第12話 霞の如く

「そんなに怯えられると何だかショック。……年下の子供に怯えている姿を見られたら不審に思われるよ?」


 その声は、先ほどと打って変わって感情がこもっている、子供らしい声だった。そして――その声にシェンシアは、聞き覚えがあるということに動揺が隠せない。


「僕が君に危害を加えることなんて絶対にしないから安心して。だって、僕は君に有益な情報を伝えるために良いタイミングで誘き出したんだよ? こんなところで襲うんだったら、あの家ごと吹き飛ばせば済む話だし・・・・・・・・・・・・・・・・


 シェンシアは息を呑んだ。もう、何も声が出せない。正体が知人だったということや「あの家ごと吹き飛ばせば済む」という一言が、脳を揺らしてくる。


「大丈夫。僕は知ってるよ? 『深淵の魔女』のことも、『絶望の悪夢ナイトメア』のことも」


「……へ?」


 先ほどの発言のときよりも強い衝撃が頭を襲う。そのためか、無意識のうちに呆けた声が出てしまった。


「なん、で…… 『絶望の悪夢ナイトメア』を、知ってる、の?」


 声が途切れ途切れになり、震えてしまう。もう恐怖なんて吹き飛んでしまった。そこにあるのは、恐怖などではなく「不安」。探し求めていた情報を見つけたことで、黒く塗られたキャンバスに白い絵の具をバケツから垂れ流したような感じになったが、教えてくれる保証がないことで、再びキャンバスが黒く塗られていくような感覚。


「やっぱ突っ込むのはそこかぁ。君にとっては『深淵の魔女』よりも

絶望の悪夢ナイトメア』の方が気になっていると思ったよ。……でも、教えなーいっ」


(そんな……)


 完全に掌でコロコロと転がされている。向かいにいる相手の小さな姿が、とても大きく見え、「敵わない」と本能が告げていた。


「うーん、けど、僕が出す条件に従ってくれれば教えてあげるよ。従わなかった場合には……ここであった出来事を全て忘れさせるからね・・・・・・・・。即答せずに、しっかりと考えてほしいなぁ」


 そんなこと言われなくても、考えるに決まっている。条件が何だかわからないから、答えることができないというのが実情なのだが。なお、条件次第では即答できる。


「……その条件って、何なの?」


「素直に教えると思う?」


 ダメ元で聞いてみたが、やはりダメだったようだ。


「それが……教えてあげるんだよね。その条件は、ここに君の仲間たちを連れてくることと、『深淵の魔女』と呼ばれている『phonyフォニイ』を――殺すこと」


 『phonyフォニイ』という言葉の意味を理解することはできなかったが、それが『深淵の魔女』を指しているということは理解できた。


 『深淵の魔女』を殺すということなら、与えられた任務を遂行するだけでいい。ただ失敗はできなくなったというだけ。それでも、その条件を聞いてシェンシアは冷や汗をかく。「ここに仲間たちを連れてくる」という条件が、返答を遅れさせていた。


 ここに仲間たちを連れてこい、という命令を暗に伝えているということなのだが、理由があるからこそ、そう指示しているということであるはずだ。一体何を企んでいるのか、相手の意図が霞に隠れたように見えない。


 相手のことがまるで霞のようで何も見えないが、それでも、今すぐに「はい」と言いたい欲求に駆られるシェンシア。感情が駆り立ててくるが、残った理性がそれを阻止する。だが、『絶望の悪夢ナイトメア』の情報が欲しい、という欲求に理性が敗れてしまった。


「わかったわ。……連れてこればいいんでしょう?」


「物分かりが良くて助かるよ。じゃあ、先払いとして『深淵の魔女』と『絶望の悪夢ナイトメア』の情報の一部を教えてあげる。『phonyフォニイ』じゃない『深淵の魔女』はね、もうとうの昔に死んだんだよ」


「……え?」


(『深淵の魔女』を殺せ、と言われたのにその当の本人がもう死んでるだなんて聞いてない。いえ、この子は「『phonyフォニイ』じゃない」と言ったわね。つまり、『深淵の魔女』は二人いるの? もう、何がなんだかわからなくなってきたわ)


 頭がこんがらかっているシェンシアを置いて、話を進めていく少年。


「『絶望の悪夢ナイトメア』はね、探しても絶対に見つからないよ。僕が断言する。でも、『深淵の魔女』と呼ばれている『phonyフォニイ』を殺せば自ずとわかるはずだから。――と、話はここで終わり。僕はこれからやることがあるから一旦去るけど、ちゃんと連れてこなかったらわかるからね? あと、僕のことを誰にも言わないこと。言ったら、君とそのことを聞いた相手の記憶を消すよ・・・・・・。うっかり関係ないことまで消しちゃうかもしれないから、くれぐれも気をつけてね」


 あっさりと話を終え、くるりと背を向けて森の奥へと歩いていく少年。その際に、金糸のような髪が揺れた。


 その様子を、黙って眺めるシェンシア。……いや、その様子を眺めているのではない。彼女の目は、ここではないどこか遠くを見つめているようなのだ。


「……戻ろうかしら」


 随分と長引いてしまった。このままだとゼルシスに「時間がかかったな。大の方だったのか?」みたいな感じでいじられてしまう。もう既に手遅れかもしれないが。


 そのようなしょうもないことを考えつつ、シェンシアはくるりと森の奥に背を向け、小走りで家に戻って行った。


   ***


「子供らしい感じの声を出したり、子供らしい言葉遣いで話すのは難しいな……」


「それなら無理する必要はなかったんじゃない?」


 もしもシェンシアが森の奥へ行っていたら、少年と得体の知れない誰かとの、そんな会話が聞こえていたのかもしれない。

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