第5話:囚人たちの教室
サイダーを頼み、一番奥の端の席に座った。
封筒を開けてしまったことを少し後悔していた。
少し遠くから撮影しているからか、若干ボヤケてはいたが、雪乃であることは制服を着ていたこともあって、ほぼ間違いないと思う。
隠し撮りだろう。
背景に写ったホテルの看板が頭から離れなかった。
そう考えると、写真の意図は雪乃への侮辱、雪乃の評判を落とすことが目的だろう。
死者に鞭打つ行為でもある。
ただ、雪乃の秘密を探ろうとしている自分も、ある意味同類なのかもしれない。
やっていることは墓荒らしみたいなものだ。
紫苑のことが頭に浮かぶ。
いつも僕と会っているときとは違う、別人のような紫苑。
校舎裏で話したときの感じは、いつもの紫苑だったけれど、その後はまた別の紫苑になっていた。
それは外面向けの紫苑なのだろうけど、僕はそんな紫苑を知らない。
それが少しだけ、寂しいようにも感じた。
一番は
久里亜は雪乃が自殺した原因かもしれない。なのにどうしてそんなに楽しそうに話せるのか、僕には理解できいなかった。
ズズー。ソーダをすべて飲みきってしまった。
そして
もし、そうなら先生が雪乃を自殺に追い込んだ可能性だってある。
ただ、もし先生が雪乃をストーキングしていたとして、果たしてそれで自殺することってあるのだろうか。
ストーカーが何か危害を加えたというならわかるけど。
そう考えると、先生は雪乃の自殺とは直sつ関係ないかもしれない。
もしかすると、雪乃が自殺をする原因について知っていて、それで雪乃を助けようとしていた可能性もありそうだ。
少なくとも、先生についても調べる必要はある気がした。
ピコン。スマートフォンの音が鳴る。
紫苑からだ。家に帰ったらしい。僕はモックを出て紫苑の家に向かった。
雪乃の写真が頭で去来し、足取りは重かった。
紫苑の家はいつも通り鍵が開いていた。何かあったらどうするんだと思う。
もし・・・、嫌なことを考えてしまい頭を振って考えを追い出した。
「お疲れ」
「おつかれー」
そこにはいつもの紫苑がいた。義足も良く履いている青色のものに変わっている。
髪だけが学校でみたときのように綺麗に整っていた。
「マジで、今日びっくりしたよ。いつもと全然違うから」
「かわいかったでしょ」
紫苑が微笑みながら答える。
「ま、まあね」
「惚れ直した?」
「ほ、惚れてねーよ」
「照れちゃって♡」
「照れてねーし」
言葉とは裏腹に昼間の紫苑はかわいかったことは確かだと思う。でも、それはなんとなく認めてはいけないような気がしていた。
「ワタシがかわいかったことは事実として、やっぱりあのクラスおかしいと思うよ」
紫苑は少し真面目な顔になり、サラッと話題を変えた。
「おかしいって、どこが?」
「昼間は確信が無かったから言わなかったんだけど、あのクラスはさ、理想的なクラスって感じなんだよね」
「理想的なクラスとか、めちゃくちゃ良いことじゃないの」
「そうね。でも、理想的なクラスというのは、理想だから、実在しない、実在することはないと思う」
「言ってることがよくわからないんだけど」
「もっとわかりやすく言えば、完璧なものは存在しないって話。そういう時って、何かしら問題が隠されていたり、無理やり作られた虚構のことが多いかな」
「えっ? どういうこと?」
「ゲーム理論って知ってる?」
「ゲーム理論? 攻略法とかそういうこと?」
「全然違う。簡単に言えば、人間は自分の利益が最大化するように行動することが多く、利益を最大化するにはどうすれば良いのかを理論的にまとめたもの」
「うん、全然わかんない」
「囚人のジレンマって聞いたことあるかな?」
「あー、なんか聞いたことあるかも。二人の囚人を別の部屋に隔離して、自白させるやつだっけ?」
「近からず、遠からずかな。犯罪で捕まった二人の囚人に、黙秘か自白を選ばせるんだけど、囚人がどちらも黙秘すれば罰が軽くなり、片方だけ自白した場合には自白した方だけ罰が無くなり自白しなかった方は倍の罰を受けることになって、両方とも自白したら罰が重くなるという思考実験」
そう言って、スマートフォンで表を見せてくれた。
「二人ともお互いを信じて黙秘すれば一番罰が軽いけど・・・」
「そうね。でも、相手が自白してしまったら自分だけ重い罰を受けることになる。仲間を信じて自白しないのが良いのか、それとも自白した方が良いのかが、いわゆるジレンマ、相反する二つの事柄でどっちを選んだら良いかわからない状態になってるわけ」
「わかったような、わからないような」
「細かい話はあるんだけど、簡単に言えば、囚人は自白するのが最適解という点」
「えっ、でも二人とも自白しない方が良いんじゃないの?」
「そうね。お互いに黙秘すれば、もっとも良い結果なんだけど、どちらの囚人にとっても自白することが自分の利益だけを考えた場合、合理的な選択なの」
「ふーん。で、それがどうしたの?」
「いじめの問題もこの囚人のジレンマが発生していて、いじめが起きたとき、その周囲の人達は傍観を選ぶのが合理的なんだ。だから、どんな環境でもいじめが存在する。特に未熟な10代においては・・・」
紫苑は一呼吸おいて、再び語りだす。
「あのクラスには、たぶんいじめが存在しない。普通は存在するものなの。その程度に差があったとしても。例えば、暗黙の了解で一部の生徒を無視するとか、スクールカーストなんかもそう」
「言われてみると、いじめとか、無いかもしんない。ハブられてるとかも無い気がする。仲が悪いってのはあるかもしれないけど」
そう言いながら、僕は久里亜を思い浮かべた。雪乃もクラスで浮いた存在ではあったけれど、それで仲間はずれにされるというようなことは無かったと思う。自分もそうだ。
「でしょ。なんだろう、かなりフラットな関係に近いコミュニティが形成されてて、それは理想的なんだけど、でもそれは全員が高いレベルでいじめに対する理解が無いと実現できない。大人でさえ難しいのに、10代の若者には到底無理」
「でも、わからないじゃん、みんな結構頭良い人の集まりだしさ、ちゃんとわかってるのかもよ」
「逆よ、逆」
「逆?」
「頭が良いから、合理的な判断をしやすくなって、いじめが黙認されやすくなるの。それに頭が良いから、自分の優位性を確認しようとするのよ。全員が天才だったら、話は別だけど」
「なんで」
「天才は他者に興味を持たないから。どうでも良いのよ、自分と他者の優劣なんて。それに、天才には天才の合理性的判断があるんだけど、それはワタシたちの尺度とは違うのよ。でも、そういう環境はとても限られている」
「そういうものなのか」
「あくまでワタシの考えだけど。あと、いじめが発生しても防ぐ方法についても囚人のジレンマを使ったシミュレーション実験があってさ」
紫苑はスマートフォンで成膜大学理工学研究報告の『囚人のジレンマを用いた いじめ発生メカニズムの解析と対策』という論文を見せてくれたが、字が小さくてわかりにくい。
「この論文では、いじめの抑止には他者の動向を顧みずに自ら行動できる生徒が必要としているの。そういう人がいると、傍観者の人たちもいじめを抑止する方に傾いて、結果としていじめを抑止しやすくなるってこと。ただ、いじめの回数が増えたり、いじめ加担者が多くなると、抑止が成功しにくくなって、傍観することになると言っているわ」
他者の動向を顧みずに自ら行動できる生徒という言葉を聞いたとき、雪乃のことが頭に浮かんだ。
「結論としては、『いじめは悪いことである』ことを、多くの生徒、ここでは傍観する生徒が理解して、傍観しないようにすることが大切だとしているの。でも、理解することと実際に行動することには、大きな隔たりがある。『言うは易く行うは難し』ね」
「それってさ、結局、いじめが起きた時に、ちゃんといじめを止める人がいれば、いじめは起きにくくなるってことだよね」
「そうだね。でも、火の粉が自分にかかってくるかもしれないと思えば、たとえ正しいと思っていても止めようとする人は少ないんじゃないかな」
「誰に対しても強く正義を貫けるような人なら・・・」
「恒常的ないじめは無くなるかもね」
「雪乃だ」
昔、学校外で絡まれている生徒がいて、それを助けたという話を思い出す。
誰に対しても凛とした態度で自分というものを持っていた雪乃。
きっといじめがあった時にも、率先してそれを糾弾しただろう。
「雪乃さんがどうしたの?」
「ごめんごめん、雪乃ってさ、そういうの許せないタイプっていうか、結構ズバッと言う感じだったんだよね」
「そう」
「僕らのクラスに雪乃いたから、雪乃がいじめを止めていたから、いじめが無かったんじゃないかな」
「その可能性はあるかもね」
「あっ、ということは、もしかしてだけど、いじめを指摘された人が雪乃に対して恨みを持っていたってことはないかな?」
「煙たがっていた人はいるかもね」
「そうか、そいつが嫌がらせをして、それで雪乃が耐えられなくなったのかもしれない」
僕は今日下駄箱に入っていた封筒を鞄から取り出して、中の写真を紫苑に見せる。
「この写真がさ、重音流の下駄箱にも入ってて、こういう感じで雪乃が嫌がらせをずっと受けてたんじゃないかな・・・あっ!」
僕は手の甲を頭に付け、紫苑をジッと見る。
「閃きました!」
「何? どうしたの急に」
「僕、わかったよ。」
「何がわかったの?」
「今日さ、雪乃の友達の明沙良から、先生が雪乃に何か詰め寄ってたって話を聞いたんだよ。先生は雪乃がいじめられている事実を知って、雪乃に話をしたんだけど、雪乃は『ありがとうございます。先生の想いは理解しました。でも、ごめんなさい』って言って、その申し出を断ったんだ。だから嫌がらせが止まなくて、それで、それで雪乃は・・・」
そこまで話して、何をテンション上げて話しているんだろうと思う。
もっと早く気づいていれば・・・。
「良くわからないんだど、ちゃんと話してよ」
紫苑に言われて、自分がちょっと暴走ぎみだったことを反省する。
そして、今日明沙良から聞いた話と、下駄箱にあった写真についてちゃんと話をした。
「ふーん」
紫苑はそこまで興味無さそうな返事に見えたのだけれど、何か考えているようでもあった。
「ちょっと休憩しよっか」
「だね。ソーダもらっていい?」
そう言いながら冷蔵庫に手を伸ばす。
「もう仕方ないなあ。ワタシのも取ってよ」
「おっけ」
冷たいソーダが身体に染み渡る。一気に半分ぐらい飲み干してしまった。
甘いものを取ると脳がなんか活性化する気がする。
今日は何だか、真相に一気に近づいたように思えた。
雪乃は誰かから嫌がらせを受けていて、それに耐えきれず、自殺を選んだ。
写真を取られて脅されたりしたのかもしれない。
四六時中監視されているような感じだったのかもしれない。
誰かに相談するという方法もあったと思うが、雪乃の性格を考えれば、それをすべて自分で解決しようとしてたとも思える。
けれど、解決の糸口が見つからず・・・。
教室での雪乃を思い出す。そんな素振りは一切なかったけど、本当は大きなものを抱えていたのだろう。
後は誰が嫌がらせをしていたのかを見つけるだけだ。
クラスの人間だろうか。クラスのみんなの顔を頭に描く・・・久里亜・・・。
「あのさ、今日久里亜と話してたじゃん」
「うん」
「何話してたの?」
「別に大したこと話してないよ。一緒にカフェ行ってバイバイした」
「は? 二人だけでカフェ行ったの?」
「うん。だって久里亜くん、ワタシのこと気になってて二人で話をしたいって言うから」
「ちょ、ちょっと待って、久里亜と二人きりは駄目だよ」
「えっ、何? もしかして嫉妬してる?」
「ち、ちげーよ」
「照れちゃって♡」
「照れてねーし」
「マジで、前も言ったじゃん、久里亜って雪乃と付き合ってるかもしれないって」
「そんなこと言ってたっけ? ああ、そういうこと。久里亜くんとワタシが付き合うってこと?」
あっ、墓穴を掘ったかもしれない。
「そういうことじゃなくてさ」
「じゃあ、どういうこと?」
紫苑が上目遣いで聞いてくる。
「と、友達として心配なんだよ。久里亜ってそういう噂絶えないしさ」
「えー、どういう噂?」
意地が悪い。
「そ、そのさ、アレだよ、女性に対してだらしないっていうかさ」
「やっぱり久里亜くんにワタシが取れられるのが嫌ってことじゃん」
なんか深みにハマっている。
「いや、その、雪乃が自殺した原因がさ、久里亜にあるかもしれないからさ、そうなら危ないじゃん」
「ってことは、ワタシが久里亜くんと付き合うのは駄目ってことだよね?」
「駄目っていうか、その、いろいろとわかるまでさ、その、距離を置いたほうが良いっていうかさ。それに雪乃が嫌がらせを受けていたのは、久里亜からかもしれないしさ」
「それは無いよ」
紫苑はズバッと答える。
「だって、わかんないだろ」
「断言してもいい」
「どうして?」
「久里亜くんとは結構前からの知り合いなんだよね」
初耳だった。
「最初はゲーム関係で知り合って、直接会うのは今日がはじめてだったけど」
「前から知ってるからって、久里亜が良い奴とは限らないじゃん」
「それはそうだけど、でも、違うと思うよ。だって、今日久里亜くんから相談されたから。雪乃さんの件について」
えっ、どういうことだろう。久里亜が相談?
「相談って何?」
「ひ・み・つ♡」
「何だよ秘密って。秘密多すぎだろ」
「えー、そんなに知りたいの? ワタシと久里亜くんの秘密」
「べ、別に二人の関係とはさ、その、僕がどうこういうことじゃないけどさ、その、雪乃の件なんだろ。事件と関係あるかもしれなんじゃん」
大好きだった雪乃と久里亜が付き合っていたという噂。気にならないわけはない。それに紫苑と久里亜がどういう感じなのかも知りたかった。
「どーしよっかなー」
紫苑は意地悪な笑みを浮かべる。
久里亜はいつも僕の大切なものを奪っていくように思えた。雪乃にしても紫苑にしても。ああ、僕は・・・。
「紫苑様!お願いします!教えて下さい!」
僕は土下座してお願いする。背に腹は代えられない気がした。
雪乃のことを僕は何も知らなかった。雪乃に何も伝えられなかった。その結果が今だ。
いろいろな後悔がある。もう後悔はしたくない。
「しょうがないなあ。大したことじゃないよ。久里亜くん、雪乃さんに頼まれたんだって、付き合っていることにしてくれって」
「どうしてそんな」
「雪乃さんってモテてたんでしょ。たぶん、あんたみたいに雪乃さんに寄ってくる人たちをシャットアウトしたかったんじゃない?」
バ、バレてた。僕が雪乃を好きなこと。
「知ってたの?」
「
「うん、好きだとは思う・・・」
でも・・・という言葉を飲み込み、僕はそれ以上、言葉を発することができなかった。今は、まだ、僕の気持ちが、僕自身良く分かっていなかったから。
「ふーん、そっか」
紫苑はまたそっけない態度でソーダを口にした。
僕はそれを眺めながら、自分の不甲斐なさをひしひしと感じる。
一体、今まで、僕は何をしていたのだろう。
僕は表面的なものしか見えていなかった。それは自分の心についても・・・。
※参考
囚人のジレンマを用いた いじめ発生メカニズムの解析と対策(成膜大学理工学研究報告)
http://repository.seikei.ac.jp/dspace/bitstream/10928/364/3/rikougaku-50-1_1-7.pdf
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