第5話 ステータスと黄泉帰り
「七瀬主任、お先に失礼しますッ!」
叫び、明は逃げるようにして会社を後にした。
明は、会社を出るとすぐに人気のない場所を頭に思い浮かべて、足早にその場所へと足を向ける。
「はぁ、はぁ、はぁ…………。ここなら、大丈夫だろ」
会社の近くにある、小さな公園。昼間は昼休み中の食事をするサラリーマンや親子連れで賑わう場所だが、終電も近いこの時間になれば人気は無くなる。
街灯に照らされ、亡霊のように佇む滑り台やブランコを後目に、明は公園に設置されたベンチに向かうとドカリと腰を下ろした。
「いつの間にか、画面が消えてる」
明が動き出すと同時に消えた画面に向けて、明はぼそりと呟いた。
それから、もう一度あの画面を呼び出そうと思考を巡らせる。
(えっと、確かあの時……。急に現れたんだよな? 〝ステータス〟があるはずだって思って)
明がそう思い浮かべたその瞬間、またも明の目の前にはあのステータス画面が、軽い音を響かせながら現れた。
――――――――――――――――――
一条 明 25歳 男 Lv1(1)
体力:3
筋力:3
耐久:7
速度:2
幸運:2
ポイント:0
――――――――――――――――――
固有スキル
・黄泉帰り
――――――――――――――――――
(…………なるほど。ステータスという単語に反応しているのか)
まるで、ゲームそのものだ。
そんなことを考えながら、明は改めてじっくりとその画面を見つめた。
(これが、今の俺のステータスってことか。体力、筋力、耐久、速度……は、意味が分かるが幸運ってなんだ? 単純に運が良くなるだけなのか?)
ゲームならば、クリティカル率などに影響が及ぶような項目だが、この現実でクリティカル率は何かと考えてもすぐには思いつかない。
(……まさか、ただ単に運が良くなるだけだったりして)
と、明はそんなことを考えて、思わず呆れた笑みを漏らした。
(それにしても……。んー……? 耐久に+5されていたのは……あの、トロフィーってやつの影響――――で、間違いないんだよな?)
目覚めてすぐに目にした、ブロンズトロフィーという文字。
その時は意味が分からなかったが、どうやらそのトロフィー獲得の影響で耐久値が上がっているらしい。
「レベルがあるってことは、いずれ上がるってことだよな? まさか、あのミノタウロスを倒せば上がるのか? …………ははっ、そんなの無理ゲーだろ」
呟き、明は乾いた笑みを浮かべた。
一度――いや、二度、相対したからこそ分かる。
あの化け物は、今の自分が無理をすれば勝てるなんて相手じゃない。
明らかなレベル違い。
出会った時点で確定された死亡が待っている、ゲームで言えばいわゆる負けイベントというやつだ。
(他に気になるものと言えば……ポイント、か。これは、何だ? レベルがあるってことは、レベルアップで手に入れるやつかな)
現状の、明のレベルは1。その後に謎の括弧がついているが、その中身も1となっているので間違いないだろう。
「あと、最初から手に入れてるこのスキルだけど」
言って、明はその場所を見る。固有スキル、黄泉帰り。黄泉――つまりはあの世から帰ってくるという意味だろうか。
そのままの意味で捉えれば、これまで二度、死んだにも関わらずこうして過去に戻っているのは、このスキルが関わっているように思える。
(……どうして、これが俺に?)
明はその原因を考えた。
ミノタウロスに殺され、死亡の際に現れた画面のことを明は知らない。さらに言えば、この画面は明以外の人間には見えていない。原因を突き止めようにも、今の明にはどうすることも出来なかった。
「はぁー……」
明は、結論の出ない疑問に深いため息を吐き出した。それから、気分を変えるように画面へと目を向けて、口を開く。
「それにしても、スキルの効果は見れるのか?」
言って、明は試すように画面に記された黄泉帰りの文字へと手を伸ばした。すると、一瞬にして画面が変化し、切り替わる。
――――――――――――――――――
黄泉帰り
・パッシブスキル
・スキル所持者が死亡した際に発動し、スキル所持者はあらゆる因果律を歪めた状態で過去の特定地点へと回帰する。
――――――――――――――――――
(回帰する、か)
回帰――つまりは元の場所に戻るということだ。
このスキルに書かれているその特定地点とやらが、会社で七瀬奈緒に声を掛けられるところなのだろう。
そう思った明は、また改めてスキル説明文へと目を向けた。
「それにしても、因果律を歪めた状態って、なんだ?」
首を傾げながら明は呟いた。
しかし、いくら画面に触れてもそれ以上の説明は出てこない。何度か試してみるが、やはり結果は同じ。そのことに明はため息を吐き出して、スキル説明文から視線を外した。
(この画面を消すには……ああ、手を払うだけでも消えるのか)
明が画面を払うように手を動かすと、その目の前に現れていた画面はすっと消えた。
明は、もう一度ステータス画面を呼び出すと、画面をじっと見つめて考える。
何かに巻き込まれたのは間違いないが、これからどうすれば良いのかが分からない。
ゲームであれば何かしらの指針や目標があるはずだが、現状、明にとっての目標は〝死なないこと〟に尽きてしまう。
(そのためには、このステータス画面に表示された、俺のレベルを上げる必要があるんだろうけど……)
心の中で呟き、明は大きなため息を吐き出した。
「多分だけど、その相手って……、あのミノタウロスだよな…………」
これがゲームならば、あの化け物は間違いなくモンスターで、それを倒せば経験値が入ってレベルが上がるだろう。
しかし――――。
「レベルを上げるために、ただひたすらあの〝負けイベント〟に挑み続ける? どんなクソゲーだよ」
呟き、明は失笑した。
そんなの、どんなに心が強くても出来るはずがない。
あの痛みを、あの苦しみを、あの恐怖を、いつか訪れるかも分からないレベルアップのためだけに何度も繰り返す。
あまりにも狂った考えだ。終わりの見えない自殺行為に等しい。
明は、ため息を吐き出してその考えを払拭する。
(それじゃあ、どうすればいいんだよ…………)
この画面がゲームと似たようなものだということは理解できたものの、この現状が変わったわけではない。
明は大きなため息を吐き出すと、眉間に皺を寄せて頭を抱えた。
そこでふと、とある考えが思い浮かぶ。
(待てよ。あのミノタウロスに出会うことで死ぬんだったら、そもそもアイツに出会わなければいいんじゃ?)
二度経験した限りでは、あの化け物は仕事の帰り道で遭遇した。遭遇する場所も同じだったことを考えると、あの化け物はあの場所に固定で出現すると仮定しても良いだろう。
(もし、これで生き残ることが出来れば…………)
見えてきた希望に、明の口元が綻ぶ。
そして、心に少しばかりの余裕が生まれたことで、とある考えが明の脳裏には浮かんだ。
(――っていうか、死ぬことで何度もあの時に戻るんだったら……。今、ロ〇の当たり数字を見てから死に戻って、改めて〇トを買えば……確実に大勝出来るんじゃ!?)
ぱっと、明の顔に花が咲いたような笑顔が浮かんだ。
ロ〇の当選金額はその時にもよるが億を超える。それさえあれば、いくら残業しても一銭の金にもならないあのブラック会社を辞めることだってできるし、それを元手にFXや株でもやって増やせば一気に大金持ちにだってなることだって夢じゃない。
「マジかよ……。マジかよ!! やべぇ、やべぇな!! そ、そうだ。ロ〇、〇トの当選番号を見ないと!!」
慌てるようにして、明はスマホを取り出した。
それから、宝くじのサイトを開いたところでその動きをピタリと止める。
(当選発表、明日か)
今、この場で確認できる番号は、先週の当選番号だ。
あの残業をしていた時よりも過去に戻ることが出来れば、この数字を覚えていればいい。だが、二度死んで過去に戻った時は全て、つい先ほどの残業をしていたあの瞬間だ。
あの瞬間よりも以前の過去に戻れるのかどうか分からない以上、まずはあの瞬間よりも前には戻れないと考えるべきだろう。
「……明日まで待つか」
明はそう言って、ため息と共にサイトを閉じた。
それから、ホーム画面に表示される時刻を見てハッとする。
(っ、しまった!! 終電ッ!!)
青白い画面の謎に気を取られるあまり、時間のことを忘れていた。
慌てて立ち上がるが、もうすでに最寄りの終電は出た後の時刻だ。ここから自宅までは電車を使っても三十分はかかる。歩いて帰るにはあまりにも遠く、タクシーを使うには無駄な出費になる。
(…………仕方ない。会社に戻るか)
ブラック企業勤めの戦士たるもの、会社に泊まり込むのは日常茶飯事だった。
もはや何の抵抗もないまま、明は自然とその選択肢を取ると、ため息と共に会社への道のりへと足を進めたのだった。
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