第四十三話 ユリエル
死ねば、存在が消えて無くなる。
そう思っていたが、現世を去ったあとも、アロイスは消えていなかった。
いわゆる死後の世界、魂の帰る場所に、来ただけだった。
前世の行いによって、魂の滞在する場所は違うようだ。
「お前は、向こうへ」
番人に天国に振り分けられそうになって、慌てて地獄を選ぶ。天国にいたら、いつか彼女が来てしまうからだ。
変わっていると言われたが、とくに引き止められもせず、地獄へと向かう。
そこは阿鼻叫喚の世界だった。
そして七百七十数年の時が経ち……迎えに来た番人に、開口一番
「こっちも混んでいるのだから、いい加減に出て行け」
と命令され、現世に生まれ変わることになった。
「お前は本来ならしなくてもいい禊を、過剰に済ませている。そのまま人の世に放つのでは、バランスが取れない。
何か希望があれば、一つ叶えてやるが、何かあるか?」
「だったら強くなりたい」
「あんなところに七百七十年以上もいたから、強くなるのは決定事項だ。別のことを願え」
「それなら前世の記憶を持ったままにして欲しい」
「そういうのは、あまり勧められない」
「禁止されているのでなければ、お願いします」
***
そしてアロイスは、グリスローダの名家、アードラー公爵家の三男として再びこの世に生を受けた。
多くの魔法属性を持ち、人として最強クラスの魔力を持つと言われても、さほど感慨もない。
ただ、あるものを生かさないのも勿体無いからと、魔法の研究に明けくれる日々だ。
しばらくすると王立魔導士団にスカウトされ、それほど時を待たずに団長に任命されてしまった。
でも研究は自宅でも許されていたし、多忙な毎日は充実していた。
親が持ってくる縁談は全て断り、ひたすら仕事だけに邁進する日々……
こうして邪念を払って、誰を傷付けることもなく、人の世の役に立ちながら、この一生を終えれば、次こそ全てを忘れて自由になってもいいだろうか……
そんなことを思うようになってから少し経った頃だ。
明け方の空を、地上から空に向かって、流星が駆け抜けたのは。
凶兆の星を観測した魔導士団では、王家に報告するとともに、まずは魔力を持つ者が多い貴族達を中心に精霊の加護を施すことになった。ちょうど近々第二王子の誕生祝いと婚約のお披露目の夜会がある。そこでの余興の形を取れば、皆に不安を与えることなく、実行できるだろう。
王家から渡された出席者の名簿を、確認する。
ユリエル・ローデント。
何気に目に入ったその名前に動揺した。
エストリール風のその人名を、この国で見ることは今までなかった。
しかし、いくら何でも、ただの偶然だろう。向こうに親戚がいるとか、その程度の話だ。
そもそもこの人物は第二王子の婚約者だという。だったら尚更、自分とは無縁だ。
だが、自分が企画した精霊の加護が原因で、彼女が身籠っているのが分かり……
再び罪悪感に苛まれる日々が始まった。
しかも、彼女は聖女のユリエルにそっくりだった。顔や形が、ではない。
何気ない仕草や、話し方。物の見方や、考え方。心の深淵まで見えているのではないかと思われる、その視線。おまけに今ではほとんど見かけない、闇魔法の属性まで持っていた。
おそらく……自分が生まれ変わったように、彼女も生まれ変わっている。
そう確信した。
彼女が処女懐胎など、普通ではあり得ない事態に陥ったのも、前世が聖女だからなのではという気がする。
だから、惹かれるのか……?
分からない。
しかし、彼女の名前を思うたびに、蘇るのは、前世のことだ。
だから、その名を呼ぶことができないし、なるべく距離も取ってきた。
だが今度こそ、彼女を守ろうと思う。命に換えても。
***
やはり、人の心を覗き見などするものじゃない……
彼から視線を外した私は、少し後悔した。
彼の……アロイス様の視線の先にあるものは、私じゃない。聖女、ユリエル・サザークだと思う。
私がその聖女の生まれ変わりなのかどうかは自覚がない。だから、どこかの誰かでしかない。
思えば、私は名前で呼ばれたことがなかった。
『御令嬢』とか『あなた』とか、そればかり。
彼に取っての『ユリエル』は聖女のあの人なのだ。
不意に目元に熱が集まってきた。慌てて頭をぶんぶん振って、熱を払う。今は泣いている場合じゃない。
アロイス様を助け出すのが先決だ。
ショックなのは否めないけれど、それでも彼を戒めから解き放ちたい。
彼が好きなのだ。
何とかしてあの人の傍に行こうとするけれど、鉄格子は頑丈で壊せそうにない。
せめて彼がこっちに来て、私の手に触れてくれれば……
「アロイス様! こちらに来てください!」
だけど彼は、私を見ているばかりで、動かない。
私は、どうしたらいいの?
鉄格子を握る拳に力を込めたその時……頭の中で声がした。
『自分の内側を見て……』
……エルデさん?
『自分がどうすべきか知りたければ、自分の中に潜っていくしかないわ。正解は、そこにしかない』
自分で、自分の過去に潜る?
そんなことができるのか……でもやってみるしかない。
私は目を閉じ、自分の内側にある暗闇に向かって、駆け出した。
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