第31話 忘れない
「今日も疲れた……」
毎日の就寝前は必ずこれを言ってしまうくらい最近の僕は疲れ切っている。今日はこの国の文字の読み書きができるようになったが、それに全ての時間を費やしたので中々きつい。
『マスター、最近は私のことを放置しすぎではないのでしょうか? 私から話しかけることは控えておりましたが、流石にこの度は話しかけるべき案件だと思います』
客室の寝台に横たわると同時に、脳内に機械のような冷たい声が響いた。……この声は――
僕は起き上がり、虚空に向かって口を開いた。
「最近は忙しかったから話しかける余裕がなかった。それに、ソルデウスたちがいるのに虚空に向かって話しかけたらおかしく思われるだろう?」
『それはそうですが、就寝前などのこのような状況なら話すことはできるでしょう?』
「……」
アドミンのことを忘れていた、ということは言えないので必死に言い訳を考えていたのだが、この一言が刺さってしまい、黙り込んでしまう。
『……やはり私のことを忘れていたようですね』
相変わらず機械のような声だが、怒りや寂しさが込められているような気がした。ここは素直に謝罪するのが吉だろう。
「すまない」
『わかったのならいいです。今後は私のことを忘れないで下さいね。……私はあなただけには忘れられたくないから……』
後半の方は何かを言っていたが聞こえなかった。だが、前半は聞こえたので許しをもらえたということはわかる。
それからはアドミンの気配が消えた。……なぜかアドミンが起動(?)しているのかがわかるんだよな。不思議だ。
そう思いつつ、寝台に再び横たわる。疲労がたまっているので早く寝てしまいたい。
「今後は忘れないようにすると『レイ』の名に誓う。……忘れることなどないと思うがな」
気づいたら何かを口走っていた。自分の口から発せられたというのに、内容も全く覚えていない。……不思議だ。不思議なことだらけだ。そもそも、どうして僕がこの世界にやってきたのもまだわかっていない。あの世界に戻りたいとは言わないが、やはりなぜなのか気になるのは僕の
そんなことを考えていたら、僕の意識は段々と
***
「……兄さん、本当に僕はこのままでいいのかな?」
時は遡り、レイが一人で文字のテストをしている時間に、家の外でティグリスとアル村長が向かい合って話していた。既に夕日は沈み、暗い空に浮かぶ
何かあったのか、アル村長に対して話を切り出したティグリスの顔は、失望や軽い絶望を孕んでいる。
「ティグリス、一人で抱え込む必要はない。お前の望みは俺が継ぐ。この望みは野望の
二人が何の話をしているかはあまりわからないが、暗い話ということはわかった。
「耐えられなくなったのなら弱音を吐いてもいい。誰かに
アル村長の言葉に耳を傾けるだけで、一言も発せず黙り込むティグリス。
「大切なのは、『忘れない』ことだ。あの時の気持ちを忘れてしまえば、望みが叶う確率は零に近くなる。そして、無理に変わろうとすれば自分を見失う。次第に自分だけでなく、望みなどの他のものも見失うかもしれない」
アル村長は悟すようにゆっくりと語りかける。
「……これは兄さんに背負わせるものじゃないと思うんだ。背負うのは僕だけでい――」
「そんなことを言うな!」
珍しく、アル村長が声を
「お前とは向ける感情が違うが、俺にとっても大切な人だった。そして、そうだった人は何人もいた。尊敬していた人もいるし、叶わないと知りながらも恋をしている人もいた」
「彼女は人望が厚いからね。当然だよ。それに比べて僕は……」
ティグリスはそう言うと普段とは全く違う、暗い様子になる。
「その人たちは俺にとってもお前にとっても友人で、かけがえのない仲間だっただろう? だが、あの事件で散っていった。俺もお前も失ったんだよ。色々な大切なものを」
「それは……わかってる」
「俺は誰かの大切なものを散らせたことが何回もある。だから俺自身の大切なものが失われた時、覚悟を決めていた。お前も、そうだったたろう?」
「あ……」
忘れていた大切な記憶が甦ってくる。あの時の決意が鮮明に脳裏に浮かぶ。
「それを、『絶対に忘れるな』。……俺から言えるのはこれだけだ。今から俺は行く。だから、俺のいない間に気持ちを整理しておけよ」
そう言い残してアル村長は去っていった。つまり、ティグリスは
「なんで、忘れていたんだろう……。『忘れない』そう決めたのに……」
ティグリス我を取り戻し、暗い空気が霧散していく。迷いという名の霧が晴れたように。
「もしかして……」
『忘れない』そう決め、誓ったことを忘れていた理由を考えたら思いあたる節が見つかった。
「来年、来年だ。その時には、ケリをつけないと……」
暗い、されど明るい空の下。ディグリスは決意を固め、一歩を踏み出した――
――――――――――――――――――
次回は第二章のエピローグです!
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