第二十話 標的の男
「あれは、我が国の古い文献に載っていた言葉だ。『白き闇』にも、『赤き獅子』にも、他意はない。エルデ嬢とも今日、初めて会った」
アロイス様は、とくに表情を変えることもなく答える。だが急にこめかみに手を当てると、何か思い出したように続けた。
「ただ……手のひらに赤い痣がある男には、会ったような気がする。それが獅子の横顔の形だったのかは、記憶がないが」
「その人は今、どこに?」
「分からない。名前も知らないし、随分と昔の話だ。……しかし、この大陸の人間には、赤い髪も、老化によらない白い髪も珍しい。特定するのは難しくないはずだ。もしその男に出会ったら、彼女の言葉を伝えるのは、やぶさかでない」
「そうですか……」
何かが分かる予感がしていたのに、答えが見つからなくて、少ししょんぼりする。とりあえず、獅子の痣を持つ人に出会うことがあれば、必ずエルデさんの伝言を伝えようと、改めて決意した。
「それはさておき、今後、どうするかだ……
我々の目的は、子どもの血縁に接触することだ。戦いを仕掛けたい訳ではないから、なるべく穏便に済ませたいが、城は警備が厳重なため、無計画に潜入するのは難しい。
この宿で、日にちをかけて、ターゲットの座標を正確に割り出し、
会話しているようなら、それも聞く。本人の名前や身分、行動パターンが分かったら、相手が一人になる時間を調べ、長時間一人になった時に、接触する」
「教団の人間が大勢いる城に、単身、乗り込むのですか!?」
「いや、魔法で声だけを飛ばす。だからこそ事前の調査が重要になる。必要な条件が揃うまでは動かない」
なるほど……と感心して、ふと気付く。さっき、私は今後は同じ部屋に泊まることに同意した。
ということは、私とアロイス様は、明日から情報が集まるまで、ずっと同じ空間で共に過ごすことになるのだ。ほとんど一日中、朝から夜まで。
急に緊張してしまう。私は夜、ちゃんと寝付けるだろうか……
い、いや、それ以前に……い、今……
私はやにわに立ち上がると、アロイス様の側に行き、小声で囁く。
「あの、私……今から、お手洗いに入るのですが、その…………
音を、消していただけないでしょうか」
一瞬キョトンとした彼が、笑いを堪えながら快諾するのを確認してから、私は急ぎ、化粧室の奥に駆け込んだ。
***
あれから五日。私とアロイス様は宿屋の一室で、ノエルの親族、もしかしたら父親かもしれない人物の調査に勤しんでいた。
まず、アロイス様がわざとテーブルに水をこぼし、広げ、水鏡を作り、
私がペンデュラムで、目標の人物の座標を調べる。
アロイス様が座標に合わせて、映し出す場所を調整し、ターゲットを観察する。
……その繰り返しだ。
単調な作業だけれど、これを怠ると後に響くのだから仕方がない。
それでも、標的となる人物像は、徐々に判りつつあった。
カール・グロス。男、二十七歳、独身。エストリールを実質支配するセプタ教団の行政部で働いている。痩せ型で、頬が少しこけているが、見た限り態度は堂々としており、話し方には威厳すら感じられる。
特筆すべきは、髪が赤いことだ。とくに大柄ではないし、手のひらに痣がある様子でもないが、エルデさんの血縁でもあるし、彼女が探す人とも、何か関係があるかもしれない。
問題は、カールが一人きりになる瞬間が、意外と少ないことだ。まだ彼の家族構成が分からない。独身なのか、結婚しているのか、普段寝泊まりする場所も不明。城内で接触するのが難しそうだから、何とか自宅を突き止めたいところなのだが。
しばらく前進しない調査にうんざりしながら、カールを見張っていると、午後、異変が起きた。
「私じゃない! 私は何もしていない!」
水鏡の向こうで、必死に叫ぶカール。行政部の彼の机を取り囲むのは、手に剣を構えた大勢の教徒と、セプタ教団の教祖、エンゲルスだ。
「黙れ。お前が金庫から経典を持ち出したのを、複数の人間が見ている」
「信じてください! 本当に私じゃ……」
「残念だよ、せっかく次の例祭が終わったら、部長に取り立ててやろうと思っていたのに……話はもういい。お前達、此奴を連行しろ。そして経典の場所を吐かせるのだ」
必死に抵抗するカールは、教徒の男達に問答無用で両腕を拘束された。が、その瞬間、彼の全身から、真っ赤な閃光が走り出す。強い光に、皆、目を背ける。漲る光は、そのまま城の天井を突き抜けて、天高く、真っ直ぐ上にほとばしり、空を赤く染めて、すぐ消えた。カールはそのまま床に崩折れる。
「な……!? これは、どういうことだ?」
エンゲルスも、教徒達も、鏡を通した私とアロイス様も、呆然とした。
倒れたカールの髪は、燃えるような赤から、真っ黒へと変化していたのだ。
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