎。

 ウィンドウショッピングするだけでも楽しいものね。

 ワクワクしている私をシンケールス様は優しく見守ってくれる。

 その眼差しは慈愛に満ちていて、何だか本当にお父さんみたいだな、と思う。

 もしもお父さんが生きていたらシンケールス様と同じか少し年を取ったくらいだから、余計にそう思ってしまうのかもしれない。

 少しだけ胸が締め付けられる。

 そんな私の心を感じ取ったのか、サフィがそっと左手を握ってくれた。


 貴女は一人じゃありませんよ。


 サフィのその言葉が聞こえた気がした。

 するとシンケールス様は神妙な面持ちになり、彼に向き直る。

 そして

「サフィール、あなたを神子付きの神官に任命します。いいですね?」

 と告げた。

 それはまるで覚悟を問うようなもので、一瞬にして空気がピンと張り詰めた。

「喜んで、誠心誠意務めさせていただきます」

 迷いのない凛とした態度でサフィは強く頷き、その様子にシンケールス様も満足げに微笑む。

 そうして和やかな空気が戻ってきた頃私たちの食事も終わり、報告のあるゲートは近衛隊へ、この部屋のカスタマイズに張り切るディアはしっかり準備をして戻ってくることを約束してお城へと戻っていった。





 部屋には食後のお茶とサフィと私だけが残っている。

 初めての二人きりというシチュエーションに気まずくなってしまうかと思ったけれど、サフィの雰囲気がそうはさせなかった。

「ユウ、窓から少し外を眺めてみませんか。ここからだと庭園や薬草園が見られますよ」

「はい」

 先に歩き始めたサフィに促され、窓辺に二人で立ち並ぶ。

 視界一杯に広がるのは色とりどりの花が咲き誇る美しい庭園と、青々とした葉がしっかりと育った薬草園。

「なかなか見事な庭園でしょう?ほら、あそこを歩いているのはラウルスの人々ですよ」

 示された先にいたのは、まるでヨーロッパの民族衣装のように細かな模様が施されたワンピースを着た女性や、シンプルなパンツスタイルに白いシャツと焦げ茶色のベストを身に付けた男性が歩いていた。

 どうやら服のスタイルは中世ヨーロッパに近いのかもしれない。

「今日はまだ神殿の組織も国の組織も正式に決定していないので外へ出られないのですが、色々決定して落ち着いたらいつでも外へ出られますよ」

「そうなんですね、良かった。あ、でもそれって、つまり…」

「ええ、少し窮屈かもしれませんが、神子専属の騎士がついたり周辺を警護する傭兵が配属されます。明日、街へ行く時も護衛が数名就く予定ですよ。本当は自由に出歩かせて差し上げたいのですが…」

 とても心苦しそうに言うから

「いえ、いいんです!何となく予想出来ていましたから」

 慌てて私は否定した。

 それにそういう対応をされるのはサフィのせいじゃないから。

「月光神様の神子、だから。私が思っている以上に大切なんですよね、皆さんにとって」

「ユウ…。もちろんこの国の誰にとっても神子は特別な存在ですよ。でも私は…私はそれだけではなくて、貴女だから大切なんです」

 切なげに眉を寄せて、サフィはそう告げた。

「サフィ…?」

「少しだけ、私の話をしてもよろしいですか?」

「もちろん」

 サフィは私をソファにエスコートしてくれた。







 続く

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