第8話 死にかける



「来るなぁあああああああああああああ!!」


 迫るゴブリンに向けて、明は傍にある電気ケトルを手に取ると無我夢中で振り回した。

 しかし、武器とも言えない道具を振り回したところでゴブリンに敵うはずもない。


「ぎひ!」


 電気ケトルを振り回し、その攻撃によって隙が生じたその瞬間。明の元へと駆け寄っていたゴブリンは一気に明の懐へと飛び込んで、明の腹部を棍棒で殴りつけた。


「ぐふっ!」


 明の口から息が漏れて、腹部に耐えがたい激痛が走る。

 反射的に腹部を庇い折れ曲がる明の身体に対して、ゴブリンはその手に持つ棍棒をもう一度振りかざした。


「げげ!!」


 ゴブリンは嗤い、隙だらけとなった明に向けてその棍棒を躊躇なく振り下ろす。



 ――ゴッ!!



 振るわれた棍棒は明の頭に命中して、小さな体躯には見合わないその力に明の視界が一瞬だけ暗転した。


「ぅ、くっ!」


 頬を伝うどろりとした生暖かいその感触に、明はすぐに頭皮が切れたことを察した。

 ズキズキとした耐えがたい痛みに声を上げそうになるが、明は奥歯を噛みしめてその痛みに耐え抜く。

 痛みに強いわけじゃない。ただ、あの――下半身が千切れた痛みに比べれば、はるかにマシだったからだ。


「――――っ!!」


 明は、すぐに来るであろう追撃に備えてすぐに頭を庇った。

 ……しかし、その追撃が来ることは無かった。

 ゴブリンが、不思議そうな顔となってその手に持つ棍棒を見つめていたからだ。

 その表情はまるで、今の一撃で完全に息の根を止めるつもりだったのに、とそう言いたそうな表情だった。


「っ!」


 この隙を逃すわけにはいかない。

 明はすぐに目の前のゴブリンを突き飛ばすとその上に馬乗りとなって、無理やりにその手から棍棒を奪いとる。


「ぎ、ぎぎぅッ!!」


 棍棒を奪われ、マウントを取られたゴブリンが激しく身を捩った。

 身体に見合わない力があるとはいえ、その体躯は子供と同じ。そう簡単に明のマウントから抜け出すことは出来なかった。


「はぁ、はぁ、はぁ…………ッ!」


 暴れるゴブリンを抑えつけながら、明は覚悟を決める。



 ―――殺らねば、殺られる。



 命が掛かっている以上、躊躇する理由は何一つとしてない。



「ッ、うあぁぁぁああああああ!!」



 棍棒の柄を固く握りしめて、明は自らを奮い立たせるように叫んだ。

 そして、明は片手でゴブリンの首を抑えつけると、反対の手で棍棒を振りかざし、そのまま勢いよく振り下ろす。


 ――ゴッ!


 振り下ろされた棍棒はゴブリンの頭に命中して、骨と肉を打ち付ける鈍い音を周囲に響かせた。


「ぎっ、ぎひぃ!」

 ゴブリンが悲鳴を上げて、さらに激しく身を捩る。


「っ、くっ!!」

 マウントが緩んでゴブリンが抜け出そうとするが、それを明は全力で押さえつけた。


「ぅうおおおおおおッ!!」

 叫び、明は再び棍棒を振り下ろす。


 ――ゴッ!

 ――ゴッ!

 ――ドッ!


 何度も、何度も。明は叫びを上げながら棍棒を打ち付ける。

 棍棒が振り下ろされるたびにゴブリンは悲鳴を上げて暴れるが、その力も明が棍棒を振り下ろす度に徐々に弱くなり、やがては身動き一つ取らなくなってしまった。



「っ、……ッ、…………ッッ!!」



 ――バキッ!

 ――ゴッチュッ!



 ゴブリンの頭蓋が砕け、脳漿が潰れる。

 それでもなお、明は止まることなく棍棒を振るった。

 もはや明のその目にはゴブリンの状態なんて見えていない。ただ、明の心は目の前のモンスターを殺さねば今度は自分が殺されるという恐怖に支配されていた。

 それが、いったいどれぐらい続いただろうか。

 ゴブリンの顔が潰れ、周囲に赤とも黒ともつかないゴブリンの血が撒き散らかされて、明が腕を振り上げるのも辛くなってきた頃。ふいに、その音は周囲に響いた。


 ――チリン。


 鈴を転がすような軽い音。

 その音にハッとして明が動きを止めると、明の目の前に青白い画面が浮かび上がった。




 ――――――――――――――――――

 レベルアップしました。

 レベルアップしました。


 ポイントを2つ獲得しました。

 消費されていない獲得ポイントがあります。

 獲得ポイントを振り分けてください。

 ――――――――――――――――――

 条件を満たしました。


 ブロンズトロフィー:初めてのモンスター討伐 を獲得しました。

 ブロンズトロフィー:初めてのモンスター討伐 を獲得したことで、以下の特典が与えられます。


 ・筋力値+5

 ――――――――――――――――――




「……レベル、アップ?」


 呟き、明は棍棒を手放して全身の力を抜く。

 それから、明は屍となったゴブリンの上から身体をどかすと、よろよろと給湯室の壁際へと近づき、そのまま壁に背中を預けてずるずると座り込んだ。


「………………」


 初めて、自らの手で奪った命。

 一歩でも間違えば訪れていたであろう自らの死。

 そして、やはり世界は変わってしまったのだという実感。

 そうした様々な思いが胸に押し寄せて、明は気が抜けたように、言葉もなくゴブリンの屍を見つめ続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る