第二十四話 国境での攻防
急いで屋敷に戻ると、玄関ホールは大騒ぎになっていた。
「さっきの轟音は何だ!?」
「一体何が起こったたんだ!?」
「皆、落ち着くように! 手が空いている者は、武器を持って、東庭園に向かってくれ」
お父様の留守中、怯える使用人達に、執事が指示を出している。
「ユリエル! ああ、よかった、無事で」
お母様が安心したように駆け寄ってきた。
「お母様、大丈夫です。騒ぎの原因は、すでに我が家を去りました。それより、ごめんなさい。庭園の石畳が壊れてしまって……」
「えっ……あれは、割れるような物なの? 石よ?」
私は、先ほどの顛末を、細かく母に報告した。お母様は、よく分からないといったふうにキョトンとしていたが、現場に連れて行くと、バキバキに割れた石畳や、えぐれた地面に、いたく憤慨した様子だ。私が平身低頭で謝ると、母はこちらに向き直った。
「あなたに怒ってるんじゃないわ。自称『神様』に怒ってるのよ。もしその人がお腹の子の父親だったら、こんな無責任な話はないし、父親じゃなくても、人の大事な娘を『頭がおかしい』呼ばわりするだなんて! 可哀想に、怖い思いをしたわね……」
そう言って、私の肩を抱き締めた。
屋敷に戻った母は、執事を呼んで、庭園の修理の手配をするよう、打ち合わせをしている。
私の出る幕はなさそうなので、自室に戻り、ベッドで少し横になった。
……二時間ほど眠っただろうか。玄関に、客人があったようだ。
しばらくすると、ドアをノックする音が聞こえ、さっきのメイドがすまなそうに声を発した。
「お嬢様、王家の使いの方がお見えです。赤い光の件だと思われますので、応接室までおいでくださいますか?」
王家の使い……何だか少し、嫌な予感がした。取り急ぎ、玄関に向かう。
「本日起こった、ローデント侯爵邸における赤い光の件ですが、昼の時間帯だったため、多数の目撃者がいます。第三の凶兆ではないかと噂が一人歩きして、不安を感じているものもおります。もしも事情を知っているなら、速やかに登城し、実態を報告するように、と第一王子殿下が仰せです」
使いの者は、それだけ告げると、去っていった。
…………やっぱり。
アロイス様の私邸でシェラン様といざこざがあってからというもの、お城に行くのは正直、気が進まない。だけど城に行くのは、すでに決定事項だ。
それに合わせて、当事者である私は今、報告書を書き起こしている。思い返しても、何だかよく分からない出来事だけれど。
ふと、赤い髪の男と対峙した時の、お腹から沸き上がった怒りの記憶が呼び覚まされた。それまで心を閉ざしていたノエルの、突然の怒り。この子は一体、何をあんなに怒っていたのだろう……?
ペンを置き、席を立って、窓から西の方角を見つめる。
あの空の下で、あの人が戦っている。どうか、無事でいますように。そして、一日も早く帰ってきてくれますように。
私は指を組んで、繰り返し、大切な人の帰還を願った。
***
グリスローダとエストリールの境界線では、この一週間ほど、断続的に攻防が続いている。
切り立った山と、峡谷で隔てられた両国の、唯一繋がっている国境部分は狭い。その奥にいるセプタ教団兵は、ほとんどが魔導士で、遠距離攻撃が中心だ。そのため一般の騎士や兵士は役に立たず、魔導対魔導の総力戦となっていた。
アロイスがいかに優秀とはいえ、魔導士の総数はエストリール側の方が倍以上いる上に、何らかの力で、全員の魔力が恐ろしく強化されている。完全に事態は膠着していた。
暗雲が低く渦巻く戦場を見つめながら、アロイスはこのまま王都に戻れない可能性を考え、すぐに振り払う。上に立つ者がそれではいけない。万が一のことがあっても、なるべく多くの部下を無事に帰還させるのだ。そして、いざとなったら、身を挺してでも、敵を殲滅する。
そして、一つ大掛かりな敵の魔法が、本隊スレスレのところを掠めていった時、覚悟を決め、自軍の魔導士達を下がらせた。
「団長、まさか……やめてください!」
直属の部下が悲痛な声を上げる。
身体に残った、ありったけの魔力を練りながら、最後になるであろう魔法の詠唱を始めた。
……やはり、彼女を突き放して、よかった。
あと二言三言で、紡いだ詠唱が終わろうとする瞬間……
自分達の背中側から、敵がいる正面に向かって、何かが大気を巻き上げながら、矢のように飛んできた。
真っ赤な光の塊だ。
「うわあああああああ」
「何だ、あれは!?」
敵も味方も、パニックを起こしている。
「まさか、あれは……!?」
操られたカールから抜け出た光……?
アロイスは驚きで、自分が詠唱を止めたのにも気付かなかった。
赤い光は、エストリール西側にある、せり上がった森の上空で、しばらく静止した。
そして、一瞬のうちに、数百本の赤い槍を空中に作り出し、森に隠れた、一見小高い丘に見える場所へと一気に打ち込んだ。
ドーーーーーーーーン……
遠くから響き渡る、地鳴り。
突然、エストリール側の攻撃が止み、敵の魔導士達が、バタバタと倒れ始めた。控えていた味方の騎士団が、崩れた国境の壁から、敵地に乗り込む。戦況は一気に逆転した。
騎士の一人が、倒れ伏した教団の魔導士の体を起こして、絶句した。魔導士の眼孔は落ち窪み、ミイラのように、全身から水分が抜けていたからだ。
そして数日、セプタ教団は正式に降伏し、エストリールは、一時的に、グリスローダの傘下に入ったのだった。
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