第20話 愛は辛い

 深淵に呑まれていく。レイの意識が。だから、それに対になるような形でレイが表に出てきた。このままだと……マズい。暴走を始めてしまう。レイを止められるのはレイしかいない。三人いる中の一人が沈み、もう一人が暴走するのなら……残りの一人が何とかするしかない。本当は、三人なんて嫌なんだ。レイは二人だけでいい。だから……お前らはさっさと戻れよ。いるべき場所にな。そうすればレイは二人になる。そうなればお前らの思惑通りに進まなくなるんだ。それを危惧しているんだろ? お前らは。だから無理矢理動いた。あれを使えば、一刻が経つ前にレイが壊れるかもしれないのに。舞台が完成間際だからって……調子に乗んなよ。そんなふざけた舞台なんてぶっ壊してやる。



   ***



 俺は両親にも村の人にも愛された。愛されていたんだ。だけど、あの一件のせいでこの関係は崩れた。俺のことを愛してくれた両親は、同じく俺を愛していた村の人に殺された。この時、俺の心にはぽっかりと穴が空いたような気がしたんだ。俺が両親に愛されていなかったらここまで悲しくはならなかった。村の人が初めから俺らのことを恨み、憎んでいたら「裏切られた」というショックな気持ちにもならなかった。


 愛されることは、必要がないことなんだ。愛されるのはつらいだけ。だから、だから……俺は愛したり愛されたりすることを拒んでいくことにした。「愛」なんてこの世にはいらない。あるからこんなに悲しくなる。初めから無ければ良かったんだ……。


 だからこそ、アルダンティとかいう奴の家族を見ると反吐が出そうになる。子供たちは愛されているからだ。この世界の奴らは愛されていることがどんなに辛いのかを分かっていないんだよ。体験していないからだ。体験すれば「愛」なんていらないということに気づく。そして、もう手遅れだったということも。


 何度だって言ってやる。「『愛』なんていらない」と。愛されている奴は地獄を見ることになる。この俺みたいにな。



……辛い、辛い、辛い、辛い。この苦しみから解放されたい。そのためには……解放しなければ。望んではならない大罪を。溢れ出る欲を満たし、満たされない渇きを潤す力を。そうすれば、楽になる。この際はもうどうなってもいい。器が壊れても。



   ***



 雨と風が吹き荒れる夜。今は隠れて見えない白銀の十六夜月いざよいづきの色に似ている少年の銀の髪が揺れる。それは銀髪の少年――レイが起き上がったからだろう。


 レイは双眸を細めて虚空を睨んでいる。まるで、見えない何かを見ているようだ。


「我は大罪を犯した その大罪は犯してはならぬ禁忌 歩んではならぬ一筋の道

 裁きという名のむくい それを受ける前 逃げ出す我 その禁忌は心の中に」


 レイは一つのうたを紡ぐ。己の行いを懺悔ざんげするかのように。


濡羽色ぬればいろの羽が辺りを舞い 白い狐が羽を咥えて走り出す

 虚空に伸びる手 れは欲の表れ 欲があるのは人のさが

 禁忌を犯した我は知る この大罪の名を――」


 一つのうたを紡ぎ終わると、またもう一つのうたを紡ぎ始めた。


「我は大罪を犯した その大罪は犯してはならぬ禁忌 歩んではならぬ一筋の道

 裁きという名の報い それを受ける前 逃げ出す我 その禁忌は心の中に」


 再び懺悔が始まる。


わずらわしい羽音はおとが辺りに響く 上を見上げれば黒の大群

 三つの頭が牙を剥く この渇きを満たすために

 禁忌を犯した我は知る この大罪の名を――」


 懺悔が終わると、レイはおもむろに右手を前に伸ばした。


「大罪解放――■■の罪」


 そう唱え終わると、手を下ろしてから再び右手を前に伸ばした。


「大罪解放――■■の罪」


 最後の部分だけ違った形の詠唱をする。これには何の意味が込められているのだろうか。


「行こう。深淵が、月が、俺を呼んでいる。気配がするのは……あの森か」


 レイは窓を開け、そこから飛び降りる。普通なら怪我をしてしまいそうだが、彼は怪我を一切負うことなく着地した。


「奪ってから喰らってやる……待ってろよ! その美しい円月えんげつ偃月えんげつにしてやるからな……」


 レイは駆け出す。美しい月がある森へと。深淵の中にある月を喰らうために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る