第100話 いっくん

 真白は写真の男の子と一緒に花火大会へ行った記憶はあるものの、それ以外のことは全く覚えていないらしい。

 寿子さんからは写真の男の子と一緒に虫取りに行ったり今日昼間に行った駄菓子屋にも行っていたという話は聞かされているらしいが、何せ子供の頃の話なので真白の記憶には残っていないようだ。


 寿子さんは俺がこの家に到着した時に「この頃はまだお父さんも生きてて–−」と話していたので、お父さんの記憶がほとんどない真白が写真の男の子と一緒に遊んだ記憶が無いのは自然な話である。


「花火大会に行ったことしか覚えてないのにね、その男の子と一緒にいるとなんだかすごく温かい気持ちになったことだけは覚えてるんだ。それこそ今こうして颯一君と手を繋いでる時みたいな温かい気持ちに」


 俺も真夏だというのに温かい気持ちになっていたが、真白も同じように感じてくれていたことがどうしようもなく嬉しい。


「俺はその男の子のこと全然知らないけどきっとすごく優しい子だったんだろうな」


「そうだったんだと思う。その男の子が今どこで何をしてるかはわからないけど、その男の子以上に優しくて一緒にいると安心して、温かい気持ちになれる颯一君に出会えたから、もうその子のことは忘れちゃってもいいかなって思ってる。まあその子にはちょっと申し訳ない話ではあるんだけどね」


 その男の子がどんな子だったのかはわからないが、父親がいなくなってしまった真白の人生を、記憶に残るという形で少しでも温かいものにしてくれたその男の子には感謝してもしきれない。

 部屋の中を見て布団が隣同士で並べられていた時はやっぱり無理かもしれないと思ったが、俺もその男の子を見習って少しでも真白の人生が温かいものになるよう努力しないといけないな。


「申し訳ないだなんてそんな、きっと今でも真白の記憶に残っているってだけで嬉しいだろうし、もしかしたらその男の子だって真白のこと覚えてないかもしれないしな」


「そうだよね。いつかは忘れちゃうんだろうなって思ってたし、そう言ってもらえて少しだけ気が楽になったよ。あんなに楽しかった記憶はあるのになんで名前忘れちゃったんだろうなー。『いっくん』って呼んでたような記憶はあるんだけど……」


 いっくんと呼んでいたとなると、一郎とか家光とか伊織とか、そんな名前だったのだろうか。

 まあ今どれだけいっくんとやらの名前を考えたところで正解はわからないのだから、これ以上考えたってなんの意味も無いんだけど。


「いっくんか。どこかで元気にしてるといいな」


「……」


「あれ、真白?」


 俺の言葉に返答がなかったので、どうしたのかと真白の顔を見ると、真白は目を閉じて心地よさそうに寝息を立てて眠っていた。

 いくら車の中で眠っていたとはいえ、長時間車に乗ったり一日中寿子さんに振り回されたりして疲労が溜まってしまったのだろう。


 正直何も起こることなく眠ってしまったのは残念でもあるが、俺と真白はまだ何かをできるような関係ではない。

 残念に思ったというのが正直な感想ではあるが、何も起きなかったことに安堵もしながら俺も静かに目閉じた。

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