第25話 ……寂しい……よぉ

 小波が拗らせた思春期の始まり。

 それは、中学生になってからのことだった。

 物心ついた時――小波にとって身近にいた男性とは、鉄矢と父親くらいだった。


 ――小学生の頃。

 鉄矢とは引っ越しで離れ離れになり、小波は七海と父親と三人で暮らす日が続いた。

 ……それがいけなかったのだろう。

 父親は鉄矢のようにいつでも遊んでくれる暇な子供じゃない。

 きちんとした大人で、それなりに忙しかった。


 小波も理解こそはしていた。

 父親は小波と七海に贅沢させるために、一生懸命働いていたことを。

 しかし現実として、だ。

 小波はそんな父親を……男性というものを信じられなくなった。


「てっちゃん……てっちゃん~~~っ、てっちゃんてっちゃんっっ!」


 寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい――――。


「……寂しい……よぉ」


 記憶は美化されているのかもしれない。

 それゆえに愛おしくなって、そんな感情が心を支配していく。

 けれど、そんな想いを表には出さない。

 もう会える相手じゃないから。

 すぐ会える父親は、今日も明日も忙しいのに。


 甘えていいだなんて……誰にも教わっていなかった小波には、堪えることしかできなかった。

 ――よって、小波は強かに生きることにした。


 上品な振る舞いを自分なりに学び、男子を寄せ付けない高嶺の花となった。

 外面だけでいい。

 振る舞いだけでいい。

 ひたすらに自立できるのだとアピールした。

 すべては父親のことを、保護者として認めたくなかったから。


「構ってくれないパパなんて、最初からいりませんもの」


 七海を連れて親戚を頼り、神奈川へ引っ越した。

 父親には莫大な財産だけはあったから、衣食住に困ることはない。


 頼った親戚……従姉のお姉さんは優しかった。

 小波と七海の話に同情してくれて、中学を卒業するまでは、家事を手伝いに来てくれたりした。


「小波ちゃんは早く大人になりたいんだね」


 従姉のお姉さん……もりはある日、そんなことを言った。


 志乃の役割は家事だけではない。

 彼女は駆け出しの無名イラストレーターらしかった。

 そこで小波は七海に内緒で、彼女から絵の描き方を教わっていたのだ。


「でもね、小波ちゃん。それは限界があるって、お姉さん思うな」

「どういうことですの?」

「ねえ、疲れるでしょ。それ」

「……っ」


 小波もわかってはいた。

 自由奔放な七海のように生きることが、生来小波には合っている。

 そこを無理に捻じ曲げているのだから、当然のことなのだと。


「人前でしっかり者でいたいのね。それなら自分の部屋でくらい、好きな自分になってみたら?」

「部屋の中くらいって……何ができますの?」

「そうねぇコスプレはどう? ちょうど私の推し絵師が、衣装のデザインすっごく上手くてね」


 志乃は……自分もやってみたいけどお金がないと言った。

 その言葉の意図くらい、簡単だ。

 父親からの仕送りでお金の心配がない。

 好きなことができる環境なのだから、好きに生きてもいいという意味だ。


「ど、どうしてそれでコスプレなんですの? はっ、恥ずかしい……」

「うわぁ、やってもないのにそーゆぅ。一度やってみな。恥ずかしいくらいがちょうど良いって」

「で、では……一度だけ」


 その先、小波はコスプレにハマってしまった。

 しかし、それは正解だったのかもしれない。

 やがて自撮りに耽り、SNSにアップするようにまで至ったが、あくまで健全に済ませている。


 承認欲求ではない。

 自己表現としてのコスプレは、小波にとってのアイデンティティになった。


 もちろん、コスプレ趣味はいつまでも七海に隠し通せたものではない。

 ウィッグだけで我慢できず、髪を染めたい時だってあったから。

 それでも、特に何も訊かず受け入れてくれた七海のことを、小波は姉として尊敬した。




 ***




 鉄矢が転校してきてからたった数日のこと。

 姉妹で久々に風呂を一緒した時、七海が呟いた。


「てっちゃん転校してから僕、毎日が楽しい!」


 七海は最近、浮かれている。

 それも無理はない。

 本人は自覚していない様子だけど、小波からすれば、姉の秘めた想いはわかりやすかったから。


「てっちゃんといると、幸せな気分になってね。てっちゃんのこと考えると、全身がビリビリってなってフワフワってなるんだよぅ」


 七海は――鉄矢のことが好きだ。

 そんな事実は小波もわかっていた。

 それなのに、姉の火照ったような顔を目の当たりにして、心に何かが引っかかった。


 ……鉄矢の側にいること。

 七海にもようやく、小波にとってのコスプレ趣味のような人生の楽しみが生まれたのだろう。

 それを奪ってしまうなんて、小波にはできない。

 だから小波は、七海の恋を応援しようと思った。


「てっちゃんに対するこの気持ちは、きっと間違いですもの」


 心の引っ掛かりについては、忘れることにした。

 自分にそう言い聞かせるように、鉄矢に対して『宏に片想いをしている』などと宣言までした。

 そして……七海がツキナミだと明かすための計画を立てたのである。


 正体を明かしてから、七海はより生き生きとするようになった。

 ツキナミとして七海が鉄矢と話す時は、いつも楽しそうだったけど、それ以上に。

 鉄矢がどんな見た目に成長していても、きっと七海は恋に落ちていただろう。

 そうして――。


「お姉ちゃんは、やっと満たされましたのね」


 実のところ、鉄矢が転校してくるまで、七海は何に対してもやる気がないような子だった。

 小波と違って七海が男子達に対する壁が薄いのも、無意識に鉄矢のことが忘れられないだけ。

 七海は……男子に興味を持っていない。

 その証拠に、話した男子の名前なんて、彼女はほとんど憶えていなかった。


 てっちゃんと再会して以降、間違いなく望んでいるように転んでいるはずなのだ。

 それなのに、小波の心はポッカリ穴が空いたような気がしていた。


 ――そして今日。

 珍しく早寝した七海の姿を見て、小波はふと……魔が差した。

 決して奪いたい訳じゃない。

 ただこの時間だけ、鉄矢と一緒にいるのは自分でありたい。

 ……そう思ってすぐ、小波は隣の部屋へと向かっていた。

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