第二十二話 懐かしの我が家

その日の深夜、私達の荷馬車は、無事に国境を越え、故国・グリスローダの土を踏んだ。数日前の逆流星の影響を恐れ、エストリールを出国する者がそこそこいて、彼らに紛れることができたのだ。


これが、カール脱走の知らせが関所に届いた後なら、通るのは難しかったかもしれない。アロイス様の判断は正しかった。


往路にも通ったレヌ村の宿に一泊し、翌日の午後には私の自宅であるローデント邸に到着した。荷馬車を降りると、すぐに認識阻害の魔法を解く。私達は本来の姿である、王立魔導士団長と侯爵令嬢に戻った。


「お帰りなさい、ユリエル」

「団長殿、娘を無事に帰してくれたこと、感謝します」


いつもの応接室で温かく迎えてくれる両親に、アロイス様はやや険しい面持ちで尋ねた。


「王家の様子は分かりますか?」


「それなんですが……あれから二度目の逆流星が流れたのはご存知ですか? 陛下はあれを見てから心労で体調を崩されて、床に臥せっておられると聞いています。今は第一王子殿下が、全てを取り仕切っておられるとか……」


「なるほど……いや、むしろ好都合です。冷静に判断を下せる人間が、上に立っている方が望ましい」


「いや、まことにそうですな。それはさておき……腹の子の父親は見つかったのでしょうか?」


「残念ながら……ただ、血縁が認められる女性を見つけることはできました。しかし彼女も詳しいことは知らないようで、今後も長い目で見た調査が必要です」


「そうですか……」


残念そうに俯くお父様。アロイス様は父に向かって、頭を下げながら、話を続ける。


「それから、これ以上御令嬢をあちこち連れ回すのも忍びないので、今後はこの邸宅で、御両親が保護していただけないでしょうか」


「えっ!?」


その内容に、てっきり、この後も一緒に研究所兼屋敷に戻るものだと思っていた私は、声を上げてしまった。


「そうね、その方がいいわ。自分の部屋でゆっくり休みなさい、ユリエル」


お母様が嬉しそうに顔を綻ばせ、お父様が横でうんうんと縦に首を振る。


「でも……まだ、懐胎の謎は判明していません。私に協力できる事が、まだあるのでは……」


「あなたは身重なのです。それに、非情になれない人間だ。これ以上、危険な事に首を突っ込んではいけない。陛下と違って第一王子殿下なら、あなたをどうこうしようという考えには至らないはず。御両親と共に安全な場所で、守られながら過ごした方がいい」


真剣な眼差しのアロイス様に言われる。

そうか……この旅で、私は彼の足を引っ張ってばかりいた。足手纏いになっていたのだ。

それに妊婦なのも間違いはない。だったら、仕方がない。仕方が……


不意に涙が出そうになって、必死に堪え、答えた。


「分かりました。どうぞ、お一人で調査をお続け下さい。成果が出るのをお祈りしております」


彼は明日、城へ報告に向かうと言う。


屋敷の玄関で、貴族用の馬車に乗り込むアロイス様の背中を、両親と共に見送った。


「どうぞ、お気を付けて……」


その言葉が彼に届いているのか、いないのか、分からなかった。




***




翌日、午前中のグリスローダ城。謁見の間で、旅の報告が行われた。部屋には、アロイスの他に、ジェール第一王子殿下と、ロイン宰相のみ。ごく内密なものだ。




報告内容は


・自分達が国境を超え、入国した途端に、逆流星が流れた事。


・腹の子の親族らしき人物はいたが、女性、かつ天涯孤独であり、今回の件には無関係であること。


・隣国は完全にセプタ教団に掌握されていること。そして、滞在中に経典が盗まれたこと。


・父親の可能性がある人物が、経典を持ち去ったこと。そして、この人物は何らかの術を使って人間に憑依したり、実体を伴わずに光となって高速移動したりが可能であり、人間ではない可能性も高いこと。




ジェール殿下は、報告が進むごとに眉間の皺を深くして、頭を抱えた。


「それは……我々の手に負えるものなのか?」


「正直なところ、難しいですね」


「団長がそこまで言うのは珍しいですな。それほどのモノなのですか……」


ロイン宰相が、顔色を青くした。アロイスは、なおも話を続ける。


「もう一つ心配なのは、セプタ教団が、経典の盗難をスパイの仕業と判断して、他国に攻撃を仕掛けることです。エストリールと国境で接している我が国も危ないと思われます」


「きな臭くなってきたな……分かった、国境付近の守りを固めよう。アードラー魔導士団長、協力してくれ。処女懐胎の究明は後回しでいい」


「了解いたしました」



謁見室を後にしたアロイスは、廊下を歩きながら、国境に派遣する人材や、迎撃の方法を考える。

その最中、昨日まで行動を共にした少女の顔が、ふと浮かび、すぐに打ち消した。


経典の盗難があった時点で、こうなる事は予想が付いたのだ。彼女はただの被害者であり、協力者だ。こんな事に巻き込む訳にはいかない。


彼女には幸せになる権利がある。

そして自分には、それがない。


強い風が雲を押し流す空の下、アロイスは王立魔導士団の庁舎に向かって、歩いて行った。

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