青き歯音(あおきしおん)

祐里葉

第1話:そして雪乃は亡くなった

風が少し吹いていたのかもしれない。

雪乃ゆきののサラサラストレートの黒髪が少し揺らいでいるように見えた。


雪乃はスマートフォンを眺めながら赤信号なのに道路へ歩きだす。

その横から車が雪乃に向かってくる。


僕はただ、それを眺めていた。

現実感が無かったのかもしれない。


そして車は雪乃に横から衝突する。


ドン!という音がしような気がして、そして雪乃は僕の方に転がってきた。

僕は転がってきた彼女にぶつかりそうになり、思わずそれを避ける。

そして道路に横たわった彼女を、ただ立ち尽くして眺める。


雪乃の大きな瞳はいつもより開いているように見えて、その目は焦点があっていないようで空をジッと見つめていた。

ツヤのある髪の毛が彼女の顔の周りに無造作に広がっている。


耳から外れたイヤフォンが彼女の髪に絡まり、スマートフォンが身体から少し離れた場所に転がっていた。

イヤフォンから誰かが喋る英語がわずかに漏れている。


僕は雪乃に何が起きたのかよくわからず、ただ少し歪んだ彼女の顔を、ただじっと見つめる。

美しく整った顔の面影は今はもうない。

それは一瞬だったかもしれないし、数分だったかもしれない。


突然の悲鳴。

急に周囲の喧騒が耳に入ってくる。

遠くから、信号の通りゃんせの音が虚しく鳴っていた。

何が起きているんだろう。

僕は何をしているんだろう。

雪乃・・・君は・・・。




擁斗ようとは見開くように瞼を開け、目を覚ます。

またこの夢で起きてしまった。


何もできなかった自分。

どうして僕はあの時、ただ見ていることしかできなかったのだろう。


雪乃のことがとても好きだった。

だから、いつも雪乃のことを目で追っていたのに。


横断歩道を渡る彼女に、大声で伝えることもできたんじゃないか。

車に轢かれ転がってきた彼女に、何か言葉をかけることができたんじゃなか。

何が僕にもできたんじゃないか。

いつもそんなことを考えて自己嫌悪に陥る。


クソ、クソ、クソ。

僕は最低だ。


例え、僕が何かしたところで、雪乃が死んでしまうことを防ぐことはできかなったかもしれない。

いや、できないだろう。そんなことはわかっている。


一瞬の出来事だった。


彼女に何か言ったところで、もうすでにその時点で彼女は答えることができない状態だったことは感覚的にわかっていた。

僕は医者じゃない。医療知識もない。だから彼女手当することもできない。


論理的にはわかってるんだ。

僕に出来ることなんて何もなかったって。


でも、それでも僕は、せめて声を上げるなり、手を伸ばすなり、できたはずだと思う。

雪乃のことが好きなら、転がってくる彼女を受け止めようとする行動をしたって良かったんだ。

例え、受け止めることができなかったとしても、そうすべきだったんだ。

なぜ、僕はとっさに避けてしまったんだろう。


高校に入って初めて彼女に出会った時、『この世界には神様がいる』と思った。

こんなに美しい人を作れるのは神様だけだって思ったんだ。

そのぐらい雪乃の美しさは僕には衝撃的だった。


それなのに、ずっと雪乃のことが好きだったのに、僕は彼女に対して何もできず、ただ眺めることしかできなかった。

結局僕は、自分のことしか考えてなかったのもしれない。

好きだなんて言葉は、ただのポーズで、心から好きじゃなかったんだ。きっと。


僕が雪乃を守るとか、僕が雪乃を一番好きだとか、全部嘘だ。

好きな気持はあるけれど、それは薄っぺらいチャラいやつだったんだ。きっと。

最低だ。本当に最低な人間だと思う。




雪乃は駆け出しだがモデルもやっていて、まだまだ知名度はないけれど、少なくとも学校ではかなりの有名人だ。

身長は170センチほどですらっとした体型。

サラリとした艶のある髪の毛。


学校ではそれほど人と交流はなくて、少し気難しそうな気の強そうな顔立ちから、生真面目な印象があるのかもしれない。

起来のものなのか、それとも理性からなのかはわからないが、とてもルールに厳しいところがある。


雪乃の大きな瞳でグッと見つめられると、飲み込まれてしまいそうになる。

これは男性でも女性でもそうかもしれない。

混じりっ気のない真っ直ぐな瞳に、たぶん、誰しもがたじろいでしまうだろう。


モデルの仕事がある影響で高校の授業は少し休みがちだが成績は優秀で、高校1年の頃は常に学年1番を取っていた。

流石にモデルとの両立は難しかったのか、最近は順位を落としている。

ただ、それでも一桁台だし、僕に比べれば圧倒的に頭が良い。


成績が落ちてきたからなのか、仕事があるからなのかはわからないけれど、最近は休み時間にも勉強をするようになった。

登下校のときにもスマートフォンで勉強しているようだ。

その影響で以前にも増してクラスの中では浮きがちというか、雪乃自身が壁を作っているように思える。


そんな勉強している雪乃の横顔を眺めるのが僕は好きだった。

もうずっと眺めていたかった。時間が止まって欲しいってのは、そういうことなだろうと思う。


雪乃とはそれほど仲が良いというわけではないけれど、そもそも雪乃が仲の良い友人ってのはクラスにはほとんどいなくて、それでも何かあれば普通に話ができる程度の間柄だ。


どちらかと言えば、クラスの中では親しい方ではあるけれど、順位にするとそうなるだけで、雪乃からすれば僕はその他大勢の中の1人に過ぎないだろうなとは思う。


それでも雪乃と話ができる時間は楽しくて、それがひと言ふた言だったとしても、雪乃と交わす会話は僕にとっては、とてもとても大切な時間だ。


僕は特に成績が良いわけでも無いし、クラスのみんなとはそれなりに話しはするけど、すごく仲が良いわけではなくて、それは孤高に憧れているわけでなくて、ただ人間関係が面倒くさいというのが本音。

いや、深く関わることを避けていたいうのは正しいかもしれない。


僕は部活にも入っていないし、有り余る時間を持て余していたから、学校では雪乃を眺めて過ごすのが日課になっていた。

それで幸せな気持ちだったし、それ以上望むのは無理だろうなとも思う。


別に陰キャとかじゃないけれど、勉強もする気も起きなかったし、やりたいことも無かったし、かっこよく言えば自分探し中のぐうたら者。


だから僕にとって雪乃は高校時代のすべてと言っても過言ではなかった。


それなのに、僕はあの時、何もできなかった。

未だに後悔しかない。

もう雪乃は居ないのだ。




雪乃の死は当初事故のように思われていたが、最終的には自殺として片付けられた。

信号が赤だったこと。雪乃の周りには誰もいないことがわかっていて、誰かに押された可能性は無いこと。

それは自分も見ていていたからよく覚えている。また周囲の防犯カメラでも確認されたようだった。

そして遺書らしきものが彼女のスマートフォンから見つかったこと。

それらの状況から自殺ということになったようだ。


ただ、僕はそれに納得はできていなかった。

雪乃は自殺するような人間じゃないと思う。というより、思いたかったのだろう。


彼女のすべてを知っているわけではないけれど、彼女の真っ直ぐな性格、悪を寄せ付けないような清廉さは、とっつきにくさではあるけれど、弱々しさとはかけ離れている。


一度、学校外で絡まれている生徒がいて、それを助けたという話も聞いた。相手は男性だったらしいが、一歩も引かない物怖じしない凛とした態度だったという。

その場にいなくても、雪乃の姿をなんとなく想像できる。

そういう正義の人だった。


そんな雪乃が自殺をするなんて考えられない。


ただ、もしかすると僕が知らない何かに悩んでいたのかもしれない。

ずっと雪乃を見ていたけれど、それは感じることが出来なかった。それは僕が雪乃の表面だけを見ていたからかもしれない。




ピコン。スマートフォンの音が鳴る。


事故があってから数日経った日のことだった。スマートフォンにメッセージが届く。


当時の僕は、本当に何も考えられなくて、ただポッカリと空いた心に悲しさと自己嫌悪が充満していて、それ以外考えらる状態ではなかった。


それまでもスマートフォンにいろいろと連絡が来ているのは知っていたけれど、それを見る気力も、ましてや返信する気力も無かった。


ただ、そのときは、なぜだかわからず、あまり考えなにし、癖のような、反射のような感じでスマートフォンを手に取り、画面に目をやる。


その画面には『雪乃の死は自殺じゃない』という文字が並んでいた。

タップして開いてみると、メールだったが、本文には何も書かれていなかった。


この時から、僕の中で何かが変わった気がする。

それまで空虚だった僕の心に、少しだけ明かりが差した気がしたのだ。


メールは、その後も毎日来ていた。差出人はよくわからない文字列だった。

何かのいたずらかもしれないとは思ったが、メールを見るたびに僕の中で「雪乃は自殺ではないのではないか?」という疑念がムクムクと少しずつ大きくなっていく。


このメールがきっかけで、僕は雪乃の死について考えられるようになった。

まだ冷静ではいられないけれど、それでも僕はやっぱり雪乃の死に納得できていなくて、雪乃に何が起きたのかを知りたくて、万全ではないけれど立ち直りつつある。


明日は久しぶりの学校だ。雪乃の死から2週間が経つ。

あっという間だったようにも思えるし、一瞬だったような気もする。

ただ、少なくとも僕は悲しみの牢獄から抜け出しつつあることは確かだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る