第6話 保育実習
それとも本当は、障害のない赤ん坊なら育てることはできるが、障害がいやだから育てないということなのか。私には分からない。 二年生の二学期になって、実習が始まった。一年生の時も実習はあったが、それは、そこの施設でどんな仕事をしているのかをのぞくだけのうわべだけのものだ。今度は、違う。この実習で自分の就職先の決定もあるからだ。教員から指示された配属先は、県の乳児院だった。自分の子どもを捨てた女が、他人の捨てた子どもの世話をする。なんか、おかしい。笑いたくなる。そして、涙が出る。こんなことで、実習ができるのだろうか。
乳児院では、最初から赤ちゃんの世話などはさせられない。考えれば当たり前だ。まだ、素人に毛の生えたような保育士の卵に、大事な赤ちゃんをそうそうは、世話させはしない。すこしづつ、赤ん坊と馴染ませてから、職員の補助をさせる。次に、職員が脇について、赤ん坊の世話をさせる。そうやってはじめて沐浴や授乳をさせることができる。授乳の時間となり、げっぷをした赤ちゃんは気分がよさそうだ。ここには、二歳児までいることができる。私の赤ちゃんも、誰かに世話されて気分がいいのだろうか。
ここには、健常な乳児だけがいるのではない。障害のある子も二人いる。二人の内、一人はダウン症、もう一人は、兎唇だ。兎唇の赤ちゃんは、ミルクがどうしてもこぼれるので、栄養補給がうまくいかない。可哀想だ。
いや可哀想ではないと施設の主任が、言っていた。障害があるからといって、特別の感情を抱くことこそ、差別の始まりなのだという。確かに、そうだとは思う。ありのままに障害を受け入れて、その障害に見合った対応をすれば、可哀想ではないんだ。
ダウン症だろうが、兎唇だろうが、赤ん坊が可愛いことに変わりはない。でも、この児を棄てざるを得なかった母親の気持ちを考える。おそらく、こんな児は、家系にはいないなどと言われたのだろう。あるいは、夫からも自分で責任を取れよなどと、ひどい言葉を投げつけられたのかもしれない。でも、私には、何も言えない。私は、子どもを捨てた女なのだ。
毎日、赤ん坊に接していると、少しづつ愛情が芽生えてくる。私の赤ん坊にも愛情を注いでくれる人がいますようにと願う。子どもを捨てたくせにね。
実習の教員が、回ってきた。保育所や施設などを回ってきたらしい。三十分ほど、実習の感想を話す。園長と話し合ってきたのか、私の話になった。記録もしっかりしており、赤ん坊への接し方も、上手だと褒めていたとのこと。喜んでいいのか、不思議な気分だ。子どもを捨てた女が、乳児院で実習をしているだけでも、出来すぎているのに、赤ん坊の世話が上手だと言われては、どこに身を置いていいかわからない。
実習ノートを提出して、明日で実習が終わる。二週間は長かった。総合的な感想を記載する必要がある。この二週間、児童福祉の一端に接することができ、本当に勉強になりました。乳児院という福祉施設では、やや特殊な位置を占めるこの施設で、実習できたことを感謝します。本でしか知らなかった乳児の保育に少しでも触れることができました。
と書いて、後が続かない。私の赤ん坊も知らない実習生に世話されているんだと思うと、頭が下がる。本当にありがたくて涙が出る。
実習が終了して、学校に戻り講義に出席する日々となった。講師が少し、褒めてくれる。
「毎年、実習から帰ってくると、皆さん、顔つきが変わっていますね」
そうかもしれない。少なくとも、私の場合は、どう表現していいか分からないほどに混乱している。
実習が終わると、そろそろ就職先の選択が始まる。保育士希望だから大体は、保育所希望だ。私もそうだった。でも、今は違う。乳児院は、どうかなと考え始めた。私が、乳児院。おかしいんじゃないともう一人の私が、言う。そう、おかしいと私も思う。でも、私って、赤ん坊の世話が好きなんじゃないのかな。
結局、私は、熊本県の乳児院か児童養護施設を就職希望先に決めた。もしかして、自分の子どもに会えるのではと、淡い期待をしている。それって、どういう意味があるの。自分で育てたかったら、最初から赤ちゃんポストになんか預けなければ良かったじゃないの。そうなのだ。今だから、そう思える。でも、じゃあ、今なら育てられるというの。そうでもない。いまでも自信はない。私は何をしたいの。分からない。
暫く、あいつとは連絡をしていなかった。私からするのもなんだが、久しぶりに会いたい。自分の気持ちを誰かに伝えたいと思った。彼も、実習で保育所に行っていた。保育所での実習は、あまり面白くなかったようだ。遅刻をしたし、子ども達の喧嘩をうまく仲裁できなかったようだ。ただ、止めるだけなら誰にでもできる。子ども達の社会性を延ばすような形で、仲直りをさせることができればいいのだが、これがなかなか難しい。こいつは、こいつなりに悩んでいた。
こいつは、今日は襲ってこない。
「どうしたのよ」
「俺だって、いつでも発情しているわけではないんだ。ゴリラじゃないよ」
私は、どう返事をしていいのか分からなかった。
なんか哀しい。そう思った。二人で会って、こんな気持ちになったことはなかった。
「この前は、ありがとう。熊本まで送ってくれて。お礼を言っていなかったね」
「いや、そんなことはいいんだ。……あの子は、どうなったかな」
「丈夫でいると思うよ。ずいぶん大きくなったんじゃないかな」
「俺たちの子どもが、すくすくと育っていると思うと信じられないな。熊本県の施設に就職するんだって」
「相手があるから、何ともいえないけど、そのつもり」
「子どもと会ったとき、どうするんだ」
「分からない。会えるかどうかも分からないし。会えたからといって、自分の子どもだと言えるのかも分からない」
「二人が就職して、落ち着いたら子どもを引き取ろうか」
「えっ。本気で言っているの」
「いや。冗談。冗談だよ」
こいつに冗談と言って欲しくなかった。嘘でも、引き取ると言ってくれたら良かったのに。でも、私は言える立場にはない。
こいつと結婚できるのかな。いや、それは分からない。結婚したって、幸せになれるとも限らない。自分の親のことを考えれば、結婚が幸せにつながるとは、どうしても思えない。
もうすぐ、卒業という時期、私は、どうしても自分の子どものことが気になって、身元は明かさないでJK病院に電話をしてみた。そういう親も多いようだ。子どもは、乳児院ですくすくと育っているという。嬉しかった。良かったら、もう少し話しませんかと言ってくれた。こうやって、打ち解けて次第に心を開いて、少し大きくなった我が子を引き取る親もいるんだろうなと思った。私も、そうしたかった。
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