燃えなよ世界、と僕は謳う

くろかわ

運べよ嵐、とそれは言う

1



『魔法使いが人間と同じように扱われるために、一番大事なことを教えよう』


 多くの人に囲まれて炊事番をするようになってから、火を熾すときにはいつも思い出す。

 祖父の加齢で古枝のように節くれだった指先。実のならないほどに年老いた古木が揺れるような声。何より、優しげに揺れる木の葉のような佇まい。

 手製のロッキングチェアで昔語をする祖父は、父と母を早くに亡くした僕を受け入れてくれた唯一の存在だった。


 熾火を藁から小枝に移し、やがて薪が燃えていく様を眺める。炎が安定したのを確認して、背伸びしつつ周りを見渡す。

 周囲にはたくさんのテントが張られ、兵士たちのもつ金属製の武器がかちゃかちゃと音を立てている。パチパチと木を燃やす炎や夜の風にそよぐ木々の囁きよりも、料理長の親方の笑い声のほうがはるかに大きい。


 料理に火加減は重要だ。強すぎても弱すぎてもいけない。「丁度良い」という細く狭い範囲に火力を収めなければならない。

 作る料理はそんなに繊細なものではない。兵士たちの腹を満たすため、ありあわせの材料で作る。いわゆるごった煮だ。ここ数十年で広まったという芋がいつもメインで、あとは日によってまちまち。

 それでも火加減というのはとても大事なのだ。それが料理である証左なのだから。


 家にいたころはこんな便利な芋は無かった。

 代わりにもっと簡単に火を熾していたし、料理だって手がこんでいた。

 何事も天秤の上にある。片方を取ればもう片方は取れない。人生のなかで手に入れられるものの量は個々人によって決まっていて、どう選択するかが重要なのだ。

 これも、祖父の受け売りだ。


「リット、飯の時間まであと二刻だ! 準備はどうだ!?」

 親方のダミ声が響く。さながら銅鑼の音のよう。即席の厨房は大わらわで、周囲からは兵士たちの好奇が突き刺さる。そりゃそうだ、行軍中は食事が一番の娯楽。それ以上なんてなかなか望めない。飯時を告げる金板を叩くような大音声は彼らの期待を大いに煽る。


「大丈夫でーす! こっちはいつも通りですよ」

 よォし、と親方。手には大鉈。なるほど今夜は豪勢になりそうだ。

「こっちは猪バラしていい感じだ! リット、空きの鍋を沸かせ! 肉はさておき、内臓なんざ臭くてそのまま食えやしねえ。もう一個熾せ。煮て臭みを抜いたあと鍋にぶち込むからな!」

 先遣隊に感謝だな! と言いつつガハハと破顔する親方を見て、血の匂いに未だ慣れない自分をわらった。


 そこに。

「敵襲! 敵襲ー!」

 見回りの声が響く。

 否、響かされた。通常の人間では出し得ないほどの大音声はしかし、今回の相手を鑑みれば妥当なものだ。

 その声は本来もっとか細く、続く断末魔までもが部隊中に響き渡るような音になるはずがない。


 兵士たちのほとんどは落ち着いて、騎士たちの大半はやや慌てた様子で、それぞれの武器を手に取り、構える。

 だから、僕も彼らと同じようにするのだ。すぅと目を閉じ、魔法使いを待つ。

 兵士や騎士、料理長の親方と僕の違う点は二つ。

 一つは、魔法使いを殺すためでなく、話すために待ち受けていること。

 もう一つは、僕自身も人間ではなく魔法使いであることだ。



2



「此度の遠征の目的は魔法使いの討伐にある」

 大臣が国の大広間で高らかに宣言し音楽がかき鳴らされたあと、僕を含む魔法使い討伐隊が出立したのは数日前。数年前から、領土の中にいると思しきとある魔法使いが問題になっていた。


 曰く。家畜を空高く舞い上げて殺す。

 曰く。嵐を起こして作物を破壊する。

 曰く。風を吹き下ろし家を押し潰す。


 一体何のためにやっているのか解らなかった。

 でも、家族が死んだ今となってはよく理解できる。


 がちゃりがちゃりと音を立てて進軍する騎士と従者たちの後ろについて、僕はきょろきょろと回りを見渡していた。

「どうした、坊主。遠征は初めてだったか? カーチャンのオッパイが恋しいなんて言うんじゃねぇぞ」

 ガハハと笑いながら僕の背中をばしばしと叩く料理長。元は騎士号を持っていたと聞いたその腕は、丸太のように太い。


「母の顔は知りません。僕は山羊の乳で育ったんです」

 どうやら周囲から不審がられていないとなんとなく解った。皆、揃いも揃って気がそぞろだ。件の魔法使いによる被害は、相当なものらしい。決死の覚悟といった空気が戦隊を包んでいた。


「お、おう、そうか。すまねぇこと聞いたな。お前も魔女に家族を殺されたのか?」

「え?」

 魔法使いが人を殺した?

「なんだ、知らなかったのか。今回の魔法使い狩りはただの魔法使い相手じゃない。人殺しの化け物を倒しに行くんだよ」

 お前、募集ちゃんと読んだか、と聞かれれば、実はそれほど注意深く人集めの紙を読んだわけではなかった。適度に人の集まりがあり、適度に距離感を保ってできる、割の良い仕事がたまたま従軍料理人の小間使だっただけだ。

 木を隠すなら森の中。魔法使いであることを隠して潜むなら、人の中のほうが都合が良い。

 昔とは違う。大陸全土が人によって開拓されつつある。神秘の潜む領域は年々減少している。僕は世代交代の最先端にたまたま居合わせている。


「でも、人を殺すなんて。一体何をしたんですか?」

「そりゃあお前。噂通りだ。風で巻き上げたり、逆に押しつぶしたりだよ」

 見てきたように身振り手振りで説明する親方。進軍はゆっくりと始まっており、既に僕らは歩き始めていた。

「うぅん。ちょっと想像つかないです」

「まぁ、そうだよなぁ。魔法使いのことなんてわかりっこねぇ」

 そうではないのだけれどここで否を唱えると怪しまれる。沈黙は僕を守ってくれるだろう。恐らく。たぶん。



 騎士たちが城壁を後にして、昼間の太陽が昇り始めた時に隊列は停止した。

 甲冑を脱ぐのだ。馬鹿らしいとは思うが、城壁内の人々に威容を見せつけるための装備を外し、馬車に乗せて行軍用のものと付け替える。剣の役目もお終いだ。装備は槍と弓。今どき剣を振って戦う人間はほとんどいない。それこそ奴隷剣闘士くらいなものだろう。主戦場を森の中に見据えたため騎馬は最低限だが、それでも用意はしているように見えた。

 戦いとは即ち機動力と射程であり、重たい鎧は不似合いなのだ。

 少なくとも、僕ら魔法使いの間では長年の常識である。


 そう、移動能力と遠距離攻撃手段さえあれば人殺しをするのに十分なのだ。

 だから、

「その魔法使い、本当に家を潰したりしたんですか?」

 効率が悪すぎる。

「そりゃぁ、皇都周辺から俺らみたいなのが雇われて、騎士まで出張るんだ。ただ事じゃあ無かろう」

 じょりじょりと髭を撫でながら親方が言う。


 噂が真相だったとして。

「魔法使いの住処に人間が入って怒らせた、なんてことは……」

「あるかもなぁ。でもよ」

 今は昔じゃ無ぇんだぜ。

 それもそう、なのだが。


 推論は二つ。

 一つめ。噂に尾鰭がついている場合。こっちはシンプルだ。家畜や人が直接殺されたのは恐らく事実で、どうやら風を操る魔法使いらしい、ということは周囲からも理解された。だから、風の最大出力であろう竜巻や逆竜巻ダウンバーストを想起させるような噂がくっついた。

 こっちならまだ理解の範疇だ。


 問題は二つめ。本当にそんな過剰な威力で人を殺している場合。

 人の世界に馴染む訓練を受けていない、旧い世代の魔法使いの生き残りやその子孫の場合。こちらのほうが厄介だ。最良の手段としての説得ができない。


 僕としては、できれば後者のほうがありがたい。

 僕が生きようとしている世界に、暴力的な魔法使いの存在は困るのだ。

 死んで、ていの良い見世物になってくれても心が痛まない。


「夜まで歩き通しだぞ。荷物がキツけりゃ若い衆に持たせるからな。へばるんじゃあねぇぞ、リット」

 親方は無神経だが、面倒見は良い。父というものもよく知らないが、これはこれでそういうモデルケースに近い人なのだろうと思う。



3



 そして、夜には嵐が襲いかかってきた。

 字義通りのものではない。人型の嵐。即ち、

「魔法使いだ! 魔女が出たぞぶぇ」

 再び同じ魔法の使い方だ。空気の振動を操作して音を拡大する魔法。そして何らかの手段で人間を殺す魔法。

 噂とは随分印象が違う。繊細かつ効率的で、その上効果的だ。


『良いか、リット。人と対峙してしまったら、まず隠れる。次に、脅す』

『相互不干渉が最大の幸福だ。我々が人間の中に住むのは難しい』

『そして、魔法使い同士も同じだ。出会ったら必ず相互不可侵を約束しろ』


 こんな時だというのに祖父の言葉が蘇る。こんな時だからかもしれない。

 少なくとも今、隊を襲っている魔法使いは祖父とはかなり違うタイプだ。


 兵士の動きは機敏だった。全員が持ち場につき、点呼でもって生死を確認する。

 騎士の遅鈍さは目を見張るものがあった。なるほど、貴族階級とは難儀なものだ。


 僕は一人で目を瞑り、彼らの発する熱源だけを見ている。

 これなら夜でもお構いなしにものが見える。焚き火は邪魔なので消えてもらった。そのせいか隊の混乱は激しくなったが、それも魔女とやらのせいになるだろう。誰も僕を魔法使いだと思っている人間はいないのだから。


「リット、隠れてろ! 魔女だ……」

 大きな熱源が僕に話しかける。シルエットと音、そして内容から料理人の先輩だと推測できた。

「お前じゃ足手まといだ。荷物の中に……なんだ、怖いのか。それもそうか」

 目を瞑っている僕を見て、自分より恐怖している子供がいるであろう事態に安堵の気色が混じって見えた。


「僕は隠れていますから、兄さんたちも、」

「そういうわけにはいかない。親方が鉈持って兵士の列に加わっちまった」

 兄貴分は苦笑しながら、

「俺もやらなきゃどやされるかもな」

 お前は隠れてろよ、とだけ告げて、僕から遠ざかっていった。



 戦闘は起きなかった。あったのは虐殺だけだ。

 平野にも関わらず魔法使いの姿を捉えられない兵士たちは、片端から削られるようにその数を減らした。

 熱視だけでは状況が読めず一度目を開いたが、その原理は随分と単純に見えた。


(光の屈折を変えてる? だとしたら、人間には捉えられない)

 魔女の方向に視線を向ける兵士もいたが、魔女は見えていないようだ。距離は数歩で届く位置だというのに。闇という条件を差し引いてもおかしい。


 何故そんな事態が起きるのか。

 大気は光を少しだけ曲げている、のだそうだ。祖父から教わった知識をかろうじて繋げ、魔女が何をしているのか理解を試みる。

 大気の密度を極端に上げて、特定の方向からは見えないように層を作る。風の魔法は専門外だから実情は不明だが、多分そんな方法だろう。

 これが昼間なら空気の層による歪みも目視しやすかったかもしれないが、今は真夜だ。気づけるほうが異常だろう。

 つまり、僕が気づいていると気づかせてはいけない。


 再び荷物の中に隠れ、戦闘の様子をじっと見る。

 兵士は内側から体液を吐き出して死んでいる。死の直前まで声が聞こえたことから肺の中の空気を爆発させているのかもしれない。

 即死はできない、しかし見えない相手と戦えるような状態にもならない。そして、死は免れない。

 魔法使いらしい、効率的な恐怖の伝播と殺戮の嵐だった。



4



「匂うなァ、そこか?」

 死の匂いが充満するなかで、それ以上に何が匂うというのか。僕には理解も把握もできない何かを検知した魔法使いが、ゆっくりと、しかし確実に歩を進めてこちらに近づいて来る。

「あー、面倒は嫌いなんだ。出てこい。さもなきゃお前は荷物ごと圧縮する」

 熱の形でこちらに顔を向けていることははっきりと解った。だから、

「こんばんは」

 従順に、彼女の言う通りにする。


 背丈は僕よりやや高く、平均的な女性のそれに収まるくらいの、遠目に見れば普通の女の人がいた。年の頃は二十歳半ばくらいだろうか。人の顔に慣れない僕には判別が難しい。よくよく見れば服装が異常だ。獣の皮を剥いでなめしたものを、最低限の面積でまとっている。髪もボサボサで、無理矢理一括りにして雑にまとめている。

「へぇ、物分りがいいじゃねぇか。人間とは思えんがね」

 口の端を持ち上げて笑う顔に、牙のような犬歯が見て取れた。

「お察しの通り。僕も魔法使いだ」

 その言葉を確認した彼女は、すぅと目を細める。

「へぇ。へぇぇぇ。じゃあ、お前」

 ずい、と顔が近づく。僕は気圧されて仰け反るが、顎を押さえつけられて逃げ場を無くした。


「あたしのこと、いつでも殺せたろ。なんで殺さなかったんだ?」

「保身のため、だ。魔女狩り隊が魔女と戦ってる時に、別の魔法使いが現れたらどうなるか」

 あん? と呆けたような顔になる魔女。

「感謝するんじゃねぇの」

「違う。魔法使いを殺しに出たんだから、最低でも一人分首をあげなきゃ帰れない」


 そういう仕組なんだ。そういう決まりなんだ。


「馬鹿の集まりじゃねぇか。阿呆どもにお前が魔法使いだって見破れるとは思えん。本当の理由はなんだ?」

「僕はこの隊では新参者で田舎者だ。皇都では、そういうやつは真っ先に魔法使いの疑いを持たれる。ここで新しい魔法使いが出てきた、なんてことになったら、」

「真偽はともかく、結局お前が吊るされるってわけか」

 愚昧の極みだな、と魔女は吐き捨てた。



5



「でさぁ」

 魔女は魔法で解体した馬を焼きつつ声を発する。

「お前、これからどうすんの。アテが無いなら付き合えよ」

 はぁ? と声が跳ね上がる。火を熾したのは僕だ。彼女はそれに適宜空気を入れて火力を調整している。

 しているのだが。


「お前のそれ」

 唐突に言われ、驚いて顔を上げる。

「どれ」

「その、手で枠作るやつ」

 何、と聞きながら肉を頬張る女。なるほど。これを疑問に思ったのか。

「枠を作らないと。火を出す範囲を決めるんだ。囲わないと、調整できない。人の手から外れた火ほど怖いものはないから」

 そう説明すると、ふぅんと興味なさげな空返事が返ってきた。


 僕の興味も、彼女自身より彼女の手にある肉に注がれている。

「……それ、焼き過ぎ。お姉さんまともなもの食ったこと無いの?」

「先にこっちの質問に答えろよ、全く……生焼け食って腹壊したらそれこそ、一巻の終わりだろ」

 彼女が自分で話題を遮ったのだ。僕のせいじゃない。

「焼く、と火を通す、は全然違う。そもそもほとんど炭になっているこれを、肉とは呼べない」


 うるせぇガキだな、と毒づく女から哀れな姿の馬肉を奪い取り、炭を削ぎ落として彼女に渡す。残った串は全部自分の手元に寄せて、遠火で慎重に熱を通す。

「……結局、何がしたいんだお前」

 女がぽつりとこぼすが、今は無視だ。最低でも五分は熱を当て続ける必要があり、そしてその中で一瞬たりとも気を抜いて良い瞬間はない。


「何ちんたら焼いてんだよ。もっと強火でがーっといけよ」

 手元の串を食べきった女から文句が聞こえてきた。

「うるさい人だな。馬肉は魔法でも無い限りゆっくり時間をかけて焼くの。肉の中に小さい寄生虫がいるかもしれなくて、結構しぶといんだ」

「はぁ? お前どういう状況で講釈垂れてるか理解してんのか?」

「お互い殺そうと思えば殺せる仲でしょ。でも実行してない。だったら暫くは専門家に任せてくれない?」

 そう言うと、女は腹の虫を鳴らして黙った。


「お姉さん、食事の間隔は乱れてるでしょ」

「そりゃそうさ。ありもん奪って糊口を凌いでんだよ。簡単に飯にありつけるか」

 じゃあさ、とようやく焼けた馬肉を差し出して。

「僕を料理番として雇ってよ。じいちゃんが生命の魔法使いだったから、食べられる草木も判るし、何より火が熾せる」

「そういやお前の魔法、火か。そりゃ良いな」

 何が良いのかは説明されないまま、

「良いぜ、相互不可侵だ。お前を殺さない。お前もあたしを殺さない」

 ただなぁと、中空を見つめて何か考える女。

「でもそれ、基本でしょ。魔法使い同士のコミュニティでは相手を殺す手段なんて、それこそ無限にある。お互いそれをしないってだけで」

 逆に言えば、この女は僕とコミュニケーションを取るつもりなのだ。


「雇おうとしたら、カネが要るだろ?」

 少し目尻を下げて、困った顔でこちらを見る女。もしかして。

「無一文なの?」

「当たり前だろ」

 胸を張って言うことだろうか。やたら大きな胸に、脳へ行くはずの栄養は奪われてしまったのだろうか。


「でもさぁ、あたしとしてはあんたに協力して欲しいんだよな」

「何を」

「何って」

 きょとんとした顔で。その女は、

「人間を全員ぶっ殺すんだよ」

 とんでもないことを言い出した。



6



『魔法使いが人間と同じように扱われるために、一番大事なことを教えよう』

『それは、自分が人間と同じように振る舞い、魔法を使わず生活するのだよ』

『そうすれば、お前の父さんや儂の娘のように、人間に狙われずに暮らせる』



「ぶっ殺すって。お姉さん頭悪いの?」

 薄々は危惧していたが、実際その通りのようだ。語彙が馬鹿のそれだ。

「んだよ。悪いか」

「良し悪しで言えば、どっちでもない」

 僕は思わず自覚してしまうほど真剣な顔で応じる。

「だろ?」

 なのにこの女は何も考えていなさそうで、しかもやたら満足げだ。


「魔法使いと人間は根本的に違う生き物だ。猪は家畜になった。狼は飼い慣らされ、馬は今や人間に調教されている。じゃあ、あたしら魔法使いはどうだ?」

 自信たっぷりの様子で、僕の答えを待つ女。多分、こいつの欲しい回答は「違う」なのだろうけれど。

「良き隣人であろうと四苦八苦しているよ、少なくとも昨日までの僕は」

「解らねぇやつだな。魔法も使えない、増えることばっかり得意なやつらに何の価値がある?」

「その無価値な生き物に乗っかって生きていかないと増えることすらできない僕らの価値を、どうやったら問える?」

「どういうこった」

「僕の母さんは、魔法使いの娘で人間だった。よくあることだろ」

 所謂選民思想なのだ、この女は。

 そして、魔法使いは魔法使いだけでは社会を維持できるほど増えられない。


「人間を無価値だと断ずるなよ。姿も形もそっくりで、一つ特技が違うだけだろ」

「その一つがデカいんじゃねぇか」

 否定はできない。とはいえ、

「じゃあ僕らの価値ってやつはどうなる。魔法使い同士だって価値の差はあるだろ」

 ふん、と鼻で笑う女。

「論点をずらすなよ。人間なんざ最低限いりゃいい。豚と一緒だ」

「魔法使いだけで社会が保てると思う? お互い簡単に殺せるのに?」

「人間同士だって同じだろうがよ。首を絞めるのと、あたしの脳みそを蒸発させるのに何の違いがある?」


 首を。締める。

 突然の言葉に、脳裏にしまっておいたはずの嫌な記憶が、原初の光景が蘇り、



「大丈夫か?」

 気づけば、うずくまっていた。

 先程とは打って変わって、女の優しい声が耳に響く。


「……大丈夫」

 口の中に残った吐瀉物を吐き出しながら言う。

「大丈夫と言って大丈夫だったやつを知らねぇからお前はまだ駄目だ。……ったく、ゲロ吐くなら火の無いところにしろよな」

 水持ってきてやるから、と言って女は立ち去り、そして戻ってくるまで僕は必死に頭の中で反芻する映像をかき消そうとし続け、失敗を繰り返していた。

 女は手で僕の背をさすりながら、暫くじっと黙っていた。


「平気か?」

 星明かりが天頂に達する時分になってようやく、僕は呼吸を整える。

「……首の話はもうしないで」

「判った。で、この先どうする」

 このまま皇都戻っても怪しまれるだけで、今のまま平原に残っても行く宛が無い。

 そも、定期的に出すはずの伝令が途絶えたとあれば、皇都の人間が黙っているはずもない。


 人生において、選択肢が無いというのはこれほど辛いものなのか。

 そもそも魔法使いとして産まれた時から選択肢なんて無かったのかもしれない。

 母親が縛り首にされて、解体前の豚のようにぶら下がる姿を見せつけられてから、それでも人に混ざろうなんて考えを持ち続けるのに限界があったのかもしれない。

 かもしれない、ばかりだ。


「お姉さん」

「おう」

 だから。

「条件がある。人間は殺さない」

「じゃああたしと殺し合いか?」

「魔法使いも殺さない」

「んな中途半端でどうする。物量じゃあっちが上だ。確実に仕留める必要がある」

 腕を組んで仁王立ちする女を、下から睨みつける。

「僕は、殺さない。あなたがどうするかは自由だ。僕は──」


 そう。僕は。

 きっと、恨むべきは個人ではなく、社会という秩序そのものなのだろう。

 だからこそ。



7



「いーい眺めだろォ!?」

 大声を上げる女。

 僕は彼女に抱き抱えられて、思い切り大きな胸を押し付けられているのだが、それを喜んでいる状況ではなかった。

 なにせ、今は空を飛んでいるのだ。森のどんな木の頂上よりも高く、山海を超えるどんな渡り鳥よりも速く、飛翔している。

 人間大の大きさの生き物が、だ。

 頬どころか全身で風を受け、僕らの少し上を行く雲海をくぐるようにして直射日光を避け、凄まじい速度で推進している。


 無論落ちたら即死するだろう。落下中に心臓が止まるかもしれない。真下なんて、見られるはずもない。僕はそれなりに高いところも平気だと思っていたが、この状況は完全な規格外だ。


「なんか言えよ! ……吐くなよ?」

 不安げな女に向かって、

「好きで吐いたわけじゃない! 高すぎるし速すぎる!」

 理解が全然追いつかない。女の魔法であることも、女がいる以上は落ちないことも頭では解っている。だが、本能が拒絶している。


「慣れろよ、相棒。そろそろあのクソッタレどもの住処が見えてくるぜ!」

「あぁもう、こんなことならやっぱり殺し合いにしておくんだった!」

 声に出すと泣き言だ。空を疾駆しているからか、自然と大声になる。


「今からでも遅くねぇぞ。どうすんだ。母親は人間なんだろ」

 女は耳元で小さく囁く。

 まぁ、でも。

 僕は一度決めたのだ。

 どれだけ親方に良くされても。

 どれだけ両親を殺した相手が憎くても。

 結局、誰とどう向き合うかなんて、自分にしか決められないのだから。


「良いか、もう一度条件を言うからな!」

「おう、好きなだけ叫べ!」

 女の声も大きい。昨晩よりも心なしか楽しげだ。

 きっと、彼女も誰かと喋りたかったのだろう。そうでなければ、殺し合いになっていただろうから。


「お姉さんは燃気ねんきを地面のほうに集める!」

「それで!?」

 僕は頭を必死に整理させつつ、恐怖という本能にこれから行う大虐殺の計画という理性で対抗しようと試みる。


「僕はそれに着火する!」

「するとどうなる!」

「城壁内部の建物は消解石で出来てる。炙られた人間は概ね死ぬ。でも僕は、」

 お前は、と問う女。


「僕は、城壁の外に逃げた人間を追わない。囲いの外側の人間を殺さない。どんなに効率よく人を殺せる魔法であっても、使わない」

「だがお前はあたしを止めない。あたしはそいつらを殺して回る。それでいいな?」

「相互不可侵だ!」


 女の魔法は、僕と違って大勢の人間を瞬間的に殺すにはやや効率が悪い。脳を一瞬で煮やすような真似はできない。熱を見てどこに生き残りがいるのか確認できない。

 僕のように、人殺しに特化した魔法ではない。

 必ず逃げ伸びる人間がいるだろう。


 僕が壊すのは秩序だけだ。その過程で死ぬ人間もいるだろう。それこそ山を築けるほどたくさんの死を生み出すだろう。

 人間は仕組みがなければ生きていけない。仕組みそのものである僕らとは決定的に違う生き物だ。だから、この大破壊で必ず人は死ぬ。

 今この瞬間だけではない。この先、社会無しの荒野に放り出された人間の多くを、僕は間接的に殺す。

 それでも、直接手をくださないという欺瞞と、腐った自尊と、ほんの少しの期待を込めて。


「見えたぞ、バカガキ!」

「うるさい、デカチチ」

 言葉に詰まる女を見て、僕は心から笑った。こんなに愉快な気持ちは初めてだ。

 このくだらない自由が、とても愛おしくて、とても身勝手で、とても心地良い。


 眼下に住み慣れた街が見える。通い慣れた厨房もある。料理を運んだ家も、剣闘士たちの殺し合いの場も見て取れる。絞首台は今日も盛況で、市民最大の娯楽であることは間違いなさそうだ。


 全てが壁の中にある。

 全てが囲われて整列している。


 だから、僕は簡単に一歩を踏み外せた。


 手で枠を作り、作ろうとして結局やめて。視界いっぱいにを収めて。

「燃えろ」

 全て。

 燃えてしまえ。


 そう叫んだ。

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燃えなよ世界、と僕は謳う くろかわ @krkw

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