第二十三話 天を割く赤き光

自宅に戻ってから、私は塞ぎ込んでいた。両親に無用な心配を掛けて、申し訳ない気持ちはある。でも、アロイス様に会えなくなったのが、すごく辛かった。彼はエストリールとの国境付近に敷かれた包囲網で、魔導士たちの指揮を取っているという。無事でいて欲しい。


ほんの数日、彼の家でお世話になり、一緒に旅をしただけなのに、あの人の存在は、自分の中でとても大きくなっている。できれば、もっと側にいたかった。彼には必要とされてないし、お腹には、他の誰かの子どもだっているのに……


「ねえ、ユリエル。少し、庭園でも散歩したらどうかしら? 閉じこもってばかりじゃ、身体に良くないわ」


お母様に言われて、屋敷の東側にある庭園を散歩する。刈り込まれた緑草の枠の中に咲き誇るベゴニアは、ちょうど見頃だ。そう、子どものことを考えたら、健康を害するわけにはいかない。私がしっかりしないと。


あれから、ノエルは感情をほとんど表さなくなっていた。

……ノエル、ノエル、聞こえる?

ごめんね、あなたのことも大切だからね。元気を出してね。


しばらく歩いて、庭園を何周か回り終えると、私は首から提げたペンデュラムを、そっと握りしめた。アロイス様はこれを回収して行かなかった。隣国との戦いが終われば、再びノエルの父親を探す事になるからだろう。無事に終わればの話だけれど……いや、今は考えまい。


あれ以来、何度試しても、石は座標を示さなかった。赤い光は次元の狭間に逃げ込んだようだし、もう役に立たないのかも知しれない。自分の無力さを噛み締める。


革紐を手にぶら下げ、矢尻の形をした水晶を見つめながら、何の期待もせず、いつも通り、ぼんやりと唱えた。




「指し示せ…」




突然、革紐が力強く、グイッと空に向かって引っ張られる。


【東に2クエル、北に3クエル、地上7クエル】


擦れた声が、響く。


!! まさか!! 座標が示された!?


辺りには、使用人も護衛も見えない。自分一人だ。だけど今を逃したら、もうペンデュラムは反応しないかもしれない。思い切り、水晶が指す天空に向かって叫んだ。


「手に獅子の痣がある人! 聞こえますか!? 聞こえたら、ここに降りてきてください!!」


一瞬の静寂ののち、東の空に浮かぶ雲の一塊りに、カッと赤く光が灯ると、赤い稲妻のような光がジグザグに空を割き、こちらに向かってくる。


【東に1クエル、北に2クエル、地上5クエル】

【零地点、零地点、地上3クエル】

【零地点、零地点、零地点】


…………ドン!!


光が、着地した。敷いてあった石畳がひび割れ、めくれ上がっている。

轟音と地響きにふらつき、倒れかけた私の左手首を掴んで、支えたのは……


長身で、ガッチリした体型の、腰まで届きそうな赤い長髪の男だった。精悍な顔立ちだ。

私の手首を離した、その手のひらには、間違いなく獅子の横顔をした赤い痣が見える。

その人は、特に感情の籠らない声で言った。


「娘よ、私は人ではない。神である。何故なにゆえ、神を呼び止めた。何故、獅子の印を知っている」


「神……様……?」


頭の処理が追い付かない。神様、なの? いや……とにかく冷静になれ、冷静になれ、と自分に言い聞かせる。


「私のお腹の中に、貴方様か、貴方様の血族の方の子どもがいます!」


まず、言わなければと思う事を、何とか言い切った。しばしの沈黙の後、目が普段の倍くらいに開かれ、口をあんぐり開けた神様が答える。


「は…………?

馬鹿な。なぜ神が人などを相手にせねばならぬのか。第一、私には親族などいない。妻だけだ。娘よ、お主、気は確かか?」


何だか……腹の底から、怒りが湧き上がってきた。私? ううん、ノエルが怒っている……?


「それを言うなら、私こそ、誰も相手にしたことなんてありません! でも子どもが宿ったんです。しかも、普通の人間の赤ちゃんとは違うんです。何かの力があるんです!」


ノエルの怒りにつられて、思わず神様に言い返した。


「愚かな……幻でも見ているのか」


赤毛の神は、心底呆れたような、不機嫌そうな表情になりながら、獅子の痣のある手を、私のお腹にかざす、が……


「…………!!! なんだ、これは……!! どう言うことだ!?」


「神様……?」


「私ではない! 断じて、私ではないぞ!」


焦燥した様子の神の身体は、みるみる赤い光を放ち始めた。そして一気に上空に舞い上がり、来た時よりも遥かに速いスピードで、飛び去っていく。残された私は、ポカーンとしながら、遠ざかる光を、ただ見送った。


「え……? 何? 本当に、あれは、神様だったの……?」




神が去った後、遠巻きにして見守っていたと思われるメイド1人と護衛が3人、バツが悪そうに駆け寄ってきた。


「お嬢様! 大丈夫ですか?」


「申し訳ありません! 体がすくんでしまって……」


「大丈夫よ。さあ、皆、屋敷に戻りましょう。」


本物ならば、相手はやんごとない存在だ。皆、咄嗟に身動きが取れなくても仕方がない。それより母の自慢の庭園の石畳がえぐれてしまったことの方が気になった。後で謝らなければ。


メイドに支えられて歩きながら、ふと、思い出す。

しまった、そういえば、エルデさんの言伝ことづてを伝えられなかった。それに、カールに乗り移って、セプタ教団の経典を奪った理由も、聞けてない。


あの神様にまた会う機会なんて、あるのだろうか……?

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