互いに六ツ見し日頃の怨

 子どもの論理の時間は過ぎた。次は大人の論理を通さなくてはならない。たとえ子どもに理解できなくとも。


「ブチョー」


 南風原はブチョーの肩を叩き、集う人々を見回した。


「理由はどうあれ、私が顧問を務める部活の生徒の悪戯が、赤西さんの告発を想定とは異なる形で結実させました。しかし、これがなければどうなったのか、私には分かりません。


 赤西さん――今は便宜的に鈴璃さんと呼ばせていただきますが、鈴璃さんや、ここにいるブチョーや、たった一度、会っただけの松本さんは、私のことを買いかぶりすぎています」


 南風原は胸を押さえ、息を整えた。


「私が他の教員に相談しなかったのは、単に信用していなかったからです」


 ざわめき。無視して南風原は言った。


「私はここの卒業生ですが、なぜ教師になり、なぜここに戻ってきたのか、未だに説明できません。なぜなら、私はこの学校に怨みと恐れしかないからです。赤西さんに頬を打たれたとき思い出しました。中学生の頃、私は同じ教室で、同じように床に転がっていたことがあります。同級生に椅子で殴られたんです。


 いま考えれば警察を呼ぶような事件のはずですが、当時の教務主任は、しきりに大丈夫か確認するばかりで、大丈夫だと答えたら何事もなかったような振る舞いを求められました。私の親もそうでした。今は堪えて受験に臨めと。私は全方位を憎み、怨み、すべてを捧げて、ここを捨てたんです」

 

 ざわめきが沈黙に転じ、南風原の言葉だけが響き続ける。 


「私は、なぜ大学で教職を取ったのか分かりません。戻れるならここにと思った理由も分かりません。けれど、こうして事件の真相を聞き、あのとき両親や教員が何を考えていたのかは分かりました。非常に汚く、許しがたく、これ以上はない最良の手段だったからです」


 ――使


 ブチョーの言葉が南風原の脳裏に過ぎった。


「ここに」ポケットからボイスレコーダーを出し、南風原は教卓に置いた。「三者面談で話されたことを記録した音声データがあります。スイッチが入れっぱなしになっていましたから、保護者会でのやりとりも、職員室でのやりとりも記録されているでしょう。そして――そこで」


 南風原はアマネルの席の前のスマートフォンを指さして言った。


「ここでのやりとりを記録してあります。後は私の顔の化粧を落として写真を撮っておけば、私はいつでもあなたのことを訴えることができる」


 赤西の母が苦痛に耐えるように顔を歪めた。斎藤正人の母も眉を寄せ、千桜は胡乱げに目を細める。教員たちは、ただ黙っていた。


「私は親も教員も学校も、すべて信用していません。鈴璃さんや千桜さん、松本さんから聞いた話を総合しても、赤西さんが態度を改めるとは思えない。口約束が効果をもつとも思えない。ですから、私が唯一、理解できている力――怨みで互いを縛ることにしましょう」


 誰ともなく喉を鳴らし、じっとりと浮かんだ汗を拭い、目を閉じまいと力を入れた。


「私は、自分の受け持つの生徒の、少なくとも一人に、このような行動をさせるほど怨まれているとは思っていませんでした」


 ショーが、幽かに首を振った。違うと、そんな意味ではないと振っている。けれど南風原は淡々と続けた。


「私は私の身に起きた怨みで赤西さんを縛りましょう。そんな、危険な私のことは生徒のみなさんの怨みで縛ってもらいましょう。そして生徒を、生田先生、実害をこうむった先生が縛ればいい。松本さん、あなたは我が校の生徒に悪知恵を授けた怨みを持たれる。鈴璃さんはその方法によって斎藤さんに疑いをかけることになり怨まれても文句は言えない。そして、大変、申し訳ない。藤原さんと斎藤さんには、傍観者として怨まれていただく。、という意味です」


 裏切る者あれば、を怨む者が刺す。これは抑止力だ。怨みの連鎖を互いに見つめ続ける限り、何事もなかったかのように、


「今日ここで起きたことは、我々の胸の内にしまいましょう。たとえ苦しくとも、耐え難くても、鈴璃さんを自由にするために。そしてまた、鈴璃さん」

「……はい」

「鈴璃さんには自由を選ぶ義務がある。やりたかったことをやる義務が。それを裏切るようなら……先生は君を怨む」


 南風原は苦み走った笑みを浮かべた。

 長く短い事件は暗黙裡に閉じた。これから、南風原は赤西の母とともに教室に戻り疑いが晴れたことを説明し、彼女に頭をさげさせる必要がある。拒否すればどうなるかは言うまでもない。


 その要求はまた怨みを買うことになるかもしれないが、それは決断した南風原に受け止める義務がある。


 ただ巻き込むことになってしまった生田真里とには、また別の形で詫びなければならない。


 たとえ許されまいとしても。

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