第3話 絵描き仲間

 引っ越し先は8階建てのマンション。

 オレの部屋は4階の端だった。

 窓外の風景はお世辞にも良いとは言えない。

 だけど、窓は東向きで日当たり的には、起床時に困らないはずだ。


「よし、これでいいかな……ったく、すっかり遅くなっちまったぜ」


 一通りの引っ越し作業が終わった。

 あとは絵を描く環境を整えるだけだ。

 機材が多いわけではないが、良い絵を描くためには体勢が重要である。

 そのために、椅子の高さや座り心地、それに合わせた高さのデスクを新調する必要がある。


 実家で使用していたものは持ってこれなかった。

 これまでは、勉強机をそのままDIYして改良したもので……単純に重かったからだ。

 解体する手もあったが、そろそろ変えたかったのだ。


「そんなことより、ツキナミに色々訊いておかないとな」


 彼にはバイトをすると言っておいたが、本当にはバイトなどではない。

 これでもオレはフリーの絵描きの中じゃ、そこそこ有名なイラストレーターだ。

 すなわち依頼を募集すれば、お金には困らない。


 おやつ代や遊び金は、これで稼ぐつもりだ。

 絵描きの趣味はツキナミにも内緒にしているから、彼にはバイトと言って誤魔化そう。

 今すぐに取りかかれる環境ではないが、あらかじめ依頼の募集を開始しておく。


「――ん?」


 さて、ツキナミにチャットでもしようかと思ったとき、SNSにダイレクトメッセージが届いた。


もりしのぶ:依頼募集って……マジですか?〕

〔徹夜狂い:慣れ慣れしくしないでください。あんたの依頼は拒否します〕


 さっそく面倒な人に絡まれてしまった。

 チャット相手は、森乃忍。

 オレにとって一番仲の良い同業者である。


 以前は、オレよりもフォロワー数が少なかった。

 それが、担当Vtuberが一山当てたとかで、はるか上の存在になってしまった。

 絵を描き始めたのも今のアカウント作ったのも、オレの後発だから、どうしても意識してしまう。


 はっきり言って、オレの方が上手い。

 なので、一方的に敵視している。

 尤も、向こうからは好かれてしまっているようだが。


〔森乃忍:まだ不機嫌? 私、本気も本気でテツヤくんの絵、好きなのにぃ!〕

〔森乃忍:私がテツヤくんの大ファンだってこと、誰よりも君は知ってるクセにぃ〕

〔森乃忍:前のコミケでカワワな衣装のコスプレ少し見せたげたじゃん~!〕

〔森乃忍:可愛い後輩イラストレーターに酷くない? ファンサplz!〕


 うるせぇ!


〔徹夜狂い:依頼料金、一番高いプランの三倍で引き受けますよ〕

〔森乃忍:ツンデレなのか微妙なラインだな〕


 転校してすぐの間は、友達作りのためにも、少々時間を食うだろう。

 そういう意味で、多少の貯金は作っておきたいというのが本音なのだ。

 ゆえに、気に喰わない相手には交渉して利用するのみ。


〔徹夜狂い:ちなみに今断ったら、三ヶ月は絶対に引き受けません〕

〔森乃忍:なんて鬼畜な! マーケティング術の本でも読んだのかね? お姉さん、テツヤくんにはまだ早いと思うな〕


 彼女とは以前、コミケで出会ったことがある。

 オレの知っている森乃忍は、まさに文系の女子大生だったはずだ。

 オレは理系に進む予定なので詳しくは知らないが、そう絆されていいのか……?

 それっぽい事を言っているわりに、全然駆け引きをしだす気配がない。

 ここは――揺するか。


〔徹夜狂い:で?〕

〔森乃忍:ぐぬぬ。次は私に依頼させてやるんだからね!〕


 この人……依頼なんて募集したことなかったでしょうに。

 どうやら森乃忍は、依頼を出してくれるらしい。

 カモが一匹釣れたところで、もう彼女に用はないのでミュートしておく。


 それよりもツキナミだ。

 あまり遅くに連絡するのは、いくら気兼ねのない相手でもはばかられる。


〈ツキナミ、今大丈夫か?〉

〈あれてっちゃん。明日が引っ越しする日だよね。起きてて大丈夫なの?〉

〈ああいや、引っ越しなら今日、無事に済んだよ〉

〈え~!? 明日って言ってなかったっけ〉

〈ちょっとズレたんだよ〉


 気を遣わせたくなくて、嘘を吐いた。

 ツキナミは人が良い。

 きっと今日って知っていたら、引っ越しの荷物運びくらいは手伝うと言いだすかもしれなかった。


 オレはあまりお節介されるのが得意じゃない。

 借りを作るという行為が、弱みを見せるみたいで、嫌なのだ。

 避けるためには、嘘も方便だとも思っている。


〈丁度遊びに行く予定してたから、誘ったのに〉


 ほらみたことか。

 会う気満々だったじゃないか。

 言っていたら、流れで手伝ってくれていたに決まっている。


〈まっ、学校で会おうぜ。ツキナミも少しは成長したんだろ〉

って……僕をなんだと思っているんだっ〉

〈ん……? 身長、伸びてないのか?〉

〈なっ!? の、伸びてるさ。てっちゃんより高いかもね〉


 おいおいマジかよ。

 オレの身長、175cmだぞ。

 高校一年にしては、オレの数少ないアイデンティティとしてそこそこ高い自信がある。

 いやまて、ツキナミが180cmとかある可能性もあるのか……?

 最後に会ったのは小学三年生だし、それ以来、彼の姿は写真ですら見せてもらったことがない。


〈ところで引っ越ししてきて、どうだった?〉

〈どうって……どうもないけど〉

〈虫とか多いでしょ。東京に比べたら〉


 そうかな?

 ぶっちゃけ、元々住んでいた街並みと隣接しているだけあって、そう違いがわからない。

 虫は何処にでもいるだろう。

 でもまあ虫といえば、話せるエピソードの一つはある。


〈ああ。そういや、今日の真昼間、スズメバチに襲われたな〉

〈……ふうん。そうなんだ〉

〈なんだ、興味なさそうだな〉

〈何? 武勇伝でも語ってくれるの?〉


 武勇伝って……オレが虫に襲われて追い払っただけの話をどう誇るんだ。

 その時女の子を庇った話は、態々しなくていいだろうし、難しいな。


〈……いや〉

〈ま、そっかぁ。じゃあおやすみ〉

〈お前、そんな寝るの早かったっけ。まあ眠いなら、おやすみ〉

〈おやすみ♪〉


 よくわからない話を見切り発射させたかと思えば、急停車させやがった。

 まあ明日からは、オレの方が沢山質問することになるだろう。


「オレも明後日から登校する手前、少しでも生活習慣を作っておいた方がいいか」


 なんてペンネームを付けた男が早寝早起きなんて、皮肉なものだ。

 だが、健康が一番だ。

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