第三話 協力者という名目の実験台
小鳥のさえずりが聞こえる。
朝陽が差し込む自分の部屋の、いつものベッドの上で、見慣れた天蓋を見つめる。
昨日は散々だった。
「妊娠した」と濡れ衣を着せられたのだと思っていたら、相手が女医とはいえ、ああいう検査を受けねばならず、おまけに本当に妊娠しているなんて……
あの後、宰相の執務室は喧々轟々となった。
「性交渉をせずに相手を妊娠させる手段があるなど、夫婦制度、家族制度、ひいては貴族制度を揺るがす大問題だ」
「どうやってそんなことを可能にしたのか」
「そもそも父親は誰なのか」
「これこそが不吉の前兆やもしれぬ。原因をを探り出し、必ずや、その方法を封じるのだ」
最後の言葉は国王陛下のものだが、その時の陛下の表情が忘れられない。
謁見の間で見たことのある穏やかな表情とは違う、怒りと焦燥が入り混じったような、恐ろしい形相を。
…しばらく討論が行われていたが、そのうちショックから立ち直ったらしきお母様が、帰宅の許可を取り
「あなたは普通の身体ではないのだから、一旦家に帰って休みましょう」
と私の肩を抱きかかえるようにして馬車に乗り、二人で侯爵邸に戻ってきた。
あの時まだ話し合いに参加していたお父様は、もう帰ってきたのだろうか。
結論は出たのだろうか。
ふと、アロイス様の事を思い出した。あの場で両親以外に唯一、私を庇おうとして下さった方だ。
彼の戸惑いと哀れみに満ちた表情が浮かんでくる。
藍色の瞳に宿るあれが、いわゆる『可哀そうなモノを見る目』なのだろうか。
……私はこれから、どうしたらいいの?
そっとお腹に右手を乗せる。布越しに伝わるのは、自分の体温だけだ。
ここに……本当に赤ちゃんが?
未だに信じられない。
確かに月のものは二週間ほど遅れていた。元々順調に来る方ではなく、早く来ることはなくても遅れることはよくあったから、さほど気にしていなかった、というのが正直なところだ。
生理が遅れて心配になるような行動は一切していなかったし、考えたこともなかった。
そもそもシェラン様と婚約が決まる前から、使用人も含めて男性と二人きりになったことは、ほとんどない。
……そういえばシェラン様はあれからどうしているのだろう。
多分、今もお怒りだと思う。
たとえ私自身が何もしていなくても、お腹に子どもがいたら婚約破棄は確定だ。
将来、公爵位を叙爵するシェラン様と共に、新たな公爵家を盛り立てていく予定だった。
彼が相手でなくても、いつか貴族の令息と結婚して、夫人として暮らす。幼い頃からそんな未来しか見ていなかった。
私は一人娘だが、王族との婚約が決まった時点で、侯爵位の方は父方の従弟を後継とするのが決まっている。侯爵領を治めるための教育も、すでに始まっていた。
これから私はどうなるのか……
子どもと一緒に修道院に送られるのかもしれない。
これまで想像もしていなかった絶望が、そこにあった。
悲しみと、不安と、諦めと、誰にぶつけたらいいのか分からない怒りと、まだ信じきれない気持ち。
それらが頭の中で
「ねえ……本当に、そこにいるの?」
お腹に向かって問いかけても、返事はなかった。
***
昼を大分過ぎて、ようやくお父様が帰ってきたらしい。
玄関ホールに使用人達が集まっている様子が窺える。
いつもはお母様と一緒に迎えに出るのだけれど、今日はベッドで横になったままだ。お父様だけでなく、誰とも会いたくなくて、朝も昼も、自室で食事をとっている。
しばらくすると、コツコツと固い足音が二つ、私の部屋に近付いてきて、ドアの前で止まった。
「ユリエル、私だ。開けてもいいか?」
「お願い、顔を見せてちょうだい」
両親だ。黙っていると勝手にドアが開き、二人が並んで枕元に立つ。いつもは後ろに控えているメイド達が、今日はいない。
お父様は渋い顔で言った。
「最悪なことになった……
陛下がお前を王宮所轄の魔導研究所に送ると言い出した。
拒否すれば王命を発動してでも従わせるそうだ。
『研究に協力してほしい』と言ってはいるが、実験材料に使われる可能性が高い。
王家では何があっても、処女懐胎の謎を解き明かすつもりのようだからな」
私は息を飲んだ。
「そんな!」
お母様が口元を隠すように押さえながら、絞り出すような声を上げる。
お父様は続けた。
「……本来、高位貴族の令嬢がこんな扱いを受けるのはおかしい。犯罪者でもあるまいに。
だが王族と婚約を結んだ娘が、誰かの子を孕んで破棄するとなると、たとえ不貞でなくてもこちらの瑕疵が大き過ぎる。しかも王命には絶対的な効力があって、従わざるを得ない。逆らえば奪爵されるだろう。
明日の午後には城から迎えが来るそうだ」
あまりのことに、私もお母様も言葉を失った。
修道院どころの話ではない。
お腹の子ども共々、実験台にされる…?
体中の血の気がどこかに消え去り、身体が震え出した。
馬鹿な……
そんなことが許されていいの……?
何もしていないのに、もう自分には将来がないなんて。
ショックで涙も出なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます