第64話 決壊する心

 琥珀さんに追い出されるようにしてリビングを出た俺は、真白の部屋へとやってきた。


 以前来た時から特に変わったところはないが、天川と二人きりというのはリビングで琥珀さんがいる時とはまた別の緊張感がある。


 琥珀さんの話を聞いた後だと、どう天川と接したらいいのかわからない。


 『大切にする』と言ったって、いつも通り会話をしているだけではそれを実践なんてできないのではないだろうか。


「ふぅ〜。驚いちゃったね。まさかお父さんが死んでたなんて」


「えっ⁉︎ 聞いてたのか⁉︎」


「うん。トイレに行くフリして窪田君とお母さんがどんな会話してるのか聞いてみようと思って軽い気持ちで盗み聞きしてたんだけどね。そしたらとんでもない話聞いちゃった」


 天川の父親の話は天川にさえ聞かれなければ、誰に聞かれたって大きなダメージは無い。


 その話を聞いた人から天川に伝わってしまう可能性はあるが、とにかく天川にだけは聞かれたくない話だ。


 いつかは父親の話を天川にするべきなのだろうが、それは少なくとも今ではない。


 まさか天川に先程の話を聞かれているなんて……。


 離婚をしているから自分には父親がいないと思っていたのに、実は離婚ではなく父親は死んでいた、なんて事実到底受け入れられる話ではない。


 天川からしてみれば両親が離婚しているだけなら、いつか父親に会えるかもしれないなんて考えたりもしていただろう。


 天川はへへへと笑っているが、それはあまりにも痛々しい作り笑いだった。


 そんな天川に、俺が何をしてやれるか、何をしてやるべきなのか、そんなことを考えているが正解が何かはわからない。


 こんな状況でどうするのが正解かなんて、学校で習わないのだからわからないのが当然だ。


 それでも痛々しい笑顔を見せる天川に俺がしてやれること、してやらなければならないことはこれしかないと、俺は両手を広げて優しく微笑んだ


「--っ」


 両手を広げた俺を見た天川の表情は、痛々しい作り笑いから一瞬で悲痛な表情へと変化し、俺の胸へと飛び込んできた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!」


 俺の胸に飛び込んで来た天川はすぐに大声をあげ、堰き止めていた何がが一気に溢れ出したように泣き始めた。


 そんな天川をただ優しく抱きしめることしかできない自分が憎い。


 きっと今、天川の頭の中はぐちゃぐちゃになっているだろう。


 なぜ父親が死んでいたことを言ってくれなかったのか、なぜ琥珀さんが男の人と関係を持つのが私のためだと言ってくれなかったのか、琥珀さんが自分のためを思ってしていたことがなぜ自分のためだと気付けなかったのか、そんな考えが頭の中を埋め尽くしているはずだ。


 それだけではなく天川の頭の中は、当事者ではない俺にはわからない様々な感情で埋め尽くされているのだろう。


 それを聞き出そうとするのは、天川のためではなく俺のための行動になってしまう。


 今はただ、天川が全てを吐き出すのを待つべきだ。


 俺が天川の話を聞くのは天川が泣いて泣いて、全てを吐き出し切って気が済んでからでも遅くない。


 天川の思うように、思うがままにさせてやることが、先程琥珀さんに言われた天川を『大切にする』ということになるのだろうと、小さい脳みそで必死に考えていた。

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