第16話 ヤックル=クルフォード



 翌朝。

 いつも通り朝の三時に目覚めて、十分ほど千春の綺麗な寝顔を眺めたのち、ジャージに着替えてから家を出た。

 木人みたいな訓練用の人形があればいいのだけど……まだこの世界で見ていないからあるのかどうかわからないんだよな。


「ふっ――ふっ――」


 二時間ほど、微かな外灯が照らす街の中をランニングしたのち、今度は筋トレと体術の基礎訓練を行うために公園に向かう。


 開会式の時に集まった第一公園よりもかなり狭く、公園全体の面積はバスケットコートぐらい。その敷地の半分がグラウンドで、もう半分には砂場やら滑り台、鉄棒などがある。

 砂場には、山とトンネルを作った痕跡が残っていた。


「何をやってんだ異世界代表たち……ん?」


 人の気配を感じた方角に目を向ける。

 公園内にある外灯の下、段ボールの塊からTシャツの上にオーバーオールを着た小さな子供がのそりと出てきて、軽くストレッチしたのち公園のグラウンドをぐるぐると走り始めた。おそらく、魔物に負けて幼児化してしまったのだろう。


 遠目で見ても、五才かそこらなのがわかる。

 体力づくりでランニングをしている俺と違い、あの子は瞬発力を鍛えているようで、かなりのスピードで走っていた。


 幼児化した状態でまで走らなくてもいいだろうに。

 外灯の下でそんなことを考えていると、走っていた彼女が足を止めてこちらを見た。


 そして、全力疾走でこちらに向かってくる。そして目の前にまでやってくると、キラキラとした瞳で俺のことを見上げてきた。


「ボス戦! 見てました! 凄かったです!」


「あ、あぁ配信のこと? ありがとな」


 もしかしたら相手の中身は年上かもしれないと思いながらも、見た目が五歳児なのでくだけた口調で接する。


「私の名前はヤックル=クルフォードと言います。ちっちゃいですが、これで18歳です!」


 ずびっ! とピースを俺に向けるヤックル。


「たしかにちっちゃいけどさ、それって魔物に負けて幼児化したからじゃないのか?」


「我らアホゲスト族は、もともとこれぐらいですよ」


 とても変な名前の一族だった。

 たしかに、彼女の頭の上ではアホ毛がみょんみょんと弾んでいる。

 レモン色のボブヘアーで、目が大きくクリクリしている。見た目は完全に人間だから、ダックスとかみたいな獣人族ってわけじゃないのだろう。


 アホ毛に神経が通ってたりするのなら、話は別だが。


「そのアホ毛、触ってみてもいい?」


 あまりにもアホ毛がみょんみょんと動くものだから、気になった。


「だ、ダメに決まってるじゃないですか!? 乙女のアホ毛に触れるなんてエッチです!」


「なんでやねん」


 アホ毛に性感帯でもあんのかこのちびっ子は。

 地球人どころか他の異世界人にも変な目で見られそうな子だなぁ……。


 身を守るように俺から一歩距離を取るヤックル。なんだか『触るとダメ』と言われたら、無性に触りたくなってしまうんだよなぁ。アホ毛だし、別にいいだろうという感覚。


 まぁ初対面の人のアホ毛を掴むのはさすがに失礼か。今日のところは自重してやろう。


「そういえばこっちはまだ名乗って無かったな。森野蛍だ、よろしく」


「よ、よろしくお願いします」


 彼女はまだ俺をやや警戒しているようで、俺の差し出した手をびくびくしながらも掴んだ。何も考えていなかったけど、そういえば握手も地球ならではだよな?

 握手の文化も神様が教えてくれたのだろうか。


「それで、ヤックルはなんで段ボールから出てきたんだ?」


 そう問いかけると、彼女は視線を斜め下に逸らしつつ、人差し指で頬を掻く。


「日本の文化って、すごいですよね」


「? どういう意味?」


「アニメに漫画……! 私たちが住む世界の知識を全て集めてもこのエンターテイメントにたどり着くことはできません! その他にも最近は『書道』なる技を学び始めましたし、神様に教えていただいた言葉以外の日本語も勉強中です!」


 日本のことを色々褒めてくれているのは悪い気がしないのだけど、それと段ボールから現れることになんの因果関係があるのか。


「残金は32円! 家賃など残っておりません! あれがマイホームです!」


「お前段ボール生活してたのかよ!」


「結構あったかいんですよあれ! しかも段ボールとガムテープは無料支給品です! 蛍さんも真似していいですよ? 段ボールを重ねれば結構良い枕になりますし」


「嫌だよ! 俺は普通に布団で寝たいよ!」


 朝から変な奴に絡まれてしまった……いや、目線を向けてしまったし、俺から絡んだのか? 

 ともかく、


「女の子がこんなところで段ボール住まいなんてやめとけって。神様の目があるから変なことは起きないだろうけどさ。ヤックルもどこかの世界の代表者なんだろ? 魔物倒して、家賃分ぐらい稼いだらいいじゃないか」


 魔物を一日何十匹か倒したら、お金は入るしレベルも上がる。特に苦労もなく生活は段ボールよりマシになるはずだ。

 俺の言葉に、ヤックルは「ははは……」と渇いた笑いを漏らす。


「私、魔物さんを倒せないので」


 魔物のいる世界の代表者で、そんなことある?

 疑問に思ったけど、あまり深く追求するのも気が引けたので、俺は彼女の次の言葉を待った。


「一緒の世界から来た人は、他の世界の人にスカウトされまして。私は戦力期待度0でしたから、誘ってもらえませんでした」


「それは……辛いなぁ」


 つい昨日まで俺も戦力外の人間として扱われていたからか、僅かながら彼女の境遇に共感を覚える。


「同じ世界から来た人は私のことを気に掛けてくれてたんですけど、私は自分が足かせになるのが申し訳なくて、逃げちゃいました」


 だからこの生活は、自分で選んだ道なのです――とヤックルは寂し気に口にする。

 悲壮感を醸し出しているが、この生活は書道とか漫画とかアニメのせいだと思うぞ。


 だけどまぁ、このまま彼女を放っておくのもなぁ……。

 捨て猫を拾うってわけじゃないけど、ちょっと考えてみるか。




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