第二十一話 逃亡の手助け
アロイス様の視線が、急にこちらを向く。
「座標を出してくれ!」
私はテーブルの隅に置いていたペンデュラムを急いで拾い上げた。
「指し示せ!」
革紐の先の水晶は、ビン!と強く斜め上に引っ張られる。
【東に6クエル、北に2クエル、地上1クエル】
【東に10クエル、北に3クエル、地上3クエル】
【東に16クエル、北に3クエル、地上7クエル】
【計測不能……計測不能……計測不能……】
みるみる遠ざかる数値が、続け様に告げられ、あっという間に見失った。
「次元の裂け目に入ったな……」
アロイス様がテーブルに置いた拳に力を込める。
「我々が探していた者は、人間ではなさそうだ。カールという男は依代に過ぎない。おそらく経典とやらを手に入れるために利用されたのだろう」
「そんな、それじゃ……」
「調査は振り出しだ。一旦、グリスローダに戻る。子どもの親族を見失った以上、危険な土地にこれ以上長居すべきではない」
「でも……」
視界の片隅に入る光景を見て、胸が少し痛んだ。テーブル上の水鏡には、気絶したカールが本人の知らない罪状で、教徒達に引き摺られて行く様が映っているのだ。
「この人を助ける、というのはダメですか?」
「そのような義務はない。彼も教団の人間だから、何かの罪に手を染めている可能性もある」
「だったら、せめて、この人が赤い光のような物に取り憑かれた時の話だけでも、聞けないでしょうか」
我儘を言って申し訳ないと思いつつ、私は鏡に映る人を見捨てられなかった。この数日間、観察していたが、真面目に働き周囲に気を遣う、善良な一市民にしか感じられなかったからだ。
目の前の青年が、大きく溜息を吐いた。
「……分かった。だがしばらく待ってくれ。あの男が処分されるとしても、取り調べが済んでからだろう。水鏡で様子を見て、本人が一人になったら、移動させる」
私達は再び、水鏡を見つめる。意識を取り戻したカールは、取調室でもやはり「知らない」を繰り返し、やがて地下牢へと移された。
***
夜も更けた頃、宿の部屋の床に書かれた転移陣に、一人の男が姿を現した。
「こ、ここは……!?」
カールは驚き、怯えたような表情で、辺りをキョロキョロ見回している。私は声を掛けた。
「ここはクレストの外れにある宿です。あなたが教団に捕捉されていたので、お助けしました」
「あ、あんた達は誰だ?」
「ごめんなさい、身分は明かせません。でも、お尋ねしたいことがあるのです」
「そうだ、私は経典を盗んだ疑いをかけられて……だが、本当に何も知らないんだ!」
殴られた跡と思われる頬の青痣に手をやり、興奮しかけたカール。その肩に手を載せ、アロイス様が冷静に言う。
「我々が聞きたいのは、あなたに取り憑いていた、赤い光のことだ」
「赤い光……? ああ、あれも一体、何だったんだ……なんであんなことになったのか、私にもよくわからない……
それより、私はどうしたらいいんだ? あそこに戻ったら、処分されてしまう!」
「家族はいるか?」
「親兄弟がいるが、この国じゃない。帝国に住んでいる」
「だったら帝国まで送り届けよう。牢から消えたのが分かれば、この国ではお尋ね者になるはずだ」
「あ……ああ、そんなことができるのか……そうだな……そうしてもらえると、ありがたい、かもしれない……」
逃げられると分かったせいか、彼は少し落ち着き始めた。
「カールさん、あなたの髪、今は黒いけれど、赤い光が出ていく前まで、赤かったですよね? どうして色が変わったのか、心当たりはありますか?」
「髪? ああ、そうだ、しばらく前に、酒場で……知らない男に酒を勧められて、酔っ払って、起きたら髪の毛が真っ赤だったんだ。驚いたが、それ以降、気が大きくなったというか、度胸が付いたというか……仕事も上手くいくようになって。だから、そのままにしてしまった……」
「どんな男の人でした?」
「確か……背が高くて、ガタイが良い男だった。そう、髪は真っ赤だったと思う」
大柄な、赤い髪の男……思わず、緊張で背筋が伸びる。
「その人の手に、赤い痣はありましたか?」
「いや、そこまでは覚えてないが……」
「そうか、もういい。帝国まで送ろう」
「ちょっと待ってください」
私は、陣の上にカールを立たせようとするアロイス様を引き留めた。すぐさま上に纏め上げた髪をハラリと解き、髪の奥の、外から見えないように留めていたヘアピンを外す。ピンには親指の爪サイズの宝石が付いていた。そこまで高価な物ではないが、庶民が当座の生活を賄う程度の価値はある。旅先で何かあった時の保険代わりに身に付けていたものだ。それをカールに手渡した。
「着の身着のままで逃げるのです、せめてこれを」
「あ、ありがとうございます!この御恩は忘れません」
カールが涙ぐみながら、ヘアピンを受け取る。
「さあ、送ろう」
アロイス様が、カールと一緒に転移陣に乗って姿を消すと、十分程で戻ってきた。そのまま無言で、転移陣を消している。あまり感情を表に出さない人だが、今は心なしか、不機嫌に見えた。どう話しかけようか迷っていると、不意に彼から、視線で射られる。
「あなたは、誰にでも、ああなのか?」
「ああというか……罪の無い人が処分されるのを、見てられなかっただけです」
少し臆しながらも、何とか答える。
アロイス様は一旦天井を見上げて、溜息を吐きながら下を向くと、急に荷物を纏め始めた。
「さあ、ここを出るぞ」
「えっ、もう?」
「朝になって、カールがいないのがバレたら、検閲が厳しくなる。急いで国境を越えなければ」
私達はすぐに宿を発ち、荷馬車で国境に向かった。
結局お腹の
後は手のひらに獅子の痣がある、赤い髪の男の人を探さねば……手掛かりは今のところ、ないけれど。
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