01-02「出会いからの謎」

 反射的に声のした方へ顔を向けると、ドラッグストアの屋根の上で何やら細長い棒のような物を持って立つ、少女の影があった。


(何で屋根?)


 ようやく人に会えた喜びと、助かったという思いから気持ちがゆるんでしまったことから、そんなツッコミが脳内で発せられた。

 異形いぎょう蜘蛛くももその声のした方へ注意を向けたその時、少女は屋根から大きくジャンプして、真っ直ぐ異形へ向けて落下していく。


「危ない!」


 そう叫んだところで意味はない。すでに臨戦態勢りんせんたいせいに入っていた巨大な蜘蛛は、少女を嘲笑あざわらうかのように脚を伸ばして迎撃げいげきした。

 その攻撃を、当たる瞬間に空中で身をひねってけた彼女は、そのままの勢いで突っ込み、棒を思いっ切り振り下ろした。棒の先にはまたに別れた金属製と思われる物が取り付けられていて……


「ってくわかよ!」


 土をたがやすのに用いる農具、鍬であった。

 金属部の先端が勢い良く蜘蛛の身体へと突き刺さり、異形の存在はその場でのたうち回った。声を発することが出来ていたら、痛みでわめき散らしていたであろうほどに脚をバタつかせている。

 異形の身体を蹴って、少女は長い翡翠ひすい色の髪をなびかせながら綺麗きれい佐藤良祐さとう りょうすけの目の前へ着地した。


「大丈夫?」

「え? あ、うん、ありがとう」

≪気を抜くでない。まだ終わっとらんぞ≫

「え?」

「どうしたの?」

「いや、うん、そういえば、君って同じクラスの?」


 一見小学生にも見える目の前の少女だが、その実、良祐と同じ中学校、クラスに通う同級生である。それを証拠に今彼女が着ている服は、北方きたがた中学校の夏服であるカッターシャツと紺色の無地のスカートの制服であった。その背丈の低さと特徴的過ぎる翡翠色の瞳と髪の色のせいで、小学校の頃から目立っていた存在だった。昨年度まで違うクラスで、中学二年に入って初めて同じクラスになるも、一年からの繋がりでそれぞれ友人の輪が出来ており、ほとんど話したことはない。


「話は後にしよっか。こっちも聞きたいことあるし。それに、まだあいつはやる気みたいやね」

「え?」


 言われて目を向けると、ダメージから復帰したのか立ち上がろうとしている巨大蜘蛛の姿があった。自分達に向けられている何かを感じた良祐は、尻餅しりもちを付いてしまう。


「おわぁ!?」

「大丈夫。終わらせる!」


 一方、そんな何かに対して動揺どうようする素振そぶりもなく、むしろ両手で持つ鍬をにぎり直して、一気に駆け出して加速。巨大な虫へと突撃していった。

 異形の虫は、少女の動きに翻弄ほんろうされているのか全く反応が出来ていない様子で、全ての動きが後手後手ごてごてに回っている。

 両者共に激しく動き回って暴れていることもあって、周囲にある自転車や空き缶などのゴミは戦いによる衝撃や風によって吹き飛ばされる。それが自身に向かわないように両腕を顔の前に出してガードするようにする。

 小物が飛ばされている一方で周りの地面や建物などが破損する様子が見られないことに、良祐は気付いてはいなかった。ただ目の前で繰り広げられている戦いを、少し離れた所で相変わらず腰が抜けた状態で眺めていた。


「す、すごい……」

≪しっかりせんかい≫

「うわっまた」

狼狽うろたえるでない! それよりも彼奴あやつ、危ないぞ≫

「え?」


 言われて気付いた。先程まで優勢に立ち回っていたはずの少女の動きがにぶくなっているように感じる。


「くっ思ったよりも消耗しょうもうが激しい」

「だ、大丈夫っ?」

「分からないけど、わっちがやらなきゃ!」


 少女は手にちからを入れ、もう何度目かの鍬を振り回しての攻撃を加える。それに相手も対処が追い付いて一本の脚で受け止めるが、鍬の先端が食い込み、そのまま斬り飛ばされた。本体から離れた脚は地面に落ちると急速に風化するようにち、そして砂が風に飛ばされるように消えていった。

 しかし、相手もすぐさま反撃を繰り出し、少女の軽い身体は吹き飛ばされ、ドラッグストアの外壁へと叩き付けられてしまった。


「うっ」

「そんな!」

「大丈夫! 多分!」


 吹き飛ばされても手放さなかった鍬を握り、離れた位置にいる蜘蛛をにらみ付ける。すると相手はボロボロの身体のままきびすを返し、あの巨体からは想像も出来ない身のこなしで高く跳び上がり、そのまま遠くへと消えていった。


「あ、待て! くっ……」

芝原しばはらさん!」


 芝原翡翠しばはら ひすい。良祐と同じ北方中学校に通う同級生。昨年は隣の一組のクラスに属していた。見たところ大きな怪我けがはないようだが、あちこちにあざがみられる。特に問題なく動いている様子から、幸い骨折などはないようで一安心する。


「えぇと……伊……伊、藤君?」

「佐藤。佐藤良祐さとう りょうすけ

「ごめんごめん。佐藤君ね」

「アレは一体何だったの? それに君も……」


 そう口にして、相手の手にある鍬へと目を落とす。金属部は普通の三つ叉の形をしているのだが、の部分が異常である。何やらベタベタとおふだが貼られており、棒の部分が見えない程であった。


「それと、何で鍬……?」

「あー、まぁ、その前に現世うつしよ……えぇと、元の世界に戻るね? あ、他人ひとに見られるとマズいから、こっち来て」

「え?」


 疑問に思う間もなく、彼女に手を引かれて建物の影へ移動。そして何かをボソボソとしゃべったと思ったら周りの景色が一変した。


「え?」


 今の今まで人一人、車もなかったはずなのに、気付けばいつもの夕方の光景が広がっていた。

 仕事帰りの車の列。先ほどと違い、ちゃんとドライバーがいて運転している。他にも夕食のためにドラッグストアで買い物をする主婦、学校帰りか町内の高校の制服を着て自転車に乗る学生、塾帰りか私服の子供の姿もあり、普段はうっとうしいと思っていたせみの鳴き声も聞こえている。


「どうして……」

「とりあえず、こっち行こうか」

「え? あ、うん」


 案内されたのは、店の裏にある公園。普段は多くの子供達でにぎわっている場所であるが、今の時間、お帰りチャイムも鳴ったのだろう。遊ぶ人の姿はなく、閑散かんさんとしていた。その公園の一角にあるベンチへと二人でそろって座る。


「色々聞きたいことがあるだろうけど、まずはこっちから聞かせて? 何であそこにいたの?」


 座った途端とたん、すぐさま翡翠が切り出した。しかし、良祐にとっては何もかもが突然のこと過ぎて頭の整理が追い付いていない。よって、出て来た言葉は質問の答えとは違うものであった。


「あれは一体何?」

「ごめんね。今は答えられないかな。先にこっちの質問に答えてくれたら、答えられるかもしれない」

「え? どういうこと?」

「もう一度聞くよ? 何であそこにいたの?」


 良祐の言葉を無視して、翡翠は同じ質問をぶつけてきた。ここでまた別のことを聞いたところで、結局ループするのだろうと予想出来た彼は、一つ一つ思い出すようにゆっくりと言葉をつむいでいく。


「じいちゃんの家からの帰るところだった。俺の家、栄町さかえまちだから……そしたら突然、周りから人も車もいなくなって……そしたら、な、何か、その、あの巨大な蜘蛛が……」

「栄町ね。三〇三さんまるさん(国道三〇三号線)よりも南?」


 説明している最中に唐突に割り込んできたために戸惑とまどいを見せるが、どもりながらも肯定こうていする。


「う、うん、そう」

「あなたのおじいさんの家は?」

若宮わかみや。すぐそこだよ」

「なるほど。こっちの管轄内かんかつないね」

「え?」

「何でもなぁい。そんで、今日みたいな経験は過去にもある?」

「な、ない……うん、ないはず。覚えている限りは……」

「ご両親かその親類、血縁にこういった経験をした人は?」

「え? 多分、いない……と思う。聞いたことないし」

「うーん、そっか。ありがとうね」


 そう礼だけを言って彼女は黙り込んでしまった。良祐は、どうすれば良いのか、帰っても良いのかなど、口から出そうになるのをグッとこらえて翡翠の言葉を待つ。


「多分……うん、多分だけど、あなたは無関係……だと思う……かな。たまたま何らかのほころびがあって、巻き込まれたのだと……ただ、確証はないけど」


 自信なさげに出た言葉に、良祐の疑問は尽きない。


(一体どういうこと? 無関係とか綻びって何? 何に巻き込まれたの?)


「強力な【うつろ】が出たという報告は受けていたけど、まさか君、えぇと、佐藤君もいたとはね。でも、普通の人が、術式じゅつしきもなしに“あっち”に行ってしまうなんて聞いたことないよ。あそこは切り離された空間だから、正しい順序じゃないと行けないはずだし。それともどこかにわっち達が知らない抜け道があって、そこに間違って入っちゃったのかな?」


 グイッと距離を詰めて良祐のことをジッと見つめる翡翠。女子とこの距離で話をする機会のない彼は、思わずドキドキしてしまう。身長差から来る座高の差によって見上げる形になっているためにあまり迫力はないが、一切らすことのないその視線は何か圧を感じた。


「可能性は否定出来ないけど、過去にそのような出来事があったなんて聞いたことも、文献ぶんけんにもないし……境界に綻びが生じている? 結界の異常による、えぇと、弊害へいがい? そもそも何で結界に異常が発生したのかな。それにうーん、でも、見たところ佐藤君からは“冥加ちから”は感じないし……」


 良祐の高鳴る心臓のことなど知るはずもない翡翠色の瞳は、何度かまばたきしてからスッと離れ、元の位置に戻る。そのことにホッとする。

 それからも何やら独り言をつぶやく彼女の姿がある。幼い見た目の同級生だが、すぐ隣でずっと何らかの呪文のように呟かれていると、正直気味が悪い。それに、全く聞き慣れない単語がポンポンと飛び出してくることもあり、理解が追い付かない。


(芝原さんって、こんな感じの人だっけ?)


 何もなければ、ただの痛い子。厨二病ちゅうにびょうだと片付けることが出来るが、今日、というか先程彼が体験した出来事は決して夢や幻なのではなく、本気で死ぬかもしれないと感じた。あの感覚は今でも夢だと思いたいが、それでもあの何かを求めるような邪悪な視線は、忘れたくても記憶に恐怖として焼き付けられていて忘れられない。


「ね、ねぇ? アレは一体何だったの? 確か“うつろ”とかって」

「え? あ、うーん……どうしよう……答えても良いのかな? こんな経験わっちも初めてだし……ただ、これだけは言える。アレは良くないモノ……あー、うん、ごめん。これ以上は、今はやっぱり言えない。知らない方が安全な場合もあるし」

「安全ってどういうこと?」

「え? いや、ほんとごめん。わっちも分からなくて、あなたとは多分小学校から一緒だったと思うんだけど、こういったことに巻き込まれるような人ではなかったはずだし」

「えぇと、うん、それは、俺もそう思う」

「んー……分かった。明日。明日話せるかどうか、帰ったら確認してみる」

「誰に?」

「秘密。許可が下りなかったら話せないけどね。これでも一応当主だから即断即決そくだんそっけつ? しないといけないんだろうけど、まだちょっと不安だし」

「当主? もしかして芝原さんってえらい人? そういえば芝原って言えば土地の名前でもあるよね? あ、まさかあの芝原通りって、あの辺り全部芝原さんの家の土地なの?」


 北方町北部に位置する芝原地区。北方町を横断する国道三〇三号線よりも北にある。芝原地区は土地が広いため、区分分けすべく縦に三分割されており、それぞれ西から西町にしまち中町なかまち東町ひがしまちである。そして芝原通りとは、中町にある芝原の姓の家が密集している地帯があり、それが細い道沿いに立ち並んでいることから、芝原通りと呼ばれることがある。そしてその地域は特に古くて大きい建物が多く、中にはお化け屋敷村と呼ぶ声もあると聞く。

 実際は農業で発展した一族だと聞いている。それを証拠に、北方町北部一帯の農地は全てこの芝原家が所有する土地だと祖父から教えられたことがある。


「え? あ、あぁ……ごめん。それも今は無理。まぁ歴史ある家だということは認めるけど」


 隣で頭をかかえながらうなる様子を見て、そして先程の攻防を思い浮かべ、ただの農家集団ではないことはどれだけ鈍感な人でも気付くだろう。

 疑問は尽きないとはいえ、果たしてどこまで聞いて良いのか分からず、だからといって疑問を抱えたままでは気分が悪いのでとりあえず気になったことを口にするが、そのいずれもが「今は答えられない」「分からない」とはぐらかされる。


「分かった。明日。明日にちゃんと話すから……話せる部分だけだけど、放課後、時間もらえる?」

「え? あ、うん、大丈夫。部活も休みだからひまだし」

「ありがとう。それじゃあ、終わったら第一理科室に来てね。というか同じクラスだし一緒に行こう」

「何で第一理科室?」

「それは行ってからのお楽しみ! それじゃあね!」


 そう言って、逃げるようにベンチから飛び出した彼女は、手に持つ鍬を右肩にかついで軽く手を振った。それに応じるように良祐も手を振ると、一瞬、鍬の上に翡翠よりも更に小さい、幼い少女のような姿がこちらに向かって笑い掛け、翡翠と同じように手を振る様が見えた気がした。

 よく見ようと目を凝らした時にはその子供の姿はなく、翡翠の小さな背中も夕闇に溶け込むようにして北に消えていった。

 今のも含めて、今日あったことは夢か幻だったのではと改めて思いたくなったが、それが少なくとも夢でなかったことは、帰宅して帰りの時間が遅かったことに母親から雷が落ちたことで理解出来たのである。

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