第2話 邂逅
いつからだろう。
魔王と対峙した勇者が、恐怖を感じなくなったのは。
いつからだろう。
勇者と対峙した魔王が、恐怖を感じるようになったのは。
そして。
いつからだろう。
魔王が勇者に、瞬殺されるようになったのは。
◇◇◇◇◇
魔王という存在が消滅することはない。魔王が消滅すれば、新たな魔王が誕生する。
勇者も同じ。勇者が消滅すれば、新たな勇者が誕生する。
存在が変わろうとも、勇者と魔王は長い年月、殺戮を繰り返していた。
魔王は人間を。勇者は魔物を。
過去の魔王と勇者が誰だったのか、覚えている者は少ない。だが、『魔王を多く殺した勇者は?』と問えば、誰もが同じ人物を思い浮かべる。
現在の勇者を。
◇◇◇◇◇
魔王討伐の翌日。
森の中にひっそりと建てられた小屋。そこに住む、一人の女が起床した。
女は外に出る。近くの湖に水を汲みに行こうと、バケツを持って。
森は静かだった。風が生み出す音だけが、耳朶に触れる。
女の近くに命は存在しない。動物たちは女から発せられる目に見えない力に怯え、近づこうとしない。息をひそめ、茂みから女を窺っている。
そこに視線を向ければ、脱兎のごとく逃げ出す。
女は命に嫌われていた。
道を外れ、茂みに入って行く。
進むと、開けた場所──湖に着く。
女は顔を洗おうと、湖に手を入れようとするが、寸前のところで止まる。
指先から滴る血が、蒼然たる水を赤く染め上げる。その穢れは湖だけではなく、森を。動物たちを。死へと誘う。
そんな光景が脳裏に過った。
女は手を引き、バケツで湖の水を掬う。
小屋へと戻ろうとした時、茂みが動いた。
視線が吸い寄せられる。
茂みから出てきたのは、小さな女の子。
「お願い! 助けて! 魔物が!」
絶望感が溢れる少女は瞳でも、女に訴えかける。
多くの人は少女を目にして、庇護欲にかられる。だから。
相手が悪かったとしか言えない。
女は少女を睨む。
「っ!」
竦み上がった少女が、本性をあらわにした。
頭部から小さな二本の角が生え、麻の布で作られたワンピースの裾から尾が出る。そして、服を破り、背中から二つの羽が飛び出した。
「夢魔か」
魅了魔法を用いて、生物を傀儡とする魔物。
夢魔は茂みから出てきた時、女に魅了魔法を使用していた。
魅了魔法は感情に干渉することで、生物を傀儡とする。今回は庇護欲という感情を利用しようとしたが。
女に並大抵の魔法は効かない。
「……」
少女はその場に固まっている。
女はそんな弱者に背を向けて歩き出した。
「ちょ、ちょっと!」
少女が女を呼び止める。
女は顔だけを向け、視線で言葉を促す。
些細な動きでも、少女の足は一歩後ろに下がった。
「なぜ、殺さないの?」
少女は問う。
『人間は魔物に殺され、魔物を殺す宿命にある』
『魔物は人間に殺され、人間を殺す宿命にある』
これらは摂理。でも、女にとっては関係ない。
「お前がまだ弱いからだ」
女を殺せる者など、今は存在しない。
女は小屋に戻る。水が入ったバケツと、自分とは異なる足音を連れて。
「……ね、ねぇ!」
女が小屋に着くと、付いて来ていた少女が声をかける。
「……」
少女は逡巡していた。言葉が続かない。
女は少女を見つめ、待つ。少女の声を。意思を。
少女は胸に手を当て、目を閉じる。
「……私は」
そして、目を開く。
「あなたを殺したい」
「そうか」
少女の殺意に、女は一言だけ呟く。殺意は一方通行だった。
「夢魔は人間の夢を食して成長する。それで合ってるな?」
「うん。正確には夢によって作り出される感情だけど」
「夢を食せる範囲は?」
「視界に入っていれば」
「そうか」
質問を終えた女は小屋に入る。
「……絶対に殺す」
少女の瞳には、強大な殺意が宿っていた。
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