第十四話 王子の過ち
「ありがとう、助かった」
「こちらこそ、急に割り込んで、大変失礼をいたしました、第二王子殿下。では失礼いたします」
「ちょっと、待ってくれ! その……しばらく、ここにいてくれないか?」
大使の母親が立ち去ったあと、カーテシーをして、その場を離れようとするユリエルを、反射的に引き留める。身分の高い外国客が大勢いるこの場で、彼女に遭遇したのは、地獄に仏だった。その後も時折、こちらに話しかけてくる賓客がいて、彼女がその都度、同時通訳を務めてくれる。しかも、俺でも話し易そうな話題に、相手を誘導してくれるのだ。これには心底驚いた。プロの通訳でも、なかなかできることではない。
彼女がずっと隣にいてくれれば、俺は何の引け目もなく、公式の場にいられる……
一緒にいて居心地が良く、安心できて、自信を与えてくれる。
……恋愛のような、ときめきはない。
だが、生涯を共にするなら、こういう相手こそが良いのではないか。
パーティーを終え、城内に戻ると、俺は両親に告げた。
「ローデント侯爵令嬢に、婚約の打診をしてもらえないでしょうか」
***
ユリエルが一人娘だったため話は難航したが、何とか俺たちは婚約まで漕ぎつけた。
彼女と侯爵夫妻を城に呼び寄せ、婚約の儀を執り行う。白地に淡いブルーとプラチナブロンドの糸で刺繍が入ったドレスに身を包んだ彼女は、誰よりも清らかに見えた。
式が終わり、王城のダイニングルームで行われた、王家と侯爵家との食事会へと舞台は移った。
盛装から、シンプルなドレスに着替えたユリエルは、上品な佇まいだ。国を支える者として迎え入れる側の、俺の両親も、彼女を気に入っているのが、その様子から窺い知れる。
食事を終えた後、父たる陛下が
「少し二人の時間を作ろう。これから共に築く未来の話でもするとよい」
と、客間を用意してくれた。思えば、完全に二人きりになるのは初めてだ。どう話かけたらいいものか困っていると、彼女は最近、東海岸の港に着いた、最新式の帆船の話を始めた。
「一般の客船の二倍近くの大きさがあって、迫力があるそうです。帆に大きな竜の紋章が描かれておりますの」
ちゃんと俺でも興味がありそうな話題を振ってきた彼女は、僅かに寂しそうな顔をして、言った。
「今後は、なかなかそのような物に乗る機会も、作れないでしょうが……」
その時に、気付いた。
俺がユリエルを望んだために、彼女は失うものがある。これは、政略結婚。彼女が望んだものではない。俺は彼女に望まれていない、と。
「そうだね、君は私のビジネスパートナーとして選ばれた。兄が他国の王家と縁を結んだから、せめて私を……と、考えていた高位貴族は多い。君はまあまあ可愛くて優秀だし、君の家はほどほどの力を持ちながら、権力にあまり執着がない。うってつけだったんだ」
なぜ、そんな言葉に限って、スラスラ出てくるのだろう。しかし、彼女は笑顔で答えた。
「承知いたしました、殿下。ならば二人で、この国のために尽力いたしましょう」
俺は自分のプライドを守るため、自ら彼女を選んだとは伝えなかった。それでも、いずれ自分達は夫婦になる。その暁には、きっと彼女を大切にしよう。そして、穏やかに暮らすのだ。
……そう信じて疑わなかった、あの頃。
***
そんな未来が打ち消されたのは、俺の十八歳の誕生日だった。
一匹の蝶によって、彼女の妊娠が、判った日だ。
騙された。
そう、思った。
すがる彼女に悪態をつき、一人置き去りにして、会場を後にする。
衛兵しかいない、静かな王城の廊下を歩くと、みるみるうちに胸が引き裂かれ、どくどくと血が流れる感触がした。
息苦しくてたまらない。
怒りよりも、悲しみの方が、遥かに重く、大きい。
裏切られたことよりも、このまま彼女を永遠に失う現実の方が、堪える。
ここまできて、初めて気が付いた。
これは、恋だ。
正真正銘の、恋。
何が『ビジネスパートナー』だ。
出来のいい婚約者に、自分の本心を読まれぬよう、牽制していただけじゃないか。
本心に蓋をして格好ばかりつける、どうしようもない子どもだ。
自分の部屋に篭っている間に、婚約は取り消された。だが、騒ぎは収まらない。父は重鎮達と、何事かを深夜まで揉めているようだ。
一夜が明け、昼になり、誰かが部屋をノックした。
「シェラン、聞いているか? 大事な話がある」
兄だ。今更、大事な話なんて……
黙っていると、人払いをして、兄がドアを開けて入ってきた。無言で窓際にある一人掛けのソファに座ると、兄は口を開いた。
「ユリエル嬢は魔導研究所に送られる」
「はあ!?」
跳ね起きた。
そんな……たかが身籠っていたくらいで、なぜ、そんな話になるのか。
「彼女が乙女の身体のまま、妊娠したからだ」
「……待ってくれ、兄上。頭が追い付かない」
「それはそうだろう。私だって、信じられない。だが、逆流星の話は聞いているだろう?
父上は関連を疑っているんだ」
それじゃ、ユリエルは何もしていなかったのか……だったらなおさら、彼女をそんなところにやるべきではない。
俺の不穏な様子に気付いたのか、兄が釘を刺す。
「いいか、お前は、もうこの件から、一切手を引け。彼女は、お前の手を離れた。私としても、なるべく研究所送りは避ける方向で動くようにする」
兄が出ていってから、俺は学園から研究所に入った上級生の伝手を辿って、ユリエルの居場所を探し出したが、結局、本人に拒絶されてしまった。
俺達はもう、これで終わりなんだろうか……
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