第十七話 森の中の座標
「随分と歓迎されているようだ」
流れ星が斜めに昇って消えた空を見上げ、アロイス様が言った。
背後では、門兵達が必死の形相で、重い扉を引いている。開けた時の半分の時間で、門は閉じた。目の前にいた数人の客引き達も血相を変え、それぞれが雇われている宿屋へと足早に戻っていく。確かに、あんな恐ろしげな光景が目前に広がったら、皆、商売どころではなくなるだろう。
私も星を見てから、震えが止まらない。あれは、まさしく凶兆を体現したものだった。飛び去る彗星の長い尻尾が、地上に大きな影を落としたようだ。あれを目にしたら、どんなに凪いだ心も揺らぐ。小刻みに震える私に、アロイス様が上着を脱いで、「大丈夫か」と肩から掛けた。
私達は関所に一番近い宿屋を訪れ、宿泊できるか打診してみた。断られるのを危惧したけれど、他に客がいなかったらしく、むしろ歓迎されたようで、安心した。
早速、案内された部屋に入る。個室にはシャワールームも洗面台もあり、前日に泊まった村の宿より、部屋の掃除も行き届いていた。今夜は落ち着けそうだ。部屋の壁には、装飾を兼ねた、この近辺の地図が貼られていた。エストリールの地図はアロイス様が持っているけれど、自分もなるべく覚えておいた方がいいかと思い、地図に載っている街や村の名前や位置を、頭に叩き込んだ。
そういえば、昼にペンデュラムが指した座標からいくと、お腹の子の父親候補は、ここからあまり離れていないところにいるはず。もう一度、石を取り出し、命ずる。
「指し示せ」
水晶は窓側に引っ張られ、声が告げる。
【西に2クエル、北に2クエル】
あれ……? おかしい。昼までは、北方向が零クエルだったのに、かえって遠のいている気が……
そこへ、ノックの音が響いた。
「食事の支度が済んだようだ。下に行こう」
アロイス様だ。
「白き闇」
「赤き獅子」
一応、合言葉を確認して鍵を開けると、部屋に入ってきた彼に事情を説明した。
「相手も生きた人間だ。仕事やら何やらで、移動しているはず。明日探せば、すぐに分かる。
それより、食事が先だな。この二日、食が細くなっているだろう?
一人の身体ではないのだから、栄養を付けるように」
『一人の身体ではない』……
確かにそうだ。不安は山ほどあるけれど、まず自分がしっかりしなければ。覚悟して、ここまで来たのだから。
***
翌日、宿場町を出発してしばらくすると、小さな町が見えてきた。昨日、壁の地図で見た町だ。
荷馬車が町内に差し掛かるも、人影はまばらで、店も最低限の商品しか置かれていないように見える。
町そのものを、陰鬱な雰囲気が覆っていた。ここでもあの箒星を見た者は多かったのだろう。
「私が陰になって人目を遮るから、時折、位置確認をしてくれ」
アロイス様に言われて、私はしばらく進むごとにペンデュラムを使った。幸い、人通りは少ないし、『縁を手繰る秘術』は小声でも発動する。水晶に導かれて三十分ほど進むと、私達はそのまま町を通り抜け、北西にある森へと誘われていた。
森に入って、さほど時間が経たないうちに、周りから嫌なものを感じた。空気に僅かな澱みがある。この違和感は、お腹から伝わってくる。お腹の子が、ノエルが、危険を感じているのだ。
グルルルルル…………グルルルル……
左右から、背後から、獣の唸る声が聞こえた。十数頭は、いる。少しずつ、距離を詰められている。
「アロイス様……」
「シッ」
彼は、話し掛けた私を制すると、右手を手綱から離し、何かの印を切っている。
樹木の隙間から、獣の姿が垣間見えた。銀色の、狼に似た魔物だ。木々の間を泳ぐようにすり抜けて、ついて来る。
ウォーーーーーー…………
ォーーーーーーー…………
バラバラに追跡してきた狼達は徐々に集まって、一つの強い風の塊になった。そのままスピードを上げ、荷馬車の正面に回り込む。長い牙の生えた大きな口が、私達に襲いかかった。
ザッ!
周囲の砂塵を集めた巨大な刃が、狼の頭部を切り裂く。裂かれた部分から、全体が緩やかな煙となって左右に消え、影も形も無くなった。
「他に追手はいないようだな」
アロイス様は周囲を窺うと、手綱を掴み直して、馬車を停めた。
「大分進んでしまった。座標を調べてみてくれ」
間髪入れずに、水晶を掲げる。
「指し示せ」
するとペンデュラムは、その場でクルクルと回り始めた。回転が止まった瞬間、石が勢いよく一方向を指す。普段は抑揚のない軋んだ声が、歓喜を含んだ声を上げた。
【零地点、零地点】
指し示された方向にあるのは、大きな岩が一つある路肩。その岩陰に誰かが倒れている。アロイス様が、その人を助け起こすのを見て、私も急いで駆け寄った。もしや、この人が、ノエルの父親……?
しかし、その期待はすぐに裏切られることになる。
服装こそ、旅姿の若い男のようではあったが……オパールのような、乳白色に虹が混ざったような髪に、深淵を思わせる黒い瞳。白磁の肌にほんのり薄紅が差す頬。
アロイス様が抱き起こしたその人は、目も覚めるような美女だったのだ。
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