第1話


「逃げろ!走れ、走るんだ‼︎」


「いやだあ!殺さないで、お願い!!」


エルフにはあるまじき怒声。泣き声叫び声。

どしゃ降りの中を、男も女も、老人も子供も走る。走る走る走る。


雨か涙か視界が悪い。足元が泥だらけで気持ち悪い。それでも走る。逃げ切らなければ、殺される。


僕たちはただ、森の奥で静かに暮らしていただけなのに。それがアグノア帝国の王様は気に入らなくて、亜人種を皆殺しにする命令をだしたのだという。


後ろから蹄の音が聞こえた気がして、心臓がぎゅうっとなる。

すると、すぐ後ろで声がした。


「戦える者は集え!!女子供を先に!」


族長の、父さんの声だった。

その声に賛同してか、前を言っていた男の人たちの足が止まる。ここで騎馬隊を食い止めるつもりだ。


途端に不安になる。父さん達がいなくなってしまったら、自分の後ろは誰もいなくなってしまう。もし、騎馬隊が一人でも、こちらにきたら………?


そんな僕の考えを見抜いてか、父さんは僕の目を見てこう言った。


「案ずるな、蟻一匹通さない。妹を守りなさい」


口元に笑みを浮かべる父さんが、すごくカッコよく見えた。

きゅっと左手を握られる。そこには薄い翡翠色の瞳に涙をいっぱいに溜めた妹がいた。

まだおしゃべりも拙い、幼い妹。


「にいに、」


「……行こう、エバ」


息も整わないうちに、また走り出す。

蹄の音が迫る。恐怖で思わず後ろを振り返る。

そしてその正体が見えたか見えないかの時、一陣の風が、騎馬兵その正体を斬った。


木の根がうねり、騎馬隊を締め上げる。

雨粒が集い、洪水を起こす。

そして稲妻が、もの凄い音と共に人影をつんざく。


男の人たちと父さんの瞳は、淡く、或いは鋭く光り輝いていた。


怖いより、かっこいいが勝っていた。


精霊種エルフ特有の力。

少数の騎馬隊になんて負ける訳が無かった。


「エバ、走ろう。母さんの所にいこう!」


途端に勇気が湧いてきた。

自分たちの通ってきた道は、左手側に川、そして右手側は山になっている。

その山の上を呆然と見つめる妹に、差し伸べる。

エバクレイは、ぽつりと呟いた。


「にいに。あれ、なあに…?」


妹の指差す方向を見て、ただの森の暗闇が蠢いたとき、ぞわりと首筋が粟立つ。

山の木々の間に、おびただしい数の人影が見えた。


奇襲だ。


あの少数の騎馬隊だけでは無かった。

アグノア帝国は、本気で僕たちを皆殺しにするつもりなんだ。


「エバッ‼︎」


力強く妹の腕を引っ張る。


「父さんっ、母さん!!山の上にアグノア兵が!!」


雨音に掻き消され、その声は誰にも届かない。黒光りするたくさんの人影が、雪崩れてこちらへ押し寄せる。


一瞬だった。


しんがりをしていた男の人達も、ばあさまもじいさまも、見知った仲の友達も


みんな馬に蹴り上げられ、斬らればらばらになって暗く黒い濁流へと落ちていった。


一瞬だけ早く気づいていた自分は、とにかく必死で、妹の肩を掴んで川へと飛び込んだ。

来た道との高低差で硬い川肌に、意識が飛びそうになりながらとにかく必死で、


でも、エバの事だけは絶対に離さなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雷神の子 ユーリクレイ 御社こはく @skad

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ