第四話 迫られる決断

短い夜が明けた。


「お父様……」


自室のベッドの端に腰掛けながら、父の顔を思い出す。



「やはり、こんな処遇は、納得がいかん。城へ行って、もう一度抗議してくる。

陛下はあんな状態だし、第二王子殿下は部屋に籠っているらしいが……第一王子殿下ならば、もう少し冷静に話ができるはずだ。

たとえ研究所送りが避けられなくとも、ユリエル、お前に痛みを与えたり、身体に傷をつけたりしない方法をとるよう、確約させる」



そんな言葉を残し、父は早朝から馬車を駆り、出掛けていった。

騒動の直後は苛立ち、怒鳴りつけてきた父だったが、一晩が経って落ち着きを取り戻すと、普段の家族思いの父親に戻っていた。


お母様の姿は、今朝からずっと見ていない。メイド達に母の様子を尋ねても、曖昧な返事しか返ってこなかった。一人娘がこんなことになって、余程ショックだったのだろう。


昨夜は母と一緒に、私の部屋で寝た。七歳の時以来だ。


「今夜は一緒に寝ましょう」


私以上に目が赤く、まぶたを腫らしたお母様。

ベッドに入った後は、二人ともなかなか寝付けず、子どもの頃の話を思い出すままに語り合った。

気が付けば、私はいつの間にか眠っていて、目覚めた時には、ベッドの隣が空いていたのだ。


シェラン様との婚約のお披露目を迎えた、ほんの十数時間前までは、幸せに包まれていた我が家。

それなのに……


今はもう昼も過ぎ、研究所から馬車が来る時間が、刻々と近付いている。




***




ガラス窓の向こうから、人のざわめく声がした。玄関先に、誰かが来た様子がある。


お父様……?

それとも、魔導研究所の使いだろうか……?


ベッドの上で膝を抱え、身を固くする。しばらくすると、ノックもなしに、ドアが開いた。


「ユリエル!」


「……お母様!?」


「ユリエル……大丈夫よ。私が何とかしてあげる」


なんだか母の様子がおかしい。顔だけは微笑みを貼り付けているけれど、目が血走り、視線が座っている。後ろに何か隠し持っているようだ。


ニッ、と口角を上げると、母は私の目の前に、茶色いガラスの小瓶を差し出した。瓶には黒っぽい液体が入っており、表面には古く朽ちたような紙が貼られていて、どこの国の物か、得体の知れない文字が書かれている。


「これをお飲みなさい。それで全てから解放されるわ。

しばらくは痛みがあるかもしれないけれど、これで無かったことになるはずよ」


「無かったこと……?」


「同じ年頃の相手とは無理でも、一回りくらい年上か後添いだったら、いくらでも嫁ぎ先はあるわ。たとえそれでも実験台にされるよりはマシなはず。貴族としての生活が失われることはないの」


ここまで聞いて、母の手の中にある物が何なのかを悟った。


お腹の子を亡き者にする薬……


「お願い、ユリエル。私はあなたの幸せを願っているだけなのよ。さあ……」


母は小瓶の蓋を外しながら、じりじりと近寄ってくる。


「お母様、落ち着いて! そんな得体のしれない薬を飲んで、私も無事でいられる気がしないわ!

それに、もし今、お腹の子がいなくなっても、陛下が研究所送りを撤回するとは思えない」


そう必死で言いつのったが、聞いていない様子だ。お母様の左右に控えていたメイド達が素早く駆け寄ってきて、後ずさる私の両腕を抱え込む。


「や、やめて……!!」


「全部飲まなくてもいいわ、この瓶の半分も飲めばいいの。頼むから口を開けて……」


別のメイドが一人、背後に回り込んで、頭も押さえつけてきた。

お母様が無理やり私の口をこじ開けようとするのを、懸命にこらえる。




(嫌、怖い、助けて……………!!!!)




恐怖が全身を駆け抜ける。


……………!?


これは私の感情じゃない。

いや、私もそっくり同じ気持ちだけれど、私の物じゃない。


お腹から…私の心に、全身に、冷たい震えが向かってくる。


赤ちゃんだ。


私の中にいる、生まれる前の子どもの感情だ。

今にも殺されそうになっている、おなかの赤ちゃん……




ダメだ……!!

絶対に、この子を殺させてはいけない!


考えるより早く、私は母のお腹を蹴り飛ばした。彼女は不意を突かれて後ろに吹っ飛び、仰向けに倒れる。

驚き、ひるんだメイド達の手を振り払うと、私は倒れた母が取り落とした小瓶を引っ掴み、絨毯の敷かれていない部分の床に、思い切り叩きつけた。


ガッ!


しかし、余程ガラスが厚いのか、瓶は割れない。トロリと、瓶の口から少し薬が流れ出す。


「ああっ!!」


母が這いつくばりながら、急いで瓶を立て直した。


「どうして、分かってくれないの……!! 皆、もう一度押さえつけて!」


メイド達に囲まれる前に、私はバルコニーのある窓へと走り出した。まるで自分の意志ではないような、反射的な素早さで。


しかし、ここは2階だ。バルコニーの欄干、ギリギリのところまで追いつめられた私は、いよいよ逃げ場所を失った。


さっき蹴られたお腹に手を当て、さすりながら、笑顔とも憤怒の顔ともつかない表情の母が、にじり寄って来る。


「もう逃がさないわ……さあ、大人しくこれを飲みなさい。命令よ」


ダメ……誰か……誰か、助けて!!

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