第2話 重音流と莉杏と紫苑と

雪乃ゆきのが亡くなってから、はじめての登校。

見慣れていたはずの景色は、どこかボヤケているような気がして、別の世界線に迷い込んでしまったような感覚がある。

曇り空が僕の心を見透かしているようだ。

足取りは重かったけれど、それでも前に進めるようになったのは、自分の中ではかなり大きな変化だと思う。

ほんの少し前までは、本当に何もやる気が起きなかったからだ。

あのメールのおかげなのかもしれない。


いつもは結構ギリギリに登校していたのだけれど、まだ人と話すことに少しだけ抵抗感があり、登校中に人に会いたくなかったというのもあって、今日は結構早めに家を出た。

そのせいもあり、教室にはまだ誰もいなかった。


誰もいない教室ってのは、どこかノスタルジックな感じがある。

雪乃の席には何も置いてなかった。こういう時は、花瓶に花というのがよくある気がしたが、あれから2週間も経っているのだから、花も枯れてしまったのかもしれない。

それほどの年月が経ってしまっていたということだろう。

自分にとって、それほど雪乃の影響は大きかったと思える。


席に座って教室を後ろから見わたす。

何の変哲もない無機質な物に囲まれた世界。

人間が居ないというだけで、こうも侘びしくなるものなのだなと思う。

雪乃の席を見る。いつものように頬杖をついて。

でも、もうその席には雪乃が座ることはない。

ぼんやりと雪乃の姿を思い浮かべる。もう何百回と見てきた光景。

「雪乃の死は自殺ではない」というメールが頭の中でずっとグルグルと回っている。

メールは誰かのいたずらなのかもしれないが、今はそれを信じている、いや信じてみたいという想いが強い。


ぼんやりとしていると、生徒が入ってきた。

「おはよう」

という言葉はどこか懐かしかったけれど、そこには少し淀みがあったようにも感じた。

声の方を振り向き

「おはよう」

と応えるが、人の顔を見る気力が湧かなかった。

おはようロボットのような抑揚のない声。

ちょっとぞんざいだったかとも思ったが、それでも何も無かったように元気に振る舞うことはまだ難しい。


続々と生徒が教室に入って来る中で、1人の生徒がこちらに向かってきて、僕の肩に軽く叩くような感じで手を乗せる。重音流えねるだ。

「よう、大丈夫か」


重音流とは高校入学してから、よくつるんでいる友達だ。この学校の中では一番仲が良い。

長髪の爽やかなイケメンで、サッカー部。地区大会ではかなり活躍したようで、最近はさらに女性ファンが増えたようだ。

絵に書いたようなモテ男。いわゆる陽キャ、青春を謳歌するタイプの人間だ。

自分とはかなり違うタイプの人間で、街で出会っても相容れない感じだろう。学校という特殊な檻の中だからこそ、友達になれたとも言える。


「まあ・・・ね」

ため息が出る。

「あんま無理すんなよ」

「ああ、ありがとう」

重音流とはいろいろと意見の違いとかはあるんだけど、音楽の趣味がきっかけで絆が強くなった。

若干クラスで浮き気味の自分を良い感じでフォローしてくれるのもありがたい。

「後でちょっと話ししようぜ」

そう言って重音流は席に戻る。先生が教室に入ってきていて、もうすぐホームルームが始まるからだ。


2週間前とさほど変わらぬホームルーム。けれど雪乃だけが存在しない。

みんなはもう慣れてしまったのだろうか。

雪乃がいない教室は、とても空虚だ。

あの頃がとても輝いていたことを痛感する。

失ってはじめて気づく大切さ。

もうあの頃には戻れない。戻ることもない。

時間ってのは、本当に冷酷で非常だ。


ホームルームでは雨草先生が何かをしゃべっていたようだったが、心の中は晴れず、先生の声が右耳から左耳に通り抜けていくだけで、ぼんやりとまた雪乃のことを考える。


僕は雪乃に想いを伝えることもできなかった。

こんなことになるなら、雪乃に告白すべきだったんじゃないかとも思う。

玉砕するのは目に見えていたけれど、この想いを伝えられなかったことを未だに後悔している。

誰かが言っていた『伝えられなかった想いは一生心に纏わりついてくる』って。

今となっては後の祭り、いや、後の自殺か。

「擁斗」

「はい」

先生に名前を呼ばれて返事をする。

「学校来れるようになったか。良かったよ」

そう先生は言って次の生徒の名前を呼ぶ。

サラッと流してくれたことは、今の自分にとって有り難かった。


気づけば午前中の授業が終わり、昼休みになっていた。

重音流が指で僕を呼ぶ。

どこかへ行く誘いだ。

ゆっくりと立ち上がる。正直、立ち上がるのも少し億劫だった。こんなにも教室の空気ってのは重かったのかとも思う。

重音流に連れられて、教室を出る。

「飯は?」

弁当は今日も持ってきてはいたが、食べる気にはなれなかった。

「あんま食欲なくてね」

「そうか」

そしていつもの場所、重音流と飯を食べる時に行く、校舎の裏へ二人で向かった。


「良かったよ、学校来れるようになって」

「まだ、全然だけど」

「連絡にも返事くれないし、心配したんだぜ」

「ああ、ごめん」

「ほんとに飯食わなくて良いのか」

「うん、朝ごはんは食べてるから」

「そっか、ほんと無理すんなよ」

「ありがとな」

「じゃ、すまんけど、俺だけ食べるわ」

そう言って重音流は袋を破ってパンを頬張る。


校舎裏はあまり人が来なくて、そこそこ心地が良い。教室の空気が重かったと感じたせいもあるかもしれない。

「あんまりさ、気の利いたことも言えないんだけど、擁斗ようとさ、雪乃こと好きだったじゃん。それもあって結構参ってるんだろうなとは思ってさ」

重音流のストレートな物言いは少し心に刺さったけれど、こうやって教室を連れ出してくれた優しさってのはありがたい。

教室に1人でいたら、また雪乃のことを考え落ち込むだろう。その自分の雰囲気が、教室の空気を悪くしている気もしたからだ。


「みんなも心配してたんだぜ、特に莉杏りあんとか」

莉杏は友達とまではいかないけれど、比較的クラスの中では仲が良かった。莉杏と直接の関係というよりは、重音流も含めた感じだけれど。

学級委員もやっていて、雪乃がずっとテストで1番だったのを抜いて最近1番になった。

まあ、うちの高校は私立でそこそこ成績が良くないと入れないから優秀な生徒が多いけど。よく自分が入学できなとは思う。

雪乃が容姿端麗の綺麗系だとしたら、莉杏はかわいい系で少し大きめの胸もあってか、男子の隠れ人気が結構ある。真面目でメガネをかけていてまさに学級委員って感じ。


「後で莉杏とも話してやってよ」

「わかった」

返事はしたものの、若干気は重かった。自分から人に話しかけるというのはそれだけでかなりのエネルギーがいる。それほどのエネルギーが自分には無いことは分かっていたからだ。

「あのさ、雪乃こと、話しても良いかな」

重音流は驚いた顔をする。

「無理しなくて良いだんぜ。擁斗が話したいなら俺は大丈夫だけど」

「うん。実はさ、雪乃が自殺するなんて思えないだよ。何かの間違いじゃないかって今も思ってて」

「どういうこと?」

少し迷ったけれど、スマートフォンで受け取ったメールを重音流に見せる。

「雪乃が亡くなって数日経ってから、僕のスマートフォンに届いてさ。重音流には届いてる?」

「いいや、届いてないね」

「このメールを見てから、雪乃の自殺に納得できないって感じが強くなってさ。ずっと引っかかってるんだよね」

「いたずらじゃないのか?」

「まあ、その可能性もゼロじゃないとは思う。けど、雪乃はみんなが知らない何か困ったことがあって、それに耐えられなかったのかなって。それがわかったら、もしかするともっと後悔するのかもしれないけど、でも理由がわかれば納得ができるんじゃないかなって思っててさ」

「そうか」

「うん。ずっとこんな調子ってわけにもいかないだろうし。でさ、重音流に頼みがあるんだけど」

「えっ、何々、俺にできることなら何でも協力するぜ」

「雪乃が何で自殺をしたのか、ちゃんと調べたいんだよ」

「わかった」

そこでちょっと言葉が詰まる。

ずっと気になっていて、考えないようにしていたことだ。

「どうした?」

久里亜くりあ

そう口にしたら重音流は理解したようだった。


久里亜は同じクラスで重音流の次に人気の男子だ。

短髪で中性的だけど眼光の鋭さもあって、少し近寄りがたいイケメン男子。

そして、雪乃と交際の噂があった男子。

「久里亜か。雪乃とどういう関係だったかってことか」

「それもあるし、もし本当に付き合ってたとしたら、雪乃の自殺の原因を知っているかもしれない」

そこで僕は一呼吸置く。

「・・・もしかすると雪乃が自殺した原因なのかもしれない」

高校生にとって人生における恋愛の比重はとても大きい。恋愛ひとつで一気に世界が変わるし、人生に絶望もする。

「わかったよ。調べてはみるけど、あんまのめり込むなよ。まあ、擁斗が居ないとさ、学校つまんねーから、学校来てくれて嬉しいよ」

爽やかな笑顔で握りこぶしを出す重音流に握りこぶしでタッチする。

「ありがと」

「そういや、ハラルドウォーズもやってないだろ」

「ちょっとそんな気分でも無かったからね」

「今月のログボでURゲットできるからやった方がいいぜ。まあ気晴らし程度にはなると思うしさ」

「ああやっとく」

以前のような重音流との何気ない会話は心に沁みた。




重音流と教室に戻ると久里亜が目に入る。こちらを一瞥したがすぐに友達の方へ視線を戻す。

雪乃との噂もあって、あまり印象は良くなく、個人的に話すのも避けていた。まあそれはお互い様な気もする。

「擁斗くん、大丈夫?」

席につくと莉杏が心配そうな顔で駆け寄ってきた。

「うん」

あまり暗くならない程度には返事をしたつもりだったが、

「まだ本調子って感じじゃないけど、とりあえず学校に来れたことだけでも一歩前進だろ」

と重音流が僕の肩を叩く。

「そう、良かった。あんまり無理しないでね」

莉杏をみやりながら、僕はうなずく。

それを皮切りにクラスのほかのみんなも軽く声をかけに集まってくれた。それほど深く話したことは無かったけれど、良い奴らだなと思う。


重音流のおかげもあって少しだけ気分が落ち着いた気もして、午後の授業はそれなりに話を聞けていたようにも思う。

授業が終わり教室を出ようとすると

「じゃあな」

重音流の声が後ろから聞こえて、軽く手を挙げる。

まだ元気に応える気分ではなかったのもあるが、久しぶりの学校で少し気疲れしていたような気もする。


早々に教室を後にしたのには理由がある。行くところがあるのだ。

正確には雪乃が亡くなる前からずっと行っているというか、通っていると言うか、いつも放課後に過ごしている場所がある。紫苑しおんの家だ。

紫苑は小さい頃からの友達、幼馴染というのがわかりやすいかもしれない。

同じ高校に通ってはいたものの、かなりサボりがちのやつだ。1年の頃はギリギリ出席日数が足りていたみたいだけど、たぶん2年になってからはほとんど来てないから、留年するんじゃないかと思う。

いわゆる引きこもりってなんだけど、別にいじめとかそういうんじゃなくて、唯我独尊というか、常にがわが道を行くみたいな感じのやつだ。

最近は家でゲームばっかりしている。たぶん今日も。


紫苑の家のドアには鍵がかかっていないというか、僕が来る時は事前に開けてくれている。無用心この上ない。

「久しぶり」

PCに向かっている紫苑の後ろから声をかける。

「ちょっと待ってて」

「おけ」

いつものこと、前と変わらない雰囲気、テンションが僕には少し心地よかった。

紫苑はあんまり詳しくはないけれどオンラインの対戦ゲームに熱を上げている。

どうも何とかってチームに入ったらしく、当時すごく喜んでいたのを覚えている。

まだまだ女性プレイヤーが少ないのもあって、意外と人気があるってことを言っていた。


「飲み物もらうよ」

そう言って冷蔵庫からソーダを取り出してペットボトルの蓋を開ける。炭酸が喉を刺激して、少し気分が晴れたような気もした。

紫苑はいつもダブっとした服をきていて、髪の毛はボサボサ。雪乃とは正反対の感じの印象。女子としてどうかというのはあるけど、紫苑自身はまったく気にしてないようだ。

丁度よい距離感で話しやすくて、紫苑といると居心地が良く、どうせ暇だったのもあって前からかなり入り浸っていた。

部屋は綺麗だけど、物がほんとないってのが正しいかもしれない。

一番目を引くのは、部屋の一面にある義足だ。

僕はその義足たちを眺めがながら、紫苑がゲームを終えるのを待っていた。

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