第3話 悪夢の再来



 夜の住宅街を、明は俯きがちに足を進める。

 会社を出てから数十分。これまでに経験したことは、全てあの夢の中の出来事とまるきりと同じだった。


 例えば、会社を出て途中ですれ違う人々。

 例えば、帰り道の途中で通り抜ける歓楽街で酒に酔って笑う若者。

 例えば、夜の住宅街に響くような大声で痴話喧嘩をするカップル。


 全て、すべてが同じ。記憶の中にあるあの光景と、何一つ変わらない。



「クソッ、何が起きてるっていうんだよ!」



 まるで狐に化かされたような気分だ。

 そんなことを考えながら路地の角を曲がった明は、怒りに任せて髪を掻き毟ろうとしたところでその動きをピタリと止めた。


「え?」


 視線の先。路地を照らす電灯の下。そこに、この現実には居てはならない奴がいた。



「なんで、お前が、ここに…………」



 呟き、明は立ち尽くす。何かの間違いであってほしいと、明はその異形の姿をただただ見つめる。

 けれど、いくら見つめたところで何も変わらない。そこに居る異形は、あの夢の中と同じなのだ。頭上にそびえた洞角も、膨れた筋骨を覆う茶黒い体毛も、丸太のように太い腕も、その手に握られた明の身の丈ほどの大きさがある戦斧も!

 何もかもが、あの夢の中とすべて同じ。

 間違いない。あれは、あの生き物は――――。牛頭人身の怪物、ミノタウロスだ。


「ヒッ」


 声が上ずり、身体が竦む。

 夢の中で体験したあの痛みが、あの苦しみが、あの恐怖が、一瞬にして蘇る。


「嫌だ」

 言葉が漏れる。


「嫌だッ!」

 震える足を引きずるように動かして、明は背後を振り返る。



「死にたくな――――」


 そして、吐きだしたその言葉は最後まで続かなかった。



 唐突に背後から襲いかかる横薙ぎの衝撃。次いで、身体が吹き飛ぶ感覚と共に襲う激しい痛み。

 明は地面を何度も跳ねながら吹き飛ばされて、ブロック塀に身体を叩きつけると絶叫を漏らした。



「ア――――ガァ、ぁぁぁぁぁああああああああああッッ!!」



 身体が熱い。熱い、熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!

 脳が痛みを熱さとして受け止めて、身体中を蝕み焼き尽くそうとしてくる。

 痛みが、熱さが、苦しみが、身体の内側で暴れて絶叫という声になって零れだす。

 明は数秒の間に、痛みによる気絶と覚醒を繰り返すと、ごぼごぼと、口から血の塊を吐き出して地面を濡らした。


「に、げ………ない、と」


 ぶくぶくと、口の端に血の泡を作り出して、明は掠れた言葉と共に涙を溢すと、まずは身体を起こそうと震える身体に力を込めた。そこで、明はようやく気が付く。



「あ゛し……あしが……ない」


 腰から下が消えている。今まであった両足が失くなっている!



「な゛んで……」



 なぜ、こんなことになっている。どうして、あの夢と同じ状況になっている。あの化け物に殺されるのは夢じゃなかったのか!?


「げほっ、ゴボッ!!」


 視界が歪む。痛みと失血で、意識が飛び掛ける。――――その瞬間だった。

 チリン、と。鈴の音に似た音が周囲に響いた。




 ――――――――――――――――――

 前回、敗北したモンスターです。

 クエストが発生します。

 ――――――――――――――――――

 C級クエスト:ミノタウロス が開始されます。

 クエストクリア条件は、ミノタウロスの撃破です。

 ――――――――――――――――――


 ミノタウロス撃破数 0/1


 ――――――――――――――――――




 明の目の前に表示された青白い画面。

 まるでRPGのウィンドウ画面を思わせるそれは、微かな明滅を繰り返しながら明へと存在の主張を示してくる。


「――――ぇ?」


 と、明の口から声が漏れた。



 霞み、ぼやける視界の中で、明は眼前に表示されたその画面をただただ呆然と見つめた。



(……なんだ、これ)



 夢の中ではこんな画面が出てきていない。いや、それよりも。ここに書かれている内容はいったいどういうことだ。


(ミノタウロスの撃破? アイツを殺せって? ……そんなの、絶対に無理だろ)


 書かれている内容は理解できる。けれど、それを実行することなんて出来るはずがない。

 あれは化け物だ。正真正銘の怪物だ。

 十メートルという距離はあったにもかかわらず、その距離は一瞬にして縮まった。気が付けば身体は吹き飛び、腰から下がたった一撃で引き千切られてしまった。

 こうしてまだ、辛うじて意識があるのは当たり所が良かっただけに過ぎない。

 もしも、あの一撃が頭だったら……。いや、頭じゃなくても胸から上に直撃していたら一瞬にして、この命は肉塊に変わっていた。

 たった一撃で人を殺すことが出来る、そんなモンスターを相手に勝つことなんて出来るはずがない。


「――――――――」


 唐突に現れたその画面を、呆然と見続ける明は気が付かなかった。

 明の両足を食べていたミノタウロスが、身動き一つしない明に興味を示したことに。


「ぁ」


 そして、気が付いた時にはもうすでに何もかもが遅かった。

 ふと視線を上げた明の目に真っ赤な口が映りこむ。

 そして――――ブチュリ、と。

 明の意識は一瞬にして闇に閉ざされた。

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