真説・北方町史
木入香
第一章「七月・佐藤良祐」
01-01「不幸な遭遇」
西に岐阜市、南に
東西一.八五キロメートル、南北四.二キロメートル、面積五.一八平方キロメートルと南北に長い地形。
人口は一八〇〇〇人前後で、市町村の人口密度では岐阜県下トップである。
本巣郡に所属しているが、ここに属している市町村は、今となっては北方町のみである。その理由は二〇〇四年の平成の
昔はそれぞれの集落の
「じいちゃん、話長いし、それ前にも聞いた」
「んぁ? そうだったか? それじゃあ、とっておきのワシが子供の頃にな」
「子供の頃に女の人の幽霊を見たって話だろ? それもう何回も聞いてるよ」
「幽霊なんぞいるわけないじゃろ。あれはちゃんと生きた人じゃった。何であの時間にあの場所にいたのかは分からんかったがな。うーん、後は花火を見るために停まっていた電車によじ登ったって……」
(いや、白い着物着た髪の長い女の人が深夜の墓場にいたら、それはもう幽霊しかないじゃん)
祖父が子供の頃、まだ北方町に住む前にいた町で夜のおつかいに出かけた時の話は、何度も耳にする祖父の思い出話の一つである。他にもこんな
自身が体験した不思議な話をするのが好きな割に、祖父は幽霊などのオカルトの
「はぁ、それよりも早くやらないと片付かないよ。俺、明日も授業だからさ。期末テスト終わったと言ってもまだ授業あるんだよ? 押し入れの整理するから手伝えって言ったのじいちゃんだよ?」
「おぉ、すまんすまん」
「いいけどさ、お小遣いもらえるし。でも、もうすぐ夏休みなんだから休みに入ってからじゃ駄目なの?」
「こういうのは思い出した時にやらんとな」
「それに巻き込まれてるんだよなぁ……まぁいいけど」
そう言って孫と祖父の二人は作業に戻った。
エアコンが効いているとはいえ、七月も下旬に差し掛かり、連日の真夏日や猛暑日に
作業を再開して三〇分くらい経った頃、また一つ本をまとめた
「じいちゃん、紐なくなったよ」
「そうか。ちょっとばあさんに場所聞いてくるから、
「はいはい」
「何だこれ?」
とりあえず引っ張り出したは良いものの、結局正体が分からずどうすれば良いのか扱いに困る。中に何か入っているようで、分厚い国語辞典一冊分くらいには重い。箱は古くて一部欠けていたり傷付いていたりしているものの、しっかりとした作りで安物ではなさそうである。
「何か書いてあるな……これは、何だ?」
箱の側面には二つの模様らしきものが並べて
祖父に聞いてから開けるかどうか決めようと思ったが、まだ紐を探しているのか戻ってくる様子がない。
(よし)
「お?」
中には、何やら上等そうな紺色の布に
そっと持ち上げてみると結構重い。これが重さの正体か。
(すげぇ……)
思わず言葉を失ってしまった。
それは、ガラスのような透明な何かで出来た牛の置物のようだ。結構大きく、両手で持ち上げてマジマジと見つめる。
傷や汚れなどはみられず、今にも動き出しそうな程に生き生きとした造形で、思わず見取れてしまった。そこにようやく紐を見つけたのか、由信が戻ってきた。
「おお、良祐、ようやくあったぞ。ばあさんもしまった場所を忘れていてな……ん? それはどうした?」
声をかけられるまで祖父の存在に気付かなかった良祐は、慌ててしまい思わず手に持ったガラスの牛を落としてしまった。
床に落ちた衝撃でガラス製らしき牛は、けたたましい音を立てて
「いかん! 良祐、大丈夫か?」
「え、あ、じいちゃん?」
「怪我はしとらんか? とりあえず床の掃除をするから、
「う、うん……ごめんなさい」
「良い良い。無事なら良いんだ」
「うん……ごめ……あ、れ……?」
再度謝ろうとしたところで身体がぐらつき、
(あれ? 俺……?)
どれほど時間が経ったのか分からないが、ゆっくりと意識が浮上するのを感じる。眠りから覚める感覚がすると同時に、自身の異変も感じ取る。
(おでこが冷たい? あと首も……?)
目を開けると、どうやら自分は床で横になっているようだ。額には湿ったタオルが置かれており、首回りもひんやりとすることから手を伸ばすと、保冷剤をタオルで巻いたものが当てられているのが分かった。
「あれ?」
「気が付いたか。大丈夫か? 良祐?」
「あ、うん、俺、何で?」
「分からん。とにかく突然倒れたぞ。熱中症か脱水かもしれん。何か飲むか?」
「うん、飲む」
「救急車呼ぶか相談してたんだが……」
「いや、大丈夫。全然ダルくないし、何か突然眠気に襲われた感じ」
上体を起こして自身の様子を確認するも、特に異変はみられない。
祖父の話によると、突然倒れて熱中症の疑いを持った彼は、応急処置として額と首を冷やすことにしたのだとか。そして、いざ救急車を呼ぼうとしたところで良祐が目を覚ましたとのことで、時計を見ても五分も経っていないようだった。
「とりあえず後は片付けておくから、お前さん今日は帰った方が良い。何なら送って行くぞ? あぁ、先にこの散らばったガラス……水晶か? とりあえずこれを何とかしたいから、少し待っててもらうが」
「んー大丈夫だよ。特に痛いところとかないし、多分疲れただけだよ。あ、でも麦茶は飲む」
「分かった。じゃが、無理するなよ?」
「大丈夫だって、家近いんだし」
「くれぐれも気を付けるんだぞ? もう夕方だしな。何なら夕飯食べていくか?」
「お腹は
「あぁ、気を付けてな?」
「おぅ!」
心配そうに見送る祖父と「もう帰るのかい?」と顔を出した祖母に別れを告げて祖父母の家を出た。
祖父の家は北方町の中、その中心部よりもやや北側の
昔は柿畑を初めとして田んぼや畑が広がっていたが、平成中期からの再開発によって、埋め立てられて道が造られ、その
祖父が子供の頃は周りには田畑ばかりだったが、祖父の父の時代である明治から昭和初期の頃までは、桑畑が広がっていたらしい。
現在の場所に家が建ったのは、由信が小学生の頃。現在の根尾村から引っ越してきたのだが、引っ越す以前から何度か親に連れられて遊びに来ていると聞いている。しかし、話好きの祖父は話が長く、あまり興味のなかった良祐は聞き流すなり、話題を変えるなりして、まともに聞いたことはあまりない。それでもこうして手伝いに来るくらいには
去年は家族と旅行に行ったり友人と遊んだりして、残った宿題に頭を
(俺は今の風景しか知らないけど、ここにも畑があったんだよな?)
徒歩で自宅への道を進む中、ふと祖父母の家の玄関に飾られた写真を思い出す。
昔と変わらない場所にある郵便局の裏を映した昔の写真と、今の風景を見比べてみると
良祐の家は、祖父母の家から南西に一〇分から一五分程歩いたところの
彼の住むマンションまであと少し。東西に伸びる国道と
(あれ?)
状況が変わったのは一瞬の出来事であった。良祐が
この夕方の時間帯、普段なら帰宅ラッシュで多くの車が通っている。しかし今、彼の目の前には車のみが道路上に並べられているだけで、本来いるはずのドライバーの姿が見えない。それどころか、自身の隣で信号待ちをしていた自転車を押した高齢の女性もいたが、自転車だけが地面に横たわった状態で、その持ち主が消えている。
他にも周りを見渡してもつい今までいたはずの人々が、人だけでなく犬や猫や鳥といった動物といったあらゆる生き物がおらず、また、季節柄うるさいくらいの
日が沈みかけている時間帯ということもあって、この静けさはあまりにも不気味で夏場であるにも関わらず身震いしてしまう。
「何で……?」
その
「かはっ」
地面に叩き付けられ、肺の空気が押し出されて変な声が出た。
(何っ? いきなり車に
そこまで思考して、顔を上げてぶつかってきた物へと目を向けた瞬間に身体が固まってしまった。
「な、なに……あれ……」
それは見たこともない生物だった。いや、似たような生き物は見たことがある。それも身近な存在だ。しかし、ここまでの大きさのものは、テレビや図鑑でも見たことがない。あるとすれば、ゲームや漫画の世界だ。
良祐の目の前で、
(デケぇ……)
巨大な虫ということで気持ち悪さを感じつつも、その異常さから目を
この危機をどこか
しかし現実は非情である。
少年がぼんやりとしている目の前で、今まさに再び攻撃動作へと移ろうとした巨大生物の姿が目に入る。しかし、恐怖からか驚きからか、いずれにせよ
≪逃げろ!≫
その時、どこからか声がした気がした。それは、今の状況で自分自身に言い聞かせた言葉かもしれない。そもそも周りに自分以外誰もいないのに、誰が声をかけてくれるというのだ。しかし、その声のおかげで寸前のところで我に返った良祐は、
直後、何かが今の今まで自身がいた場所へと衝突した音が響いた。恐る恐る視線を向けると、つい今まで自分がいた場所に、巨大蜘蛛の脚があった。
「ひっ」
ここで、ようやく全身に力を取り戻した彼は、恐怖で腰が抜けそうな自身を
すると、相手もそれに反応して、のっそりのっそりと追い掛け始めた。
「はぁっはぁっ、あれは、いったい……」
≪とにかく今は逃げろ!≫
「わかっ……はっ?」
誰ともなしに
方角は適当。東西南北、どちらに向かって走っているのか意識にない。とにかくあの危険から遠ざからなければという思いの元、ただひたすら足を進める。
徒競走は苦手という程でもなかったが、かといって得意という訳でもない。そんな彼が、今は火事場の馬鹿力とでも言うのか、これまでにない力を発揮して必死に走っていた。
果たして辿り着いた先は、消防署の隣にあるドラッグストアの駐車場であった。先程の場所よりも西北西に約四〇〇メートル弱の場所。
しかし、同年代の平均からすれば速い方だが、
あの場所から一番近い位置に消防署があるので、助けを求めようと無意識にその方角へ走ったのかもしれないが、ここに来る道中も、そしてドラッグストアや先にある消防署にも人がいる様子がない。
助けはいない。
そんな絶望が彼の心を
「
溜め息混じりに聞こえたのは、少女の声であった。
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