マッド・ブラッシュ

マッド・ブラッシュ その1

 少佐へ昇進した暁に与えられた船室は綺麗だった。床にシミはなく、ベッドは一つしかないし、豪華な机もある。それに何より窓があった。


 窓から見える空は、紫色。まっすぐ下へと視線を向ければ、灼熱色の木々を生い茂らせた大地が目に入る。窓に近づいていって、窓の下を覗き込めば、我が家といえる宇宙船タカマノハラと、それに向かって列をなす宇宙人の姿が見えた。


 それは人類の遠い祖先にあたるという類人猿にそっくりだった。もしくはギリースーツをまとった兵士にも似ている。ただ、私たちあるいはご先祖様と比べると、一回りも二回りも大きい。


 あの原始人たちが、この惑星を支配していた知的生命体だった――つい先ほどまでは、だが。


 この惑星はすでに、第二日本と名付けられ、公的な星図にもそう記載される予定となっている。


 私たちは彼らに攻撃され、戦争状態へと突入した。戦争に勝利したのは我々で、彼らは捕虜あるいは奴隷ということになるだろう。この辺りの扱いは、今まさに将校らによる会議が行われている最中だ。


 手足に手錠をはめられた原始人たちがよろよろとと歩いている。その姿を見ていると、妙に不安を掻き立てられてしまうのだ。


「これで本当にいいのだろうか」


 窓から離れ、椅子へと腰かける。


 目の前のテーブルには写真立てがある。昇進した私が持ってきた数少ない荷物であり、そこには相棒あるいは親友と呼ぶべきキイの屈託のない笑みが写っていた。



 キイとの出会いは、私が少尉に昇進した際のことである。尉官になると、小隊を率いる小隊長としての仕事が追加される。リーダーといえば聞こえはいいが、大した権限はないくせに、上司と部下との板挟みになってしまう面倒な立場だった。

 

 十名ほどの小隊をあてがわれることとなった。その中に、キイはいた。



 キイはコウモリのようなやつだった。とにかくおべっかが上手く、年上や偉い人間に好かれやすく、また、好かれるように振舞っていた。あっちの隊長にはコーヒーをプレゼントし、あっちの中佐殿には今日も筋肉がすごいですねと、鋼鉄の肉体をほめそやしていた。配給制だというのに、キイのポケットからはタバコやらコーヒーやら精神安定剤が出てくる出てくる。どこで仕入れているのか、と聞いたら。


「ちょっとした賭けで」


 それ以上のことは聞き出せなかったが、そんな感じの器量のいい奴だった。


 ただ、そんなやつは決まって、同僚からの評価は低い。おべっか使いってことはすぐに知れ渡って、嫌な顔をする兵士も少なくはなかった。もっとも当の本人は気にしてはいないようであったが。


 そういうところが、私は好きだったのかもしれない。


 私といえばすでに二十代を卒業しようとしているところで、それなのに少尉というのは――士官学校を出たエリートにしては遅い出世だった。どうしてこうなってしまったかといえば、思ったことをストレートにぶちまけてしまうからに違いなかった。上司の作戦が悪かったと思えばそう言ったし、部下の働きが悪かったら、文句を言った。……怒りというものが制御されていなかったら、私はぶん殴られていたかもしれない。

 

 キイと親しくなったのは、自分にはないものを持っていたからかもしれない。そんなことを言えば。


「少尉の歯に衣着せぬところはぼくにはなくて、うらやましいですけど」


 なんてはにかみがちに言うのだった。いつものおべっかなのか、本心からなのかは私にはわからなかった。



 ある時、どうしてそんなにお世辞を口にするのか、と聞いたことがある。


「保身のためです」


「保身?」


「はい。ほら、ぼくってばおっちょこちょいでどんくさいですから。こうでもしないとすぐにでも嫌われてしまいそうですから」


 恥ずかしそうに顔を赤らめながらキイが言った。


 思い返してみると、訓練の時に最後尾にいるのは、ランニングだろうがなんだろうがいつもキイだった。彼はほかの兵士と比べると小柄で可愛らしい。だからこそ、年上からの評価が高いのかもしれないかったが……。


 筋トレをしたらどうか、と一応は助言したが、考えておきます、という答えが返ってきた。たぶん、筋トレをやってムキムキになることは決してないだろう。実際、キイは華奢なままだった。


 死ぬ時までずっと。



 ハビタブルゾーン内に地球型惑星を見つけたのは、タカマノハラが地球を出発して、何百年後のことであった。私が生まれるずっと前のことで、それまでずっと宇宙を旅してきたらしい。その間にも船内では勢力争いなどの様々なことが起きたのだが、それは歴史が語るところなので割愛する。端的に言えば、歴史は繰り返す、ということだ。


 その惑星を軌道上から観測したところ、高度な文明を見つけることはできなかった。道路もなく、国家も見つからない。知的生命体の影さえもなく、だからこそ、タカマノハラは惑星へと降下した。


 その時といったら、一大イベントのようだった。ご先祖様の彼岸がようやく叶うということで、宇宙船内はどこもかしこもお祭り騒ぎ。アーモンドを平安京ほどまで大きくしたようなその巨体は、木々を押し倒し、川を氾濫させ、山を移動させ、ようやく止まった。


 これが、一年前のことである。


 地球とは全く違う、しかし、自然豊かな惑星に降り立った私たちは、探索を始めた。惑星の大部分はアカシアのように真っ赤な枝を有した木々に覆われており、その下に何があるかまではドローンでもセンサーでもわからなかった。そういうわけで、人による探査が行われることとなった。


 いくつもの小隊が組まれ、私はその一つの隊長となった。訓練の時の小隊と比べると、分隊レベルといって差し支えはない。隊員は五名で、その中には、キイも含まれていた。


 私たちを含めた百以上の小隊が、宇宙船から惑星へと広がっていった。その目的は、この惑星のことを知るということと、知的生命体がいるならばコンタクトを取るということだ。


 ある日、救難信号が送信された。


 信号をキャッチしたのは幸か不幸か、私の小隊で、発信源へと急行することとなった。近いとはいっても直線距離にして五キロ以上離れている。途中には川やら倒木やらがあり、実際の距離としては十キロはあった。ただでさえジャングルは歩きにくい。それでも、急がなければならない。救難信号を発した四十二小隊は、ただならぬ問題に直面しているだろうから。


 私たちは、立ちふさがる木々の間を縫うようにして、発信源へと走る。


 私にぴったりとくっついてきていた兵士の声が脳内に響きわたったのは、走り始めてから二時間が経過した時であった。


『隊員の一人が遅れています』


 報告が頭の中に現れた途端、だれが遅れているのかわかった。キイだ。彼は筋力がないのはもちろんとして、体力がない。それに何より、障害物だらけのこの鬱蒼とした森の中で、彼のような小柄な人間は走りづらいだろう。倒木を乗り越えるだけでも一苦労かもしれない。


 それがわかっていても、私は舌打ちしてしまう。


 状況は一刻を争うんだ、こんなところでは止まっていられない――。


 怒りはだんだんと湧き上がってくる。それは、徐々に沸騰し始めるやかんの水のようにふつふつと音を上げて。


 ピーっ!


 笛の音が頭の中に鳴り響いた瞬間、頭が真っ白になる。湧き上がっていた怒りは、脳内に埋め込まれたBTSによって、消去された。私を支配し衝動的な行動へと駆らせようとしていた感情がなくなったことで、私は一瞬の虚無状態、あるいは無我状態に陥ってしまう。それは心地よくもあり、喪失感を伴うもので、今私は怒りをぶつけようとしていたことに気づかされる。


 BSTのおかげで、私たちは怒りに翻弄させられることがなくなった。怒りはある閾値に達すると、その瞬間に化学物質の投与によって消去され、沈静化させられる。怒りのままに動く人間はいなくなり、誰もが冷静に行動することができた。私たちの兵士にとって、いや、そうでなくとも宇宙で生活する宇宙船タカマノハラの船員にとって、なくてはならないものだ。私にとっても、いや、短気な私だからこそぴったりのものだった。


 脳内にチップがあるからこそ、私は、息を切らしながらやってきたキイの肩を抱き、その頬をぶつことなく、ねぎらいの言葉をかけることができるのだから。



 救難信号が発せられた場所は地獄のようだった。


 兵士はみな倒れており、その体には無数のやりが突き刺さっていた。私たちは兵士で、探索の際はそれほど厚くはないとはいえ、防弾防刃チョッキを装備していた。だがそれを、原始的な木製の槍は容易く貫き、肉体ごと地面を穿っていた。


 そこここには毛むくじゃらの人型をした生物が倒れており、体には無数の穴が開いている。体毛を焦がし血すらも蒸発させる一撃は、私たちが手にしている光線銃によるものだ。


 血の臭いと肉が焦げたようなきつい臭い。


 ここで戦闘が起きたのは間違いない。


 呆然と立ち尽くしていた私の背後で、嘔吐する音が聞こえた。振り返れば、へたり込んだキイがげえげえと胃の中のものを吐き出していた。


 それほどまでに凄惨な現場だったが、怒りだけはこみあげてこなかった。仮にも、志を同じくする仲間であったにもかかわらず、誰一人として、悪態をつかなかった。


 ただ淡々と、こういうことがあったということを本部へと伝えた。


 宇宙船では将校たちが会議を行い、掃討作戦が実行されることとなった。


 つまりは、あの場所に倒れていた毛深い原始人たちを見つけ次第、攻撃せよ、という命令が下りたのだ。

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