第5話 赤ちゃんポスト

 生まれて五日目、あいつに電話をした。

「赤ん坊を熊本県に連れて行くから、車を出して」

「どうして、熊本までいかなけりゃならないんだ」

「そこにしか、赤ん坊を預けるところがないのよ。赤ちゃんポストって聞いたことあるでしょう」

「でも、俺は仕事が入っているんだ。急には無理だよ」

「何言っているの、仕事より大事でしょう。それとも、あなたの両親のところに行って、これがあなたの息子さんの子どもですって言って欲しいの」

「分かったよ、車を出すよ」

 こうして、熊本までのロングドライブが始まった。車は中古の軽自動車だ。お世辞にも乗り心地が良いとは言えない。JK病院は、ナビですぐに調べられた。昼間、下見をして場所を覚えておいた。深夜、誰にも見られない時間に、赤ん坊を置いてくれば、問題はないだろう。

 赤ん坊を毛布の上に置いた。この四角い部屋は、赤ん坊が寒くないように暖房がされている。ここには、医者も居るし、病気になっても大丈夫だ。赤ん坊を置くとき、本当にこれでいいのかなと思った。ここに置いて、扉を閉めたが最後、二度と会えなくなるんじゃないかと考える。会いたいと思えば、会えるのは分かっているが、それでは、自分で育てるはめになる。

 それは無理だ。育てられないという理由で、養子に出すこともできるようだが、色々な人に色々なことを尋ねられ、へとへとになって、やっと赤ん坊を手放すことができるのでは、とてもそんな面倒なことはやってられない。

 赤ちゃんポストは、一県に一つはあるべきだと改めて思う。男と女がセックスをしても妊娠しないように、外国ではピルが解禁されてずいぶん時間がたつ。日本だって、いい加減、解禁して欲しい。そうすれば、こんなことにはならなかった。私が悪いんじゃない。国が悪いんだ、社会が悪いんだ。

 赤ん坊を置いて、すぐにブザーが鳴った。病院で子どもが預けられたと内部に知らせるブザーだという。これで気がついてくれる。私は、すぐにブザーが鳴って良かったと思った。

 病棟の外側に設けられた二重扉を開け、中の保育器に赤ちゃんを置き、帰ろうとした。その時、病院の女性が声をかけてきた。「ちょっといいですか?」。自分の話を寄り添って聞いてくれる女性の胸で泣いた。「どうしたいの?」と聞かれ、初めて思いを口にした。「卒業して、働くようになったら引き取りたい」

 帰り道の長かったこと、道を間違えたんじゃないかと思うほどだった。あいつは、せっかく、ここま来たのだから、どこか見物していくかと聞いたが、馬鹿じゃない。私たちは、子どもを捨てたんだよ、あんたと私は同罪だよ。一生つきまとうんだよ。

 又、乳が痛んだ。おっぱいがたまっている。胸をはだけて乳を搾っていると、あいつがどうしたと聞いてきた。女は、子どもを産むと母乳が出るようになっているんだよと教えてやった。男は、何もなくて脳天気でいいねえと皮肉の一つも言いたくなった。

 すると男が、車を目立たないところに寄せ、

「俺、溜まっているんだよ」

と言った。呆れた。こんな時でも、男は、性欲が湧くんだ。

「出産して一週間もしていないのにセックスは無理だよ」というと

「じゃあ、おっぱいでも」

と言って、私の胸を吸い始めた。私としては、吸われることで、かえってらくに成ったが、母乳は、それほどおいしいものではないようだ。

「なんだ、牛乳みたいなものかとおもっていたら、こんなに薄いんだ。それにまずい」

「当たり前でしょう。生まれたての赤ん坊が飲むんだよ。最初は薄いんだ。大きくなるにつれて、濃くなるんだよ」

あいつは、私の胸を吸ったことで落ち着いたのか、市までのドライブは何事もなく終わった。

 赤ん坊を赤ちゃんポストに預けた二日後、新聞に「『赤ちゃんポスト』に乳児の遺体」という記事が載っているのを知った。一瞬、私の赤ん坊ではないよねと心配になり、新聞記事を念入りに読んでみた。未だ、犯人は逮捕されていないらしい。その死んだ赤ちゃんが預けられたのは、私が預けた日時とそう変わらない。もしかして、私の姿が写真に写っていて警察から、犯人扱いされるんじゃないかと思うと、どきどきした。

 この事件は、死体遺棄容疑で調査されているが、遺体を捨てると死体遺棄になるのに、生きた赤ちゃんを捨てても遺棄事件にはならない。何か、変だ。調べたら、普通に捨て子をすると保護責任者遺棄事件となるらしい。赤ちゃんポストは、特別の場所なんだね。

 子どもを作りたくて作ったわけじゃない。でも、子どもができて、堕ろすこともできなかったから、赤ちゃんポストのおかげで救われたことは確かだ。少し間違えば、私は保護責任者遺棄に問われたところだ。

 ところで、二回も利用する人っているんだろうか。可能性としては、考えられなくもないが、まず、そんな人はいないだろう。そんなことをしたら、女の身体は、単に赤ん坊を作る機械になってしまう。それは、悲しい。

 テレビで赤ちゃんポストの特集番組を放映していた。私が見たのは、赤ちゃんポストに預けられて、養子になった子どものことだった。その児が、こうのとりのゆりかごに、入れてくれて良かったと話していたのには驚いた。幸せなんだろうな、そんなふうに自分をとらえることができるなんて。わたしの赤ちゃんも、そんなふうに育ってくれるといいな。私だったら、自分が捨てられたことを、とても良かったなんて言うことはできないだろう。あれ、これっておかしいよね。

 今は、子どもに赤ちゃんポストに預けられたことまで話している。

特別養子縁組をしても、今は養子だと告知するらしい。そうすれば、自分は誰の子かと知りたくなるのも人情だ。親の氏名が分かったとして、子どもは親に会いに行くのだろうか。自分を捨てた親であっても、会ってみたいと願うのは当然のことなのかな。会って、どんな話しをするんだろう。まさか、どうして自分を捨てたんですかと聞くわけじゃないよね。

 親も捨てた後で、もう一度会いたくなるのかな、でも、どんな顔をして会えばいいんだろう。自分で勝手に捨てたくせにとは言われそうだ。まあ、実際そうなのだから仕方がない。

 障害のある赤ん坊が預けられたりすることもテレビで知った。健常な赤ん坊なら自分で育てるが、障害のある赤ん坊は、拒否する。これもおかしいよね。でも、本当におかしいのかな。障害のある赤ん坊を自分で育てられないから預ける。障害がなくとも自分で育てられないから預ける。同じ事をしているんじゃないか。

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