第三十一話 地底の魔女

「もう八百年ほど経つかしら……


人間達の間で大きな戦争が起こったの。それに加担したのが、古代からこの星に棲む精霊『地底の魔人』よ。彼は『自分の使命は人間に試練を与える事だ』と言って、わざと世界に争いの種を蒔いたの。それが元で、この大陸の半分が海に沈んでしまった」


「戦争と大陸については、我が国の文献に残っています。地底の魔人については、書かれていませんでしたが」


アロイス様が答えると、エルデさんは溜息を吐きながら続ける。


「そのようね。大陸の神の我々にとって、魔人の行為は由々しきものだったわ。それでゾンネが地底の魔人に決闘を申し込んで、勝利したの。魔人の存在はこの世から消え去った。


だけど、それを不服とする者がいたの。それが『地底の魔女』よ。魔人の番だった彼女は私達を恨んで、復讐の機会を狙っていたのよ。


……そしてあの夜、魔女が空にいる私に『呪いの星』を撃ってきた……」


「まさか……逆流星って」


私は息を飲んだ。


「魔女渾身の、呪いの塊よ。


あの夜のことは、よく思い出せない……

ただ、私はまともに呪いをくらって、力をほとんど失ったまま地上に落ちて。

今は人間の振りをして、女である事も隠して、この街で暮らしているの」


「あの、失礼ですが、赤い髪の……ゾンネ様は、どうしているのですか? こんなことが起こっているのに」


「それが……私が星の呪いを受けてから、ゾンネは私のところに来なくなったわ。最初は、私の力が弱まったから、探せなくなったのかと思ったけれど、それにしても遅過ぎる……」


彼女は目を伏せながら、拳を握り締めた。


「でも、もういいの。私はもうしばらく休んで、力が戻るのを待つわ。時間はかなり、かかりそうだけどね。心配してくれてありがとう。久しぶりに誰かと話ができて、気持ちが安らいだわ」


エルデさんの、無理に作った笑顔を見て、胸が痛んだ。視界の端で、アロイス様が私に目配せをする。


「それでは、我々は失礼致します」

「私達、また来ます。どうぞ、お身体を大切に」


「ええ、待ってるわ」




アパートメントを出て、人目に付かない場所を探して、入り込む。


「帰ろう。転移魔法は気が進まないかも知れないが……」


歪む色彩に、一瞬、身体が震え、目を閉じた。でも、彼の腕が私の肩に回されると、途端に恐れが退いていく。

ほんのわずかな時間を経て、私達が戻ってきたのは、アロイス様の私邸。出発した時と同じ、食堂の片隅だ。


「お帰りなさい! 御主人様、ユリエル様!」


パールの明るい声が聞こえて、身体を縛っていた緊張感が解けていった。




***




「城への報告は、しばらく延ばした方がいいだろうな」


温かい食事を済ませ、お茶を飲みながら、アロイス様がポツリと言う。


「事が大きくなり過ぎた。神々の闘いなど、人が介入できる範疇を超えている。エルデ嬢の動向は、今後も注意する必要があるが、それ以外は静観した方がいい。

調査は続けるにしても、報告するのは、人間がどう立ち回ればいいのか、もう少し判ってからにしよう。セプタ教団も解体が進んでいるし、戦争が起こる心配はないはずだ」


「そうですね……私もそう思います」


エルデさん……エルデ様はそうでもないけれど、ゾンネ様の方は、明らかに人間とは違う種類の存在だった。種類と言うより、次元が違うと言った方が、近いかもしれない。


「ただ……」


アロイス様が、カップをソーサーに置き、神妙な顔つきで言った。


「その子の、ノエルの父親は、もしかしたら彼らのような、神と言える存在なのではないかと思う。その子が、まだこの世に生まれ出てもいないのに、母親ごと転移魔法を何十回も繰り返すような力を持つのは、おそらく……

だから、エルデ嬢やゾンネ神にペンデュラムが反応したのだろう」


「神の子……ですか?」


確かに、命がお腹に宿った経緯からしても、この子の父親が人間でない可能性は、大いにあった。でも……


「ノエルの父親が、もしそう言う存在だとしたら、国はどう判断しますか?」


「それは……」


「この子を利用しようとしたり、しませんか?」


「………………………………」


しばらく無言を貫いていたアロイス様が、口を開く。


「正直なところ、現国王陛下の元では、危ないと思う。あの人は表向きは物分かりが良さそうな風を装っているが、その実、野心が強い人物だ。ただ、ジェール第一王子殿下が王位を継承すれば、あるいは、父親の正体は秘したままで、普通に過ごさせることができるかもしれない」


「たとえば、私が身を隠して、別の国に行って出産し、子供を育てて、ジェール殿下が即位してから戻る……といったことは、可能でしょうか?」


自分で言いながら、辛さが募る。その選択をすれば、もうアロイス様と一緒にいることはできない。だけど、ノエルのことを考えたら、それが一番良い。


「それをすれば、あなたの御両親に、どんな咎があるか分からない」


そんな……お父様にもお母様にも、迷惑なんて掛けられない。一体どうすれば……




「一つだけ、方法が無くはない」


アロイス様が私の目を、真っ直ぐに捉えながら言う。




「あなたが、亡き者になることだ」

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