第4話 同居

 いつからだろう。


 孤独に、なったのは。


 いつからだろう。


 幸福を、感じなくなったのは。


 そして。


 いつからだろう。


 考えるのを、放棄したのは。



◇◇◇◇◇



『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』


 勝鬨が上がる。死と生が共存する戦場に。


 抱き合い喜びを分かち合う者。仲間の死に涙を流す者。負傷者を運び出す者。魔物の死体から武器や装飾品として活用できる部位を剥ぎ取る者。そして。


「人間をなめるなよ! 魔物ざこが!」


 魔物の死体に向かって武器を何度も突き出す者。


 体を抉ろうとも、蔵物を外にぶちまけようとも、原形がなくなり、ただの肉塊になろうとも。攻撃の手は止まない。


 その行動は過去からくる瞋恚。あるいは、悲痛のせいか。それとも。


 魔物を殺す、快楽のせいか。


「勇者様。負傷者は全員運び出しました。お願い致します」


 己が作り出した惨状を見つめていた勇者は、人間に声を掛けられる。


 数十キロはある戦場全域に、突如として火柱が上がる。


 兵士たちはこの魔法ひばしらを『浄化の炎』と言う。


 生を失った生物の肉体を放置すれば、骸骨スケルトンという魔物になる。


 だからこそ、勇者は人間の死体を燃やしているのではない。


 魔物を、殺している。


 燃え盛る炎が響かせる音は、骸骨スケルトンの嘆きだ。



◇◇◇◇◇



 魔王討伐から一ヶ月ほどが経った。


 新たな魔王が誕生したという情報は、世界に届いていない。しかし、魔王が誕生していなかったとしても、魔物は存在している。


 魔物はいずれ復活する魔王のために、各地で領土を広げている。


 そんな魔物の進軍を食い止めた女は、森に帰っていた。


 自宅の煙突から煙が上がっている。自宅に入ると、少女が竈を注視していた。睨むと表現していいほど、集中した顔つきだ。


「…………っ!」


 少女の目が見開かれ、竈から黒い物体を取り出した。


「……」


 少女は取り出した物体を見つめて、固まっている。


「お、お帰り。ちょうど、パ……パンが焼き上がったわよ」


 気まずそうな表情で、少女は言う。


 竈から取り出したのは黒色のパン──黒パンだと。


 女は黒パンを指で突く。それだけで、パンは黒き砂となった。


「灰」

「……こ、これはあなたの力が強すぎるからで、本当は美味しく焼き上がったパンであって」

「だったら食してみろ」

「…………私、夢魔だから、食事は夢で……」

「そうか。だったら、今後は夢だけ食してろ」

「っ! 嘘です! ごめんなさい! 私は炭を作り出しました! なので、私のご飯も作ってください! お願いします!」


 少女は遅れながらも、竈から取り出した物体を炭だと素直に認め、頭を下げた。


 女は何も言わず、小麦粉を机に落とす。


 少女は不安そうに小麦粉の量を見る。二人分の量はあった。


 安堵した少女は椅子に座り、女のパン作りを見つめる。


 人間と夢魔の共同生活。


 少女が勝手に住み着いたわけではない。女が少女を家へ招き入れた。


 最初は戸惑っていた少女も、日が流れるごとに慣れ、普通に生活している。


 女は一緒に暮らす中で夢魔。もとい、少女の生態を理解した。


 少女は夢を食料にできるだけで、他の生物と同様、野菜や肉、魚といった物も食せる。むしろ、夢よりこちらの方が好みだ。


 夢魔にとって夢は、成長速度を引き上げる劇薬という意味合いが強い。


 出会った頃の少女の見た目は、五、六歳の女の子だったが、今は成人した女性になっている。


 性別関係なく、すれ違いざまに振り向いてしまうほどの美貌。美しさと艶やかさが渾然した身体つき。着ていた麻の服では麗しき体を隠すことができなくなり、どこかの酒場から盗んだエプロンドレスを身に着けている。


 成長速度は凄まじい。ただ、精神は同じ成長速度ではない。


 先ほどのように見栄を張り、すぐにバレる嘘を吐き、不利になると謝る。


 まだまだ精神は子供。女性ではなく少女だ。


 女は生地をこね終える。すると、柔らかい声に肩を叩かれた。


「ふふ。楽しみ。あなたのパン。美味しいから」


 女は少女を見る。口元が緩んでいた。


「お前は何をしに、ここへ来た?」

「……」


 少女の口元が引き締まる。ぶつかり合う視線。逸らしたのは少女だった。


 小麦粉が広がる机に頬をつけ、言葉を落とす。


「あなたを、殺すため」


 少女は面白みがない壁を見続ける。女は竈の火力を調整する。


 パンが焼き上がる。食事が終わる。片づけを終える。そして、就寝する。


 その間、言葉が行き交うことはなかった。


 女はベッドに入る。少女はベッドの横に椅子を置いて座る。


 二人はいつもの場所で就寝する。


 今宵は月の光がない。闇に染まる小屋の中で、二つの息が響く。決して重なることはない。


 まるで、人間と魔物の関係性を表現しているようだった。


 ふと、空気が動く。


 女の腕に温もりを纏った皮膚が触れた。


「この方が、早く成長できる」

「そうか」


 理屈はわからない。


 それでも、女と少女は触れ合いながら就寝した。

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