第四十話 ノエルの母

ちょ、ちょっと待って!?

エルデさんの赤ちゃん!?

ノエルが?


いきなり走った衝撃に、混乱が止まらない。

言葉を発しようと、口だけパクパクさせていると、どこかに弾き飛ばされたような感じがした。


気付けば、私がいたのは、エルデさんのアパートメントだった。

ベッドの横の椅子に座る私のお腹に、横向きになったエルデさんがしがみついている。パールはベッドの側で、驚き固まっていた。


「あの……」


声を掛けると、エルデさんはハッとしたように、お腹から離れ、両の手のひらを見る。


「ああ、力の流れが循環してる……すっかり治ってるわ……」


彼女は、ベッドから降り立つと、その場でステップを踏むように、クルリと一回転した。

すると、束ねられた長い髪が解け、簡素な男物のシャツとズボンが消え、深層意識で見た時と同じ、淡い虹色をしたローブをまとっている。それは、まるで神話を読んで想像した女神そのもの。まさに神々しい姿だ。


「よかった、この子は最初の『呪いの星』が飛んで来たとき、咄嗟に逃したの。

この世界で、私以外で闇属性の力が一番溢れる場所に向けて、ね。

でもそこから、この子の気配が世界から消えてしまって、探しても全く分からなくなってしまったのよ。


……まさか、あなたのお腹に行ってしまっていたなんて」


ああ、逆流星の呪いに間違いない。

『一番愛する者の存在を、一切感じられなくなる』という、酷い呪い。


「それじゃ、この子のお母さんは、本当に……」


「そう、私。父親はゾンネよ」


何だか、いろいろなことが起こって、頭を整理できない。

ノエルが私の子じゃなくて、神様二人の子どもだったなんて……

お腹の中で、ノエルがくるんと動く。エルデさんの方に頭を向けた気がする。


「エルデまま……ぼく、ノエル」


「え」


エルデさんが固まった。


「ユリエルままが、名前、付けた」


「あ……ごめんなさい……てっきり私の赤ちゃんだと思って……話しかける時に、名前があると便利だから……」


慌てて謝罪すると、彼女は再び笑顔に戻った。


「いえ、いいのよ。この子……ノエルを守ってくれてありがとう。

それより大事なお願いがあって。

……この子を、私に返して欲しいの」


一瞬、言葉に詰まった。

もう何ヵ月も自分の子どもだと思って、朝な夕なに話しかけ、慈しんできた。

すっかり母親の気持ちになっていた。


でも、この子と血の繋がった本当の母親がいるのなら……

そして、その母親と一緒に暮らすのがノエルの幸せなら……私の出る幕じゃない。


「……分かりました」


「ありがとう。それじゃ、ベッドで横になって」


エルデさんと入れ替わりに、仰向けに寝る。

私のお腹に触れるか触れないか、という高さに、白い手が、かざされた。


数秒もすると、私のお腹から、赤と白が交互に輝く光の玉が、スーッと出る。

光はそのまま、エルデさんのお腹に入っていくのが見えた。


「ちょっと待ってね、あなたの身体も、何もなかった頃に戻すから」


彼女は私のお腹から胸にかけて手をかざし、妊娠の兆候が出る前の身体に戻した。

お腹に手をやると、真っ平らだ。皮膚が伸びたような形跡も全く残っていない。


これで、本当にノエルとお別れなんだ。

目尻から耳に向かって、涙が伝った。




そのまま寝かされて、十分ほどが経ち、エルデさんが私の頬に手を添え、言う。


「もう起きても大丈夫よ。それにしても……なんとお礼を言ったらいいか」


「だ、だったら、アロイス様をお助けくださいませ!」


声を上げたのは、ここまで沈黙を守っていたパールだった。


「3つ目の『呪いの星』を阻止しようとして、行方不明なんです!

まだ私と契約が切れた気配がないので、生きているはずです!

神様! お願いです!」


精霊の契約が切れてないのは、私も今、初めて聞いた。

彼はまだ生きているの!? 胸に希望が灯る。


「エルデ様! 私からもお願いします! 彼を助けて!」


「分かったわ。できる限りのことはしてあげる。ただし、私にはノエルがいるから、マーモアと直接やり合うことはしたくないの。悪いけど、ここから力を送ることしかできないわ。それでもいい?」


「それでも、かまいません。彼のところに行きたいんです。助けたいんです。お願いします、エルデ様!」


「了解、すぐに送り届けるわ。あと、『エルデ様』は止めて。あなたに限り『エルデさん』でいいから」


「はい、エルデさん」


「それじゃ、そこの、クローゼットの影の上に立って」


言われて、その通りに立つ。パールがついて来ようとすると、エルデさんに止められた。


「あなたはここで待っていた方がいい。戦う力がない子には、他にやるべきことがあるはずよ」


パールは一瞬不服そうな顔をしたけれど、すぐに気を取り直したのか


「お嬢様、私の分まで、頑張ってください!」


と私の手を握り、すぐに離して、影から遠ざかった。


「それじゃ、昔、マーモアの拠点があった、死火山に送るわよ……」


エルデさんの言葉と共に、私は足元から伸びてきた闇に包まれた。




空間を裂く転移魔法とは違い、闇の神が使う転移は、暗く静かだ。

足元から風が吹き、降り立った場所は、大きな岩の陰だった。


ここは、死火山……?

前に来た時とは、地形が変わっている。地面が隆起して、平らだった土地が、小山のようになっていた。


山の頂を見上げると、何か、光っているものが見える。

何か、大きな水晶の柱のようだ。

目を凝らすと、水晶の中心に、人影のような輪郭が見えた。


今すぐ確認しろと、直感が告げる。

ヨロヨロと急な坂をよじ登り、水晶に張り付くように顔を寄せた。


「そんな、どうして……」


結晶が隔てる、彼の、決して動かない横顔に、私は立ち尽くした。

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