第二話 処女懐胎
婚約者であるシェラン第二王子が立ち去った後、私は呆然とその場に立ちすくんだ。
少し距離を置いた周囲には人だかりができ、口々に何かを囁いている。
「あの令嬢、身籠っているそうだ」
「まぁ、なんて身持ちの悪い」
「しかもシェラン殿下の婚約者でしょう?王家の簒奪でも狙ったのかしら。殿下は第二王子とはいえ、その子女ともなれば、それなりに王位継承権も高くなりますでしょう?」
心ない言葉の矢が、次々心に突き刺さる。
どうして……
何でこんなことに……
だけど本当に身に覚えがないのだ。
ふと、両親の顔が浮かんだ。夜会の直前、夫婦揃って呼び出され、二人共今この場にはいない。この悪夢のような状況をどう説明したらいいのか……
とにかく、今この場で妊娠を否定しなければと口を開こうとした時、人垣を割って、誰かが近付いてきた。
「皆様、申し訳ございません。予定より精霊を一体、余分に召喚してしまったようです」
アロイス様だった。
「まだ生まれていない方の分も含め、人数分を用意したつもりだったのですが、行き場のない精霊がこちらの御令嬢にとまってしまったようですね。大変失礼いたしました」
そう言うと、彼は私と周囲に一礼した。
「そういうことか」「人騒がせな」などのつぶやきと共に、立ち去る者。
「ローデント嬢、大変失礼をいたしました」と礼をとる者。
私を取り囲んでいた貴族達は、それぞれに会場のあちらこちらへ散っていく。
えっ…何?
そういうことなの?
状況を理解して、安堵の溜息が漏れた。
おかしいと思った。だって妊娠なんて、あるはずがないもの。
心に疾しい事など、一つもない。
そうだ、シェラン様を引き止めなければ。あの方はまだ誤解したままのはず。
たとえ政略結婚であろうとも、王家と我が家との大事な契約を、このまま反故にされてはかなわない。
急いで会場の奥にある出口に向かおうとした途端、不意に左手首を掴まれた。振り返るとアロイス様が私の手首を握ったまま、険しい表情で立っている。
「御令嬢、話がある。ちょっと付き合ってもらえないだろうか」
***
会場から少し離れた、人気のないバルコニー。本来だったら、婚約者以外の異性とこんなところには来ないのだが、アロイス様の顔には真剣さ……というより深刻さが滲んでいて、思わず付いて来てしまった。
「あの……先ほどは助けていただいて、ありがとうございました」
私が御礼を述べると、彼は気まずそうに視線を外しながら言った。
「御令嬢、大変言い難いことだが……
あなたは新たな命を宿しておられる」
一瞬、耳を疑う。一旦止んだ震えに再び襲われる。
「そ、そんな……先ほど皆様の前で、違うとおっしゃったではないですか?」
縋るような気持ちで聞き返すと、
「あの場ではああ言うしか、あなたの名誉を守ることができなかった。どのような事情があるかは知らないが、御両親とよく相談をした方がいい。話はそれだけだ」
と、アロイス様は伏目がちに答えた。
「で、でも!私、心当たりが無いのです!誰ともそんな風になるような事はしてません。本当なんです!」
「シッ!……大きな声を出さないように。誰に聞こえているか分からない。……確かローデント侯爵の御令嬢だったね。御両親のところへ案内しよう」
人差し指を口元に当てて話を遮ると、アロイス様は執務棟に向かって歩き出した。
***
「失礼いたします、ローデント侯爵令嬢をお連れしました」
両親はまだ宰相閣下の執務室にいた。
いや、両親だけでなく、先程まで夜会会場にいたはずの国王陛下や王妃殿下、第一王子のジェール殿下…
国の要人のほとんどがここに集まっている。シェラン様の姿はない。
「ユリエル、どういうことなんだ!」
振り返りざま、父が私を怒鳴り付けた。
母は青い顔で壁際のソファに上半身を横たえている。
二人とも私が身籠って、シェラン殿下に婚約破棄を言い渡されたところまでは知っているようだ。
「どうもこうも、私にだってよく分からないんです!」
そう叫ぶと、思わず涙が溢れ出してきた。
ここに至るまで、ずっと身に覚えのないことで誹られ続けて、私も限界だったのだ。
詰め寄ってきた父から私を庇うように、アロイス様が立ちはだかる。
「侯爵殿、落ち着かれよ。私には御令嬢が遊びでそのようなことをする女性には見えない。何か事情が……」
「だが、何もしてないのに子供ができる訳がないだろう!」
一触即発の雰囲気の中、国王陛下の声が響いた。
「それなら、まずユリエル嬢が『何もしていない』のを確かめるのが先であろう。
今から王家付きの女医を呼ぶ。すぐさま診察を受けるように」
……そこから三十分ほど経過して、診察を終えた女医の報告は驚きのものだった。
「ユリエル様は清らかな体でございます。男性を受け入れた形跡はございません。
……しかし……妊娠の初期症状も発しておられます。ほぼ間違いなく身籠っておられるでしょう」
その結果を聞いて、皆、しばし言葉を失った。
『処女懐胎』など、神話の中でしか触れたことのない話が、いま現実として目の前で起こっているのだ。
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