第三十二話 この世にいない者として
アロイス様は続けた。
「あなたが亡くなった事にして、この先、世間から身を隠し、人目の届かないところで、子供を産み育てる。
現状では、それしかないだろう。御両親とも、友人とも、会うのは叶わなくなる。御両親にだけは、一度事実を話した方が良いだろうが、それ以外は誰が監視しているか分からない。魔導士団にも、人の残した気配を判別し、個人を特定する能力を持つ者が数人いるし、人の口に戸は立てられない」
「それでは……」
「子を取るか、それ以外を取るか、その二択になる」
私は、押し黙った。身の回りに、大切な人は、たくさんいる。全ての繋がりを断つ、と即答できなかった。
……でも、友人達は、私がいなくなっても、幸せに暮らせる。
……両親は……私がいなくなったら、悲しむだろう。……でも、普通に生きてはいける。
ノエルの片親は神かもしれない。そうでなくても、何か大きな力を持っている。
だけど、それは幸せを約束しない。
それどころか、野心や野望を持つ人間に囲まれたら、おそらく、まともな生き方はさせてもらえない。
そんなの、絶対、駄目だ。
逸らしていた視点を戻し、アロイス様を見つめ返す。
「私……この子を幸せにします。私が私として、この世界にいられなくなっても」
***
それから数日。
アロイス様に連れられて、出掛けた先は、彼の自宅兼研究所から程近い森の中だった。それほど人が近付く気配はなさそうだけど、関係者以外は道に迷って、森の奥には入り込めないようにしてあるらしい。
落ち葉を踏みながら、しばらく歩くと、モスグリーンの屋根に白い壁のコテージが現れた。貴族の屋敷としては狭いが、親子二人が暮らすには、十二分の広さがありそうだ。
「いらっしゃいませ! ここが隠れ家ですよ。お掃除はもう済んでますから、どうぞ、上がってくださいませ」
中から顔を出したパールに手を引かれて、玄関の扉を潜っていくと、そこにはペールカラーの落ち着いた調度品が設られた、リビングがあった。
「お食事や、身の回りの御世話は、私がしますからね。お召し物や日用品は揃えてありますが、必要な物があれば、何でも申し付けて下さい」
「ありがとう、パール……あの」
アロイス様の方を振り返って礼を言う。
「ありがとうございます。ここまでしてもらって、私、お返しできる事が……」
「気にしなくてもいい。私はただ、お膳立てをしただけだ。
それより大事なのは、これから始める茶番が上手くいくかだ」
そう、私はこれから、心臓発作により死ぬ予定だ。表向きは。
昨日、両親に事情を説明し、長の別れを惜しんできた。
二人とも泣いていた。とくにお母様は私を抱きしめながら、号泣した。だけど、ここまでの王家の対応に業を煮やしていた両親は、私が身を隠すことに納得してくれた。二人のためにも、必ず成功させなければ……
アロイス様の私邸に戻った私は、白い死装束に着替えた。そして、玄関に一番近い部屋に置かれた棺桶に、自ら横たわる。
パールが私の身体の周囲に、青い花を次々に置いていった。アロイス様が棺の傍らに
「城と教会に、あなたの死亡を報告した。これから、あなたとノエルの時間を止める魔法を掛ける。四十八時間が限度だ。これで聖職者があなたを診断しても、本人に相違なく、呼吸も心臓も停止していると診断するだろう。教会を先に呼んだから、王家であろうとあなたの遺体を王立研究所に運ぶような真似は許されない。無事に埋葬されるはずだ」
「しばらく、お別れですね」
「すぐに会える。あなたの時間が動き出す前に保護し、森の隠れ家に連れていくから、安心するといい」
不安が全くないかといえば、嘘になる。それでも、私はこの人を信じる。手を胸元で組み、瞼を閉じると心地良い闇と静寂が周囲を覆う。そのまま、私は意識を失った。
***
教会の鐘が鳴り響く。
「ローデント侯爵家が長女、ユリエル・ローデントよ。
その御霊、天に帰らん。永遠の安らかなる眠りに付き給え……」
この国の正教会を取り仕切る大司教が、自ら聖書の詔を読んでいる。侯爵家以上の貴族の葬儀ならではの光景だ。
式が終わり、弔問客が、それぞれ手にした白い花を、すでに敷かれた青い花の上に、覆い隠すように入れていく。
「心臓発作だそうだ」
「まだ若いのに、お気の毒に……」
泣き濡れる両親を、親族が支えている。
深く掘られた墓穴に、棺桶を埋める直前、教会の神父が数人、命が無いことを確認した。
後ろの方で王家の関係者が、案の定、遺体を引き取ると言い出し、教会から断られている様子が窺えた。
大丈夫。事は上手く運んでいる。あとは、人気が無くなってから、彼女を回収するだけだ。
王家からは彼女の容態に気付かなかったのかと、強く責められたが、特に構わない。魔導士団の団長など、いつ辞めたっていいのだ。もともと研究畑にいたのを無理やり引き抜いたのは、向こうなのだから。彼女を無事に逃がせるなら、王族の謗りくらい、何でもない。
……そんな事を思いながら、葬儀の一部始終を見守っていたアロイスだったが。
「ねえ、あれは何かしら?、ほら、あそこに何か赤い物が……」
御婦人の一人が、空を指差す。
空の果てから、小さな赤い光が、みるみる近付いて来る。
「おい!こっちに来るぞ!」
「キャアアア!」
弔問客の喧騒の中、赤い光が轟音と共に、棺の側に着地した。
光が弱まると、その輪郭は、長身の、逞しい体つきをした、赤い長髪の男の姿へと変化する。
「まさか……ゾンネ神か!?」
驚愕するアロイスを尻目に、ゾンネは棺桶の重い蓋を持ち上げると、軽く放り投げ、呟いた。
「ここに、いたか」
そして、さっさとユリエルの身体を肩に担ぎ上げると、再び光を放ち、空に舞い上がっていく。
咄嗟に追跡用の魔法を放ったが、できるのはそこまでだった。
突然現れた、恐ろしい威圧感を放つ存在に、なす術がない。
彼女は赤い光に攫われて、あっという間に地平の果てに消えてしまった。
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