第二十五話 謁見の間にて
グリスローダ城の、とある執務室。書類の手を止めた第一王子ジェールは、溜息を吐いた。目の前で駄々を捏ねているのは、愚弟である第二王子シェランだ。
「それは絶対に認められない。何度言えば分かる」
「別に、正式な妻じゃなくてもいい、愛妾でいいんだ。彼女を城に迎えたい」
「そんなの、なおさら駄目に決まっているだろう。ユリエル嬢は本来なら侯爵家の嫡子だったんだぞ。しかも一時は正式に婚約までしていた。そこまで言い募るくらいなら、なぜあの時、一方的に婚約を破棄した? あそこで踏み止まっていれば、まだ状況は違ったんだ」
王家にとっても、王子の婚約者が処女懐胎するなど、想定外だった。いずれにせよ、婚約は解消せざるを得なかったが、詳細がハッキリしない内に婚約を破棄したのは悪手だ。これで、政治的な野心はないが、外交に強く、手広く商売をしているローデント侯爵との関係は冷え切ったものになった。
「そもそも、お前、ユリエル嬢本人の同意は得ているのか? 一度、魔導士団長のところへ押しかけて、追い払われたと報告が上がっているぞ」
その一言で、弟の顔色が変わるのが分かった。
「彼女は洗脳されてるんだ。アードラーも結局は、彼女を実験に使っているんだろう? 助け出さなければ!」
「もういい、仕事が進まない。出ていくんだ、シェラン。
言っておくが、得体の知れない子どもが腹にいる相手は、諦めろ。
どうしてもというなら、彼女とお前が相思相愛で、かつ子供が生まれて、正体が分かり、安全だと分かってからだ」
「相思相愛なら、いいんだね!?」
言質を取った、と言わんばかりの弟は、屈強な護衛二人に両腕を掴まれながらも、僅かに微笑みを湛えつつ、部屋を引き摺り出されていく。その姿を視界の端に入れながら、第一王子は、もう一つ、海より深い溜息を吐いた。
「両親も、私も、あれを甘やかし過ぎたな……」
こめかみを押さえつつ仕事に戻って間もなく、再びノックの音がした。
「誰だ?」
「先ほど、ローデント侯爵とその御令嬢が、昨日の件で登城いたしました」
「分かった、すぐ行く」
ジェールは、やれやれといった体で、椅子から立ち上がった。
***
舞台は王家の謁見室。
「この度はご苦労であった」
玉座に腰かけたジェール様が、私達に声を掛ける。お父様と私は最敬礼の礼を取る。
「かしこまらなくとも、よい。ユリエル嬢は、そこの椅子に掛けるように」
妊婦の私に気を遣ってか、謁見の間にもかかわらず、布張りの椅子が一脚用意されており、私は今一度、軽くカーテシーをしてから、着席した。
「こちらが、昨日我が家に飛来した、赤い光を帯びた男に関する報告書です」
私が書いたレポートの束を、父がうやうやしく殿下に差し出した。殿下はしばらく報告書に目を通すと呟く。
「この男は神を名乗っているのか?」
「はい、この子の父親の所在を示す座標が、この人物と一致しましたので、呼びかけたところ、空から降りてきたのです」
「では、そなたのお腹の子は、神の子なのか?」
「それが、この子との親子関係は、本人が強く否定しました。ただ、血縁関係にあるのは間違いないはずです」
「そうか……令嬢が一人で、よくこんな存在と対峙したものだ。もう戻っていいぞ。大儀であった」
帰宅の許可が下り、お父様が私に目配せをした。
「それでは失礼いたします」
三度目のカーテシーをして、その場を立ち去る寸前……
伝令が謁見の間に駆け込んできた。ジェール殿下が立ち上がり、強い口調で問う。
「何事か!」
「第一王子殿下! ご報告があります! 隣国エストリールとの国境の防衛線で、我が軍が勝利を収めたとの報告が入りました!敵軍が降伏したそうです。こちらの負傷者は二十人ほど出ましたが、死者はゼロ。今後の指示をお願いいたします」
戦いが終わった……死者はゼロ……
あの人は、アロイス様は、無事に帰ってくる。
頬に、体温が伝うのを感じた。私、泣いている……? 慌てて、いつも持っているだけで、ほとんど使ったことのない扇を、顔の前に広げた。
「ユリエル、私はしばらく殿下と戦況についての報告を聞いてから帰宅する。王家の近衛騎士に馬車までの護衛を頼むから、先に戻っていてくれ」
父は扉の付近に立っていた騎士の一人に事情を話して私を託すと、そのまま殿下のところへ歩いていった。
「よろしくお願いします。うちの馬車は正面玄関の向かって左側に停めております」
「承知いたしました」
私はハンカチで涙を拭うと、二十歳前と思われる若い近衛騎士に挨拶をして、馬車まで送ってもらう。コツコツと足音が響く廊下で、私は、次にアロイス様に会ったら、どのように声を掛けたらいいか、考えていた。まずは、無事の帰還を祝って、戦いの苦労を労って……
しばらく考えていると、後ろの方から、カツカツカツ……と走り寄ってくるような足音が聞こえてきた。何か、胸騒ぎがする。
「ユリエル、会いたかった」
振り返ってすぐ目に入ったのは、息を切らしている、元婚約者のシェラン様の姿だった。
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