第9話 未来
いつからだろう。
人間を殲滅する勇者が現れたのは。
いつからだろう。
魔物を殲滅する魔王が現れたのは。
そして。
いつからだろう。
殲滅する者が。
姿を消したのは。
◇◇◇◇◇
「最近ママから魔王と勇者のことを教えてもらったんだけど、本当にいるの?」
静かな住宅街。ある家の前に置かれている椅子に、成人女性と少女が並んで座っていた。
「いるよ」
「でも、数百年も現れてないんでしょ? 死んでるんじゃない?」
「二人は簡単に死ねないんだよ」
「そうなの?」
「魔王は勇者。そして、勇者は魔王にしか殺せない」
「ふーんそうなんだ。ねぇねぇ。もっと二人のこと教えて」
「どうして知りたいの?」
「だって、ママが私の質問に答えてくれないの?」
「質問って?」
「二人がどんなことしたのって聞いたら、悪いことだよとしか言わないの」
「そうなんだ……うーん、教えてあげたいけど、ママが悪いことだよ、としか言わないんだったら、私も悪いことだよ、としか言えないかな」
「えー! なんでー!」
「あまりよそ様の教育方針に干渉すべきじゃないから……って言ってもわかんないよね。ごめん、ごめん」
女性は「きょーいく、ほう、しん?」と首を傾げる少女の頭を撫でる。
「二人のことを知りたいなら文字を読めるようになって、『反逆』って本を読めばいいよ」
「はん、ぎゃく?」
「そう。その本には二人のことが詳しく書かれてるから」
『反逆』は史書だ。著者は魔王と勇者が同胞を殺戮した時代を生きた隻腕の魔物。
勇者と魔王の被害にあった者たちの話。そして、著者が体験した出来事が包み隠さず記されている。
そのため、大人であっても恐怖で震え、顔を大いに歪める。
「でも、その本は数が少なくなってるから、この街にあるかわかんないな」
「そうなの? なんで数を減らしてるの?」
「なんでだろうねー。重要な本なのに……何が無駄に恐怖心を煽るなーだ……」
「ん? 何か言った?」
「なんでもないよー」
女性の小言を気にする少女だったが、カランコロンと、鈴の音が響き、そちらに注意を引かれる。ベンチ横のドアが開かれ、一人の女が姿を見せた。
ベンチに座るにこやかな女性とは違い、女は無表情だった。
「……」
少女の臀部から生えるふさふさの尾が女性の腰に巻きつく。怯える表情を見せる少女に、女は表情を変えることなくある物を見せた。
「パン。食べる?」
「……う、うん」
少女は恐る恐るパンを受け取る。
「私も食べるー」
女性も手を出す。何も乗らなかった。
「え? ちょっと! 私の分はないの!」
「……さっき食したろ。夕食まで待て」
「うー……はぁ、しょうがないな」
二人が話す中、子供がパンを口に含んだ。
「おいしー!」
少女の顔が幸福に満ちた笑顔へと変化するが、すぐに怯えが加わる。
少女がチラチラと女に視線を向ける。女は家の中へと帰って行った。
「……そんなに怖かった。あの人」
女性は少女がパンを食べ終えてから訊く。
「うん。だって、無表情なんだもん」
「でも、あなたにパンをくれた優しい人でしょ?」
「そう、だけど……」
「怯えるのはやめてあげて。あなたも優しくしたのに怯えられたら嫌でしょ?」
少し強い口調に、少女の瞳に涙が溜まる。
「……うん……次は、怖がらない、ように、するね」
「うん。そうしてあげて」
柔らかい笑みを浮かべた女性は少女の頭を撫でる。少女の瞳から涙は引き、顔が綻び、尾がひっきりなしに動く。
子供は自由だ。さっきまでの話を忘れ、違う会話を始める。と思いきや、いきなり椅子から立ち上がった。その勢いのまま地面を蹴り。
「ママー! ママ―!」
母親に飛びついた。
「良かった。お母さんが見つかって」
その光景に女性は相好を崩す。少女は母親の服を引っ張り、戻ってきた。
「娘を保護してくださりありがとうございます」
「お礼なんていいですよ。迷子の子供を保護するのは当然です。それに娘さんと遊べて楽しかったですから。ねっ?」
「うん。すっごく楽しかったよ。それに、パンも美味しかった」
「パン?」
少女の発言にチャンスだと、女性の瞳が光る。
「最近この街に引っ越してきまして、パン屋を開くんですよ。明日から開店ですので、もしよかったら買いに来てください。前に住んでいた街では結構人気の店だったんですよ」
「そうなんだ! ねぇママ! 明日買いに行こ! すっごく美味しかったんだよ!」
女性は『最高の援護射撃!』と少女の頭を撫でまわしたくなるが、母親の前なので自重する。
「そうなの。なら、明日はママと来ようね」
「うん!」
「ありがとうございます!」
女性は『お客様獲得!』と二人に見えないよう、握りこぶしを作る。
「でも、前の街で人気だったのに、なぜこの街へ?」
「ああ。それは、この街の幸福を見るためです」
女性の頭から商売繁盛という言葉が消え去り、言葉に重みが加わる。
「世界中の幸福を見たい。だから、この街も数年したら出て行くと思います」
「ええー! そんなの嫌だよ!」
「ごめんね」
女性は膝を折り、少女と目線を合わせる。
「でも、それが私たちの宿命だから」
「私たち?」
上から質問が降ってきた。
「家の中にもう一人いるんだよ。無表情だけど、わたしにパンをくれた優しい人」
「今は開店の準備をしています」
質問に答えると、母親は申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「本当にすみません。開店準備で忙しい所、娘の面倒を見ていただき」
「だから気にしないでください。私とすれば、二人に出会えてよかったです」
女性は二人から少し離れ、視界に娘と母親を入れる。
「こんなにも幸福な家族を見ることができたんですから」
この言葉に打算的な考えはない。心からの気持ちだ。
母親は恥ずかしそうに頬を染めるが、娘は嬉しそうに母親に抱き着く。母親の羞恥は薄れていき、家族は幸福な笑みを向け合った。
「開店準備で忙しいでしょうから、私たちは失礼します。お姉ちゃんにバイバイしようね」
少女は母親に言われた通り、笑顔で大きく手を振った。
「バイバイ。夢魔のお姉ちゃん!」
そして、少女はさらに大きな声で続けた。
「人間のお姉ちゃんもバイバイ!」
幸福な家族が帰っていく。
少女は尾を大きく揺らしながら、母親と楽しそうに話している。
母親も楽しそうに話しているが、尾は揺れていない。そもそも、尾が存在していない。
「うん。本当に幸福な家族だ」
女性は嬉しそうに言葉を漏らす。
魔物と人間の家族を眺めながら。
……ある時を境に、摂理が崩壊した。
魔物と人間は、苦しんでいだ。
それは、同じ苦しみだった。
魔物と人間は、裏切られた。
それは、同じ悲しみだった。
魔物と人間は、絶滅しかけた。
それは、同じ危機感だった。
そこまでしてようやく。
相反する存在だった魔物と人間は、手を組んだ。
生き残るために。
そこからだった。
魔王と勇者の目撃情報が減ったのは。
数百年をかけて、魔物と人間は数を増やしていった。滅びた街を復興させた。
魔物と人間は共存している。争うことなく、平和が保たれている。
それはこれからも続く。と。
どうして言い切れるだろうか。
魔物と人間が手を組んだのは多くの危機感があったからだ。
しかし、今は一つしかない。
魔王と勇者の存在。
その危機感は今の時代、ないに等しい。
今を生きる者たちは、魔王と勇者に対する恐怖が薄れている。むしろ、恐怖を忘れさせようという動きまである。『反逆』の数が減っているのもその動きが原因だ。
今を生きる者たちは平和だけを知っている。恐怖は物語だけの存在だ。
平和が常である者たちは、平和が幸福であることを忘れ、常に幸福な世界を願わない。
恐怖が常でない者たちは、恐怖が不幸であることを忘れ、常に不幸でない世界を願わない。
願いは想い。常に願うからこそ、それが思想となる。
願うことを忘れた世界では、再びあの摂理が復活するかもしれない。
『人間は魔物に殺され、魔物を殺す宿命にある』
『魔物は人間に殺され、人間を殺す宿命にある』
いや。もしかすると。
『人間と魔物の混血は人間に殺され、人間を殺す宿命にある』
『魔物と人間の混血は魔物に殺され、魔物を殺す宿命にある』
新たなる摂理が生まれているかもしれない。
そんな未来を想像するのは、不幸を知る者たちだけ。
……あの日々はもう嫌。
この者たちは常に不幸を願わない。
……この平和な世界が続いてほしい。
この者たちは常に幸福を願う。
……どうか、不幸を忘れないで。
この者たちは知っている。
恐怖という存在が、平和を保つ。
「……さーてと。店に戻ろ」
家族を見送った女性は気分を変える。小さい女の子と遊ぶ女性から、一途な少女へと。
少女は開店前のパン屋に戻った。
「ただいまー。あの子は無事に母親と出会えた……あれ? いない?」
開店準備をしていると思っていた女は、カウンターにいなかった。
「厨房かな?」
少女は奥の厨房に入る。小麦の焼けた匂いが充満していた。
「……ん……ふ……ん」
耳を澄ませなければ聞こえない小さな声。いや、声ではないと、少女は理解した。
「上機嫌だね。鼻歌なんて」
「……」
ピタッと鼻歌は止まるが、パンの生地をこねる手は止まっていない。
背中が語っている。『生地をこねているだけだ』と。
「あの子にバイバイって言われて喜んでるんでしょう?」
少女は女の気持ちなど無視して、ずけずけと心の中に入り込む。
「うるさい。調理の邪魔」
「ほらー、本音を言いなさいよ」
少女は引かない。ツンツンと女の心を突く。
「……今晩は夢だけ食してろ」
「っ! ごめんなさい! もうからかわないので、私のご飯も作ってください! お願いします!」
少女は頭を下げる。女は何も言わず手を動かす。
手元を覗きこんだ少女は、二人分のパンを作っていることに、安堵の息を漏らす。このまま心を突けば、夕食が夢だけになる。と、危惧した少女は女から離れ、椅子に座る。
「……」
女を眺めていると、少女は少し懐かしい気分になった。
「ふふ。楽しみ。あなたのパン。美味しいから」
声に肩を叩かれた女は少女を見る。
「……お前のパンは炭で食べれないな」
「っ! ちょっと! 今言う言葉じゃないでしょ!」
少女は女に怒りをぶつける。でも。すぐに少女の口元は緩む。
二人は追憶する。
……いつからだろう。
『この笑顔と共に生きたいと、常に願うようになったのは』
追憶の日々 椿ハルン @harun2109
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