第112話 直視できない

「お母さん! 浴衣着せて!」


 そう言ってリビングに入ってきた真白の表情は、先ほどとは打って変わって輝いていた。

 この一瞬で私がどうすることもできなかった娘の表情を、これほどまでに輝かせることができる男の子が現れたことが嬉しくもあり、少しだけ寂しくもあった。


 高校生の恋愛なんて大体は数ヶ月で終わってしまうし、続いたとしても精々一年か二年くらいである。

 少なくとも私の知り合いの中では一年以上付き合った人はいなかったと思うし、高校生の恋愛がそんなものであることは分かった上で思ってしまう。


『きっと真白は颯一と結婚する』と。


 そう思えてしまうほどに、颯一君は真白の表情を一瞬で輝かせたのだ。


「急にどうしたの? 花火大会は行かないんじゃなかったの?」


 私は自分が颯一君に真白を迎えに来てもらえるように仕向けたのに、わざとらしくそう言った。


「颯一君が迎えにきてくれたの。私は颯一君に迷惑をかけないように、楽しんでもらえるようにと思って花火大会には行かないって決めたんだけど、颯一君は私がいないと楽しめないんだって。それなら行かないとダメでしょ?」


「……あら。そうなのね。それは血反吐を吐いてでも行かないといけないわね」


 そう言って嬉しそうな表情で話す真白の着替えを手伝い始めた私は昔のことを思い出していた。


 この浴衣はどうしても私の浴衣姿を見たいと言っていた夫のために準備をした浴衣だ。

 なぜそんなに私の浴衣姿を見たいと思ったのかは疑問だが、そんなに見たいと思っているなら私の浴衣姿を見た夫は飛び跳ねて喜ぶのだろうと思っていた。


 しかし夫は「かっ、可愛すぎて直視できない……」なんていいながら、顔を赤らめて私から視線を逸らしていたことをよく覚えている。


「よし。これで完璧よ」


 私が着ていた浴衣を着た真白の姿は、私が着るよりも絶対に可愛かった。


 きっとどこかで見ているであろう夫は、せっかくの娘の浴衣姿なのに私の時と同じようなことを思っているのだろうか。

 ……うん。可愛すぎて直視できなかった私よりも可愛いのだから、絶対に直視なんてできないはずだ。


「ありがとうお母さん。浴衣しまわないでいてくれて」


「いいのよ。お母さんは片付けるのが面倒くさくて片付けなかっただけなんだから」


「それでもだよ。本当にありがとね。それじゃあ行ってくる」


「真白っ」


「……なに?」


「あなたの浴衣姿、可愛すぎて直視できないわ」


「……でしょ」


 そう言っていたずらに微笑む真白の姿を見送り、玄関の鍵を閉めた私は、真白が笑顔になった喜びや娘が成長していることを実感することによる寂しさ、昔を思い出した悲しさが入り混じり、思わず涙を流していた。

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