第十五話 エストリールへの道程
混迷する西の国、エストリール。
アロイス様と私は、西に向かい、荷馬車で移動していた。御者台の部分に、二人、並んで座っている。
彼は予想通り、部下の魔導士を一切、同行させなかった。
認識阻害の魔法で、アロイス様は顔の彫りが浅くなり、短髪に見える。私は瞼を一重にして、顔の中心にそばかすを浮かせた。噂には聞いていたが、魔法でこんなこともできるのかと、鏡を見ながら感心したものだ。
市街地以外では馬車にも認識阻害がかけられており、盗賊や動物、魔物などにも狙われる恐れがない。座席にも魔法がかけられ、振動をほとんど感じず、至れり尽くせりだった。
一応、私達は商人の兄妹という設定で、口裏を合わせている。夫婦の方が自然ではないかと思ったけれど
「それをしては、宿で同じ部屋を取らねば、不自然になる」
と言われ、却下された。
普段、馬車では客室の小さな窓から外を眺めるだけだったが、こうして外の空気に触れ、のどかな景色に包まれながら移動するのは気持ちが良い。黙々と荷車を引く馬の背中にも、感謝の念が湧く。町か村に着いたら、餌の他に、荷台にある人参を分けてあげよう。
移動は今のところ楽しいが、ふと、一つの疑問が湧き上がる。
「あの……私、隣国程度の距離だったら、アロイス様なら転移魔法を使うのかと思っていました」
彼は正面を見据えたまま答える。
「一人なら、そうした。だが、あなたがいる。空間に
「そうでしたか……申し訳ありません」
初っ端から足を引っ張ることになってしまい、意気消沈する。
「いや、私もエストリールの地理にはそこまで明るくない。情勢も不穏だ。馬車で少しずつ情報を集めながら進むのがいいだろう。そうだ、方角を見てもらえるか?」
私は服の中に隠していたペンデュラムを襟元から出して、革紐を首から外し、左手にぶら下げると、唱えた。
「指し示せ」
水晶がグッと、進行方向に浮き上がって引っ張られ、引き攣る声が、座標を告げる。
【西に六十七クエル、北に零クエル】
「間違いないな、ありがとう」
私に手伝えるのは、これくらいしかない。
西の方角、六十七クエル向こうに、お腹の子の父親かもしれない、誰かがいる。
不安はあるけれど、何故、どうやって、こんなことをしたのか、聞きたい気持ちの方が強い。
***
それから二十七、八クエルほど進み、少しずつ陽が傾いてきた頃、左手に白い柵が見えてきた。柵の向こうには、白黒のまだら模様の牛達が、牧草を食んでいる。レヌ村の辺りだろうか。国境からはまだ遠いこの土地は、のどかな雰囲気を醸している。
「今日はこの辺りで休むとするか。ほら、お前も荷馬車に揺られて、疲れただろう」
不意に、アロイス様から『お前』と呼ばれて、目をパチパチさせた。
そ、そうだ、私達は兄妹という設定だった。
いきなり距離が近くなった気がしてドキッとしたが、そうだった。
「あ、うん、お兄ちゃん、私、どこかでゆっくりしたいな」
彼を見上げて、妹っぽく、ねだるように言ってみる。
「そうだな、今夜の宿でも探すか」
『兄』は、子どもの相手をするみたいに、私の頭をくしゃっと撫でた。
村の宿屋は一軒だけだった。他に客はおらず、シングルを二部屋、すんなり取れる。白髪混じりの主人が、ペンと宿泊簿を差し出しながら、こぼす。
「前はねぇ、隣国からの旅行者や、商売人のお客さんが多かったんですけどねぇ……」
主人は私の方をチラッと見ながら、続けた。
「あんた達、エストリールに行くのかい? ここ二年くらい、あっちは物騒だから、行くなら気をつけた方がいいよ。できれば女の子は連れてかない方がいいんだけどねぇ……」
「ありがとう。でも、どうしても外せない用事があってね」
アロイス様は代金を前払いすると、二つの部屋の番号を聞き、私を連れて二階に上がった。
そして、そのまま二人で、私が泊まる部屋に入るとドアノブに向かって、何がしかの魔法をかける。
「この村なら心配はないと思うが、念のため、あなた以外の人間がこのドアを開けられないように細工した。チェックアウトするまでは有効だ。しばらく休んだら、一階の酒場で食事を済ませよう。その時にまた迎えに来る」
そう言うと、彼はそそくさと部屋を出ていった。
「ふう……」
少し硬いベッドの端に腰掛けると、ため息をつく。知らず知らずのうちに、疲れていたようだ。お腹に手を当て、話しかける。
「ねえ、ノエル、大丈夫だった?」
特に返事はない。
私はこっそり、お腹の子に名前を付けていた。
『ノエル』、男でも女でも通用する名前だ。
漠然と『赤ちゃん』と思うより、名前で呼びかける方が、この子に気持ちが届きやすいような気がしたからだ。
「ノエル、もしも行きたいところや、逆に行きたくない場所とかがあったら、ちゃんと教えてね。なるべくその通りにするから」
やはり返事はなかった。
だけど、なぜか、心が通じているような、不思議な安心感がある。これは、そう、婚約披露のパーティーで、精霊の加護を受けた時の心地良さと、相通じるものがあった。
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