WINE WA SUTEKI
疲れ切って仕事から帰ってきた夜。私はワイングラスから赤いワインをブラウスにぶちまけてしまった。真っ赤な血が溢れ出すように、染みは広がっていく。
「あらら……」
私はそのワインを拭く余力もなく、そのままテーブルにやつれた左手を放り投げた。
上半身をテーブルに擦り合わせると、赤ワインは私の頬に冷たくへばりつく。その感覚が心地いいのか気持ち悪いのか、わからないくらいには酔っていた。そして不意に、あの人のことが頭に浮かぶ。
「……あの人もよく、赤ワインこぼしてたなあ」
私は何度も、彼のためにタオルやティッシュを持ってきて、酔っ払って笑い上戸になった彼の介抱をした。
私は嫌気がさしていながらも、彼とお酒を飲むのは嫌いじゃなかった。いつも楽しい話をしてくれていたから。
私はその光景を鮮明に思い出しながら、そのまま眠りについた。テーブルには、飲みかけの赤ワインがそのまま残っていた。
・――――――――・
彼と暮らしていたのはもう数年前のことだけど、いまだに私はその思い出から抜け出せないでいるらしい。
彼のことを思い出す度に胸の奥が苦しくなるし、涙が出そうになる。そして何より、彼と一緒に過ごした時間が私の人生の中で一番輝いていたと思うのだ。
彼がいなくなってからというもの、何かを失ったような喪失感がそこにはあった。
朝起きる度、「今日こそ彼に会えるのではないか」とベッドの隣をそっと撫でてみる。
しかしそこには空白があるだけ。
寂しいように感じる時もあれば、清々するときもある。楽しい時も、疲れる時もあったから。
もしもう一度出会ったら、またあの頃のように話せるだろうか。
遮断機の向こうに見覚えのある顔を見つけたとしても、私たちはきっと、手を振ることでしか分かり合えない。
でも、それでいいんだ。だってそれが私たちだから。
黄昏は強く、私のベランダを鮮明に染め上げていく。遠くに見える高層ビル群に反射した夕陽が眩しくて、思わず目を細めた。
ふとベランダを見下ろすと、小さな影法師がふたつ並んでいることに気づく。
中高生のカップルらしき二人が手を繋いで歩いている。若々しくて瑞々しい、あどけない二人の姿は、まるで夢を見ているかのよう。
そしてその姿は、あの頃の何も考えていなかった私たちの姿と重なった。
「……そうね。大人に、ならなきゃね」
最近、好きなワインは赤ワインから白ワインに変わった。人は間違いながら変わっていく。
彼を間違いだと否定することは容易いけれど、そんな殺生な真似はしたくない。
――新しいことを始めよう。
部屋を模様替えして、着る服も少し変えよう。手芸するたびにひどすぎて彼に笑われていたけれど、手芸は好きだから。もう一度挑戦してみようかな。
古びた記憶をこんな風に頭から少しずつ引き剥がして、もう一度強く歩み始められたら――。私は心から強く願った。
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